二程全書卷之五十六  明道先生文三

書・記・祭文・行狀

答橫渠張子厚先生書
【読み】
橫渠張子厚先生に答うる書

承敎諭以定性未能不動、猶累於外物。此賢者慮之熟矣。尙何俟小子之言。然嘗思之矣。敢貢其說於左右。
【読み】
敎諭を承るに性を定むれども未だ動かざること能わず、猶外物に累わさるというを以てす。此れ賢者之を慮ること熟せり。尙何ぞ小子の言を俟たん。然れども嘗て之を思いぬ。敢えて其の說を左右に貢[すす]む。

所謂定者、動亦定、靜亦定、無將迎、無内外。苟以外物爲外、牽己而從之、是以己性爲有内外也。且以性爲隨物於外、則當其在外時、何者爲在内。是有意於絕外誘、而不知性之無内外也。旣以内外爲二本、則又烏可遽語定哉。
【読み】
所謂定とは、動にも亦定、靜にも亦定、將迎無く、内外無し。苟も外物を以て外とし、己を牽いて之に從うとせば、是れ己が性を以て内外有りとするなり。且性を以て物に外に隨うとせば、則ち其の外に在る時に當たって、何者か内に在りとせん。是れ外誘を絕つに意有りて、性の内外無きことを知らざるなり。旣に内外を以て本を二つとすることをせば、則ち又烏んぞ遽に定を語る可けんや。

夫天地之常、以其心普萬物而無心、聖人之常、以其情順萬事而無情。故君子之學、莫若廓然而大公、物來而順應。易曰、貞吉悔亡。憧憧往來、朋從爾思。苟規規於外誘之除、將見滅於東而生於西也。非惟日之不足、顧其端無窮、不可得而除也。
【読み】
夫れ天地の常は、其の心萬物に普くして心無きを以てし、聖人の常は、其の情萬事に順って情無きを以てす。故に君子の學は、廓然として大公にし、物來りて順應するに若くは莫し。易に曰く、貞にして吉なり悔亡ぶ。憧憧として往來す、朋爾の思いに從う、と。苟も外誘を除くに規規たらば、將に東に滅んで西に生ずるを見んとす。惟日の足らざるのみに非ず、顧みるに其の端窮まり無くして、得て除く可からず。

人之情各有所蔽。故不能適道。大率患在於自私而用智。自私則不能以有爲爲應迹(一作物。)、用智則不能以明覺爲自然。今以惡外物之心、而求(徐本求作永。)照無物之地、是反鑑而索照也。易曰、艮其背、不獲其身、行其庭、不見其人。孟氏亦曰、所惡於智者、爲其鑿也。與其非外而是内、不若内外之兩忘也。兩忘則澄然無事矣。無事則定。定則明。明則尙何應物之爲累哉。
【読み】
人の情は各々蔽わるる所有り。故に道に適くこと能わず、大率患えは自私して智を用うるに在り。自私するときは則ち有爲を以て應迹(一に物に作る。)とすること能わず、智を用うるときは則ち明覺を以て自然とすること能わず。今外物を惡む心を以て、物無きの地を照らすことを求むれば(徐本求を永に作る。)、是れ鑑を反して照らすことを索むるなり。易に曰く、其の背に艮[とど]まって、其の身を獲ず、其の庭に行って、其の人を見ず、と。孟氏亦曰く、智に惡む所の者は、其の鑿するが爲なり、と。其の外を非として内を是とせん與りは、内外の兩つながら忘れんには若かず。兩つながら忘るるときは則ち澄然として事無し。事無きときは則ち定まる。定まれば則ち明らかなり。明らかなれば則ち尙何ぞ物に應ずること累わさるることをせんや。

聖人之喜、以物之當喜、聖人之怒、以物之當怒。是聖人之喜怒、不繫於心而繫於物也。是則聖人豈不應於物哉。烏得以從外者爲非、而更求在内者爲是也。今以自私用智之喜怒、而視聖人喜怒之正爲如何哉。夫人之情、易發而難制者、惟怒爲甚。第能於怒時遽忘其怒、而觀理之是非、亦可見外誘之不足惡、而於道亦思過半矣。
【読み】
聖人の喜ぶは、物の當に喜ぶべきを以てし、聖人の怒るは、物の當に怒るべきを以てす。是れ聖人の喜怒、心に繫らずして物に繫るなり。是れ則ち聖人豈物に應ぜざらんや。烏んぞ外從りする者を以て非と爲して、更に内に在る者を求めて是と爲すことを得ん。今自私し智を用うるの喜怒を以て、聖人喜怒の正しきに視ぶるに如何とするや。夫れ人の情、發し易くして制し難き者は、惟怒を甚だしとす。第[ただ]能く怒る時に於て遽に其の怒りを忘れて、理の是非を觀ば、亦外誘の惡むに足らざることを見る可くして、道に於て亦思い半ばに過ぎん。

心之精微、口不能宣。加之素拙於文辭、又吏事匆匆、未能精慮當否佇報。然舉大要、亦當近之矣。道近求遠、古人所非。惟聰明裁之。
【読み】
心の精微は、口宣ぶること能わず。加之[しかのみならず]素より文辭に拙く、又吏事匆匆[そうそう]として、未だ精しく當否を慮って佇報[ちょほう]すること能わず。然れども大要を舉ぐるも、亦當に之に近かるべし。道近くして遠きに求むるは、古人の非る所。惟聰明之を裁せよ。


晉城縣令題名記
【読み】
晉城縣の令名を題する記

古者諸侯之國、各有史記(一無記字。)。故其善惡皆見於後世。自秦罷侯置守令、則史亦從而廢矣。其後自非傑然有功德者、或記之循吏、與夫凶忍殘殺之極者、以酷見傳、其餘則泯然無聞矣。如漢・唐之有天下、皆數百年、其閒郡縣之政、可書者宜亦多矣。然其見書者、率纔數十人。使賢者之政不幸而無傳、其不肖者復幸而得蓋其惡。斯(一作其。)與古史之意(一作事。)異矣。
【読み】
古は諸侯の國、各々史記(一に記の字無し。)有り。故に其の善惡皆後世に見る。秦侯を罷め守令を置いて自り、則ち史も亦從りて廢せり。其の後自[も]し傑然として功德有る者、或は之を循吏に記すると、夫の凶忍殘殺の極まれる者、酷を以て傳えらるるとに非ざれば、其の餘は則ち泯然として聞こゆること無し。漢・唐の天下を有つが如き、皆數百年、其の閒郡縣の政、書す可き者宜しく亦多かるべし。然れども其の書せらるる者は、率[かぞ]うるに纔か十人なり。賢者の政をして不幸にして傳うること無からしめ、其の不肖なる者も復幸いにして其の惡を蓋うことを得。斯れ(一に其に作る。)古史の意(一に事に作る。)と異なれり。

夫圖治於長久者、雖聖知爲之、且不能倉卒苟簡而就。蓋必本之人情而爲之法度、然後可使去惡而從善、則其紀綱條敎、必審定而後下。其民之服循漸漬、亦必待久乃淳固而不變。今之爲吏、三歲而代者固已遲之矣。使皆知禮義者、能自始至、卽皇皇然圖所施設、亦敎令未熟、民情未孚、而更書已至矣。儻後之人所志不同、復有甚者。欲新己之政、則盡其法而去之、其迹固無餘矣。而況因循不職者乎。噫以易息之政、而復無以託其傳、則宜其去皆未幾、而善惡無聞焉。
【読み】
夫れ治を長久に圖ることは、聖知之をすと雖も、且倉卒苟簡にして就すこと能わず。蓋し必ず之を人情に本づけて之が法度を爲して、然して後惡を去って善に從わしむ可きときは、則ち其紀綱條敎、必ず審らかに定まって而して後に下す。其の民の服循漸漬も、亦必ず久しきを待って乃ち淳固にして變ぜず。今の吏と爲る、三歲にして代わる者固に已に之を遲しとす。皆禮義を知る者をして、能く始めて至って自り、卽ち皇皇然として施し設くる所を圖らしむるに、亦敎令未だ熟せず、民情未だ孚あらずして、更書已に至る。儻[も]し後の人志す所同じからざれば、復甚だしき者有り。己が政を新たにせんと欲するときは、則ち其の法を盡くして之を去って、其の迹固に餘無し。而るを況んや因循して職とせざる者をや。噫息み易きの政を以てして、復以て其の傳を託すること無きときは、則ち宜なり其の去ること皆未だ幾ならずして、善惡聞こゆること無きこと。

故欲聞古史之善而不可得、則因謂今有題前政之名氏以爲記者、尙爲近古。而斯邑無之。乃考之案牒、訪之吏民、纔得自李君而降二十一人。第其歲月之先後而記之、俾民觀其名而不忘其政。後之人得從而質其是非、以爲師戒云耳。來者請嗣書其次。
【読み】
故に古史の善を聞かんと欲すれども得可からざれば、則ち因りて謂えらく、今前政の名氏を題して以て記を爲す者有り、尙古に近しとす。而れども斯の邑に之れ無し。乃ち之を案牒に考え、之を吏民に訪うに、纔かに李君自り而降[このかた]二十一人を得。其の歲月の先後を第[つい]で之を記して、民をして其の名を觀て其の政を忘れざらしむ。後の人從りて其の是非を質すことを得て、以て師の戒めとせよと云うのみ。來る者請う、嗣いで其の次に書せよ。


祭彭侍郎文
【読み】
彭侍郎を祭る文

悠悠彼蒼、顧佑有常。如何不淑、殲時之良。胡不憖遺、以慰士大夫之望。嗚呼、哀哉、昔我穉齒、爲公所器。敎之誨之、實妻以子。二姓之歡、疇可倫擬。逾二十年、顧愛終始。我謫河北。公薨建康。義不得往、神魂飛翔。望南浦之蕭條、想丹旐之悠揚、涙如流水、不到公之堂。號聲動天、不徹公之喪。
【読み】
悠悠たる彼の蒼、顧みるに常有るを佑く。如何ぞ淑[よ]からずして、時の良を殲[せん]す。胡ぞ憖[なまじ]いに遺して、以て士大夫の望みを慰せざる。嗚呼、哀しいかな、昔我れ穉齒にして、公の爲に器とせらる。之を敎え之を誨えて、實に妻すに子を以てす。二姓の歡び、疇[だれ]か倫擬す可き。二十年を逾えて、顧愛終始なり。我れ河北に謫[たく]せらる。公建康に薨ず。義往くことを得ず、神魂飛翔す。南浦の蕭條たるを望み、丹旐の悠揚たるを想い、涙流水の如くなれども、公の堂に到らず。號聲天を動かせども、公の喪に徹せず。

惟公德尊本朝、行高當世、爲四國之矜式、被三朝之注倚。風誼傳於後人、事業存乎國史、磊落明白、掀揭天地。縱綿百世之長、公爲不亡。雖竭無能之鄙辭、何足以增盛德之輝光。惟寓愚之誠兮、因遠致乎肴觴。公其來饗兮、慰余之悲傷。長言恩禮之厚兮、知何時之可忘。嗚呼、哀哉、伏惟尙饗。
【読み】
惟れ公の德本朝に尊ばられ、行い當世に高く、四國の矜式と爲りて、三朝の注倚を被る。風誼後人に傳え、事業國史に存し、磊落明白、天地に掀揭[けんけい]す。縱い綿たる百世の長きも、公亡びずとす。無能の鄙辭を竭くすと雖も、何ぞ以て盛德の輝光を增すに足らん。惟愚が誠を寓[よ]せて、因りて遠く肴觴を致す。公其れ來り饗けて、余が悲傷を慰せよ。長く恩禮の厚きを言うに、知んぬ何れの時か忘る可けん。嗚呼、哀しいかな、伏して惟んみるに尙わくは饗けよ。


祭富鄭公文
【読み】
富鄭公を祭る文

維元豐六年、歲次癸亥十一月壬寅朔、十九日庚申、奉議郎監汝州鹽酒稅、輕車都尉、賜緋魚袋程顥、謹遣外甥張敷、以淸酌庶羞之奠、敢昭告於太尉文忠公之靈。
【読み】
維れ元豐六年、歲癸亥に次[やど]る十一月壬寅の朔、十九日庚申、奉議郎監汝州鹽酒稅、輕車都尉、賜緋魚袋程顥、謹んで外甥張敷を遣わして、淸酌庶羞の奠を以て、敢えて昭らかに太尉文忠公の靈に告す。

嗚呼、粤稽古昔、得全實難。惟夔・契出乎唐・虞之際、而姬・呂位乎文・武之閒。其餘雖有鉅賢碩輔、僅或濟一時之險艱。眞儒大聖、多處非其位而孤騫。孰如我公、道行乎重熙累洽之運、而身享乎尊富安榮之完、事繫天下之重、位極人臣之班、生逢四世、皆上聖之主、時歷七紀、膺太平之安、勳業揭乎日月、聞望塞乎天淵。優遊里第者猶十有三年、於人之職、可謂無負。在天之理、亦爲曲全。然而捐館之日、遠近聞之、孰不齎咨而涕漣。尙以公之沒也、爲有憾焉。
【読み】
嗚呼、粤[ここ]に古昔を稽うるに、全きを得ること實に難し。惟夔[き]・契唐・虞の際に出て、姬・呂文・武の閒に位す。其の餘は鉅賢碩輔有りと雖も、僅かに或は一時の險艱を濟うのみ。眞儒大聖、多く其の位に非ざるに處して孤騫なり。孰か我が公の、道重熙累洽の運に行われて、身尊富安榮の完きを享け、事天下の重きに繫って、位人臣の班を極め、生きて四世に逢い、皆上聖の主、時七紀を歷て、太平の安きに膺[あ]たり、勳業日月に揭げ、聞望天淵に塞がるに如かん。里第に優遊する者猶十有三年、人の職に於て、負[そむ]くこと無しと謂う可し。天の理に在って、亦曲[つまび]らかに全くすとす。然して館を捐[す]つるの日、遠近之を聞いて、孰か齎咨[せいし]として涕漣たらざらん。尙公の沒するを以て、憾[うら]むこと有りとす。

嗚呼、世之常態、苟於自便、終始之節、艱於永肩。屛伏者以憂責不及而怠懈、休老者以血氣旣衰而志遷。惟公年彌高而志愈厲、身久退而誠益堅。惟是愛君憂國之道、極晝夜之拳拳。迨乎瞑目之旦、屬纊之前、萬物已莫累乎心胸、而朝廷之念獨有進乎昔日之當權。宜乎易名之諡典、號爲摭實、祭册之聖詔、極於哀憐。則士大夫以公之沒爲憾者、蓋非偶然。
【読み】
嗚呼、世の常態、自ら便するに苟くもし、終始の節、永肩に艱[なや]む。屛伏する者は憂責及ばざるを以て怠懈し、休老する者は血氣旣に衰うるを以て志遷る。惟公年彌々高くして志愈々厲しく、身久しく退いて誠益々堅し。惟是れ君を愛し國を憂うるの道、晝夜を極めて拳拳たり。目を瞑するの旦、纊を屬くる前に迨[およ]んで、萬物已に心胸を累わすこと莫くして、朝廷の念い獨り昔日の權に當たるに進むこと有り。宜なるかな易名の諡典、號して摭實とし、祭册の聖詔、哀憐を極むること。則ち士大夫公の沒するを以て憾むとする者、蓋偶然に非ず。

顥愚不肖、辱公禮遇。顧相期於義理、非見私於趨附。公薨於洛、賤居在汝、官守有制、欲往無路。斂不望棺、葬不臨墓、引領西風、悲慟何數。誠寓鄙文、禮陳菲具。恭祭道周。後期無所。嗚呼、哀哉、伏惟尙饗。
【読み】
顥が愚不肖、公の禮遇を辱くす。相期することを義理に顧みるに、趨り附くに私せらるるに非ず。公洛に薨じ、賤居汝に在り、官守制有って、往かんと欲するに路無し。斂棺を望めず、葬墓を臨めず、領を西風に引いて、悲慟何ぞ數えん。誠に鄙文を寓せて、菲具を禮陳す。恭しく道の周[ほとり]に祭る。後期するに所無し。嗚呼、哀しいかな、伏して惟んみるに尙わくは饗けよ。


故戶部侍郎致仕彭公行狀
【読み】
故戶部侍郎致仕彭公の行狀

公諱思永、字季長。其先京兆人。唐之中世有爲吉州刺史者、因家焉。今爲廬陵人。尙書治經術、以能詩名於世。慷慨有大節、仕不得志、未老以東官官退居臨湘。公其次子也。
【読み】
公諱は思永、字は季長。其の先は京兆人なり。唐の中世吉州の刺史爲る者有り、因りて家す。今廬陵人爲り。尙書經術を治めて、詩を能くするを以て世に名あり。慷慨として大節有り、仕えて志を得ず、未だ老いざるに東官の官を以て臨湘に退き居す。公は其の次子なり。

公性淳粹明重、材質瑰秀、孩提時卽異於常兒、未嘗爲戲弄之事、數歲已自知爲學。尙書每撫其背曰、興吾家者、必是兒也。未冠、居尙書喪、以孝聞。家貧無以葬。晝夜號泣、營治歲終、卒能襄事。扶喪數千里歸廬陵。知者無不咨歎。終喪、益自奮勵力學、有文稱。
【読み】
公性淳粹明重、材質瑰秀にして、孩提の時卽ち常兒に異にして、未だ嘗て戲弄の事をせず、數歲にして已に自ら學を爲むることを知る。尙書每に其の背を撫して曰く、吾が家を興さん者は、必ず是の兒ならん、と。未だ冠せずして、尙書の喪に居て、孝を以て聞こゆ。家貧しくして以て葬ること無し。晝夜號泣して、營み治めて歲の終わりに、卒に能く事を襄[な]す。喪を數千里に扶[まも]って廬陵に歸る。知る者咨歎せずということ無し。喪を終えて、益々自ら奮勵して力め學んで、文の稱有り。

天聖五年、舉進士擢第、授南康軍判官。計臣言其材、遂監泰州角斜鹽場。當路益知其賢、交薦之。秩滿、遷大理寺丞、監洪州鹽務。移知廣州南海縣、以母喪去職。服除、知洪州分寧縣。二邑素號難治。前令比以罪去、民化公之誠。相戒以毋犯法、至於無訟。
【読み】
天聖五年、進士に舉せられ第に擢[あ]げられて、南康軍の判官を授かる。計臣其の材を言いて、遂に泰州の角斜鹽場に監たり。當路益々其の賢なるを知って、交々之を薦む。秩滿ちて、大理寺丞に遷って、洪州の鹽務に監たり。移って廣州南海縣に知たるとき、母の喪を以て職を去る。服除いて、洪州分寧縣に知たり。二邑素より治め難しと號す。前の令罪を以て去るに比[およ]んで、民公の誠に化す。相戒むるに法を犯すこと毋かれというを以てして、訟無きに至る。

旣又通判睦州、會海水大上、夜敗台州城、郡人多死。詔監司擇良吏往撫之、公遂行。將至、吏民皆號訴於道。公悉心救養、不憚勞苦、至忘寢食。盡葬溺死者、爲文以祭之。問疾苦、賑饑乏、去盜賊、撫羸弱。其始至也、城無完舍。公周行相視、爲之規畫、朝夕暴露、未嘗憩息。民貧不能營葺者、命工伐木以助之。數月而公私之舍畢復、人安其居。公視故城庳壞、僅有髣髴、思爲遠圖、召寮屬而謂之曰、郡瀕海而無城。此水所以爲害也。當與諸君圖之、程役勸功。民忘其勞、城成、遂爲永利。天子嘉之、錫書獎異。後去台還睦。二州之民、喜躍啼戀者交於道。
【読み】
旣に又睦州に通判たるとき、會々海水大いに上って、夜台州城を敗って、郡人多く死す。監司に詔して良吏を擇んで往いて之を撫せしめて、公遂に行く。將に至らんとするとき、吏民皆道に號訴す。公心を悉[つ]くして救い養[うれ]えて、勞苦を憚らず、寢食を忘るるに至る。盡く溺死する者を葬って、文を爲って以て之を祭る。疾苦を問い、饑乏を賑わし、盜賊を去り、羸弱を撫す。其の始めて至るとき、城に完舍無し。公周く行って相視て、之が規畫を爲し、朝夕暴露して、未だ嘗て憩息せず。民の貧しくして營葺すること能わざる者は、工に命じて木を伐って以て之を助く。數月にして公私の舍畢く復して、人其の居を安んず。公故城庳壞して、僅かに髣髴たること有るを視て、遠圖を爲さんことを思って、寮の屬を召して之に謂いて曰く、郡海に瀕して城無し。此れ水の害を爲す所以なり。當に諸君と之を圖って、役を程[はか]り功を勸むべし、と。民其の勞を忘れて、城成って、遂に永利と爲る。天子之を嘉して、書を錫って獎異す。後台を去って睦に還る。二州の民、喜躍啼戀する者道に交わる。

未幾、就移知潮州。潮民歲苦修堤之役。吏緣爲奸、貧者尤被其害。公爲之法、役均而費省、民大悅。代還、知常州。時爲都官員外郎。尋召爲侍御史。極論内降授官賞之弊、以謂、斜封非公朝之事。仁宗深然之。皇祐祀明堂前一日、有傳赦語、百官皆得遷秩者。公方從駕宿景靈宮、亟上言、不宜濫恩、以益僥倖。旣肆赦、果然。
【読み】
未だ幾ならずして、就いて移って潮州に知たり。潮の民歲々堤を修するの役に苦しむ。吏奸を爲すに緣って、貧しき者尤も其の害を被る。公之が法を爲して、役均しくして費省いて、民大いに悅ぶ。代わり還って、常州に知たり。時に都官員外郎爲り。尋[つ]いで召されて侍御史と爲る。極めて内降官賞を授くるの弊を論じて、以謂[おも]えらく、斜封は公朝の事に非ず、と。仁宗深く之を然りとす。皇祐に明堂を祀るの前一日、赦語を傳うること有って、百官皆遷秩を得る者あり。公方に駕に從って景靈宮に宿して、亟やかに上言すらく、宜しく濫恩して、以て僥倖を益すべからず、と。旣に肆赦して、果たして然り。

時張堯佐以妃族進、王守忠以親侍帷幄被寵。參知政事闕員、堯佐朝暮待命、守忠亦求爲節度使。物議讙動公、帥同列言之。皆曰、宜待命行。公曰、宜以先事得罪。命出而不可救、則爲朝廷失矣。遂獨抗疏極言、至曰陛下行此覃恩、無意孤寒、獨爲堯佐・守忠故取悅衆人耳。且言、妃族秉政、内臣用事、皆非國家之福。疏入、仁宗震怒。人皆爲公危之。公曰、苟二人之命不行、雖赴鼎鑊無恨。於是御史中丞郭勸、諫官吳奎、皆爲上言、其忠當蒙聽納、不宜加罪。仁宗怒解、而堯佐・守忠之望遂格。
【読み】
時に張堯佐妃の族を以て進み、王守忠親しく帷幄に侍するを以て寵を被る。參知政事員を闕きて、堯佐朝暮命を待ち、守忠も亦節度使爲らんことを求む。物議讙[かまびす]しく公を動かし、同列を帥いて之を言う。皆曰く、宜しく命行わるるを待つべし、と。公曰く、宜しく以て事に先んじて罪を得るべし。命出て救う可からずんば、則ち朝廷の失爲り、と。遂に獨り疏を抗げて極め言いて、陛下此の覃恩[たんおん]を行いたまわば、孤寒に意無くして、獨堯佐・守忠の爲に故[ことさら]に悅びを衆人に取るのみと曰うに至る。且言う、妃の族政を秉り、内臣事を用うるは、皆國家の福に非ず、と。疏入って、仁宗震怒す。人皆公の爲に之を危うしとす。公曰く、苟も二人の命行われずんば、鼎鑊に赴くと雖も恨むこと無し、と。是に於て御史中丞郭勸、諫官吳奎、皆上の爲に言う、其の忠當に聽納を蒙るべし、宜しく罪を加うべからず、と。仁宗怒り解けて、堯佐・守忠の望み遂に格[や]む。

公猶以汎恩罷臺職、以司封員外郎出守宣州。前守以贓敗、郡政隳弛、歲復大歉。公至、修紀綱、撫凋瘵、奏發官庾以活饑莩、卒無流亡。體量安撫使上公治狀、爲諸路(一作州。)之最。
【読み】
公猶汎恩を以て臺職を罷め、司封員外郎を以て出て宣州に守たり。前の守贓[ぞう]を以て敗りて、郡政隳弛[きし]し、歲復大いに歉[けん]す。公至って、紀綱を修し、凋瘵[ちょうさい]を撫し、奏して官庾を發いて以て饑莩[きひょう]を活かして、卒に流亡無し。體量安撫使公の治狀を上って、諸路(一に州に作る。)の最とす。

儂智高連陷州郡、嶺表用兵、餉饋仰於荊・湖。除北路轉運使至部、奏黜守令之殘暴疲懦者各一人、而八州知勸。下溪蠻酋彭仕羲恃險而驕將帥、群蠻爲亂。先移文罵辰州守將。將不能制、請公誅之。公行部至辰。仕羲畏公、卽遣親信持書迎謁禮甚謹。公推誠待之、諭以禍福。皆悚懼感服、請自悛革、邊患遂息。
【読み】
儂智高連[しき]りに州郡を陷るるとき、嶺表兵を用いて、餉饋[しょうき]して荊・湖に仰ぐ。北路の轉運使に除せられて部に至って、奏して守令の殘暴疲懦なる者各々一人を黜けて、八州勸むることを知る。下すに溪蠻の酋彭仕羲險を恃んで將帥に驕り、群蠻亂を爲す。先づ文を移して辰州の守將を罵る。將制すること能わず、公に請いて之を誅せしむ。公部に行って辰に至る。仕羲公を畏れて、卽ち親信を遣わして書を持して迎えて謁禮甚だ謹しめり。公誠を推して之を待って、諭すに禍福を以てす。皆悚懼感服して、請いて自ら悛[あらた]め革めて、邊の患え遂に息む。

時大農以利誘諸路使以羨餘爲獻。公曰、裒民取賞、吾不忍爲。遂無所獻。南寇平、公以勞進工部郎中、召爲度支判官、升刑部。歲餘、出爲益州路轉運使。始直史館、賜三品服。入辭。仁宗論之曰、益部遠方、以卿安撫、吾無憂矣。至蜀會城都闕守、詔公權領府事。前政多務姑息、浸失法度。至有吏盜官錢千緡、付獄已三歲、猶縱其出入自若者。公命窮治之、一日而獄具。蜀人以交子貿易、皆藏於腰閒。盜善以小刃取之於稠人中如己物、民病苦之。公得其狀、卽捕獲一人、使疏其黨類、得十餘輩悉黥隸、諸軍盜者遂絕。二罪而人知畏法、蜀乃大治。
【読み】
時に大農利を以て諸路の使を誘って羨餘を以て獻ぜんとす。公曰く、民を裒[へ]らして賞を取るは、吾れするに忍びず、と。遂に獻ずる所無し。南寇平らげて、公勞を以て工部郎中に進み、召されて度支判官と爲り、刑部に升らる。歲餘にして、出て益州路の轉運使と爲る。始めて史館に直して、三品の服を賜う。入辭す。仁宗之を論じて曰く、益部の遠方、卿を以て安撫せしむれば、吾れ憂え無し、と。蜀會々城都守を闕くに至って、公に詔して權に府の事を領せしむ。前政多くは姑息を務めて、浸く法度を失す。吏官錢千緡を盜み、獄に付すること已に三歲、猶其の出入を縱にして自若なる者有るに至る。公命じて之を窮め治めて、一日にして獄具わる。蜀人交子を以て貿易して、皆腰閒に藏む。盜善く小刃を以て之を稠人の中に取ること己が物の如くにして、民之を病み苦しむ。公其の狀を得て、卽一人を捕え獲て、其の黨類を疏んぜしめ、十餘輩を得て悉く黥隸して、諸軍の盜む者遂に絕ゆ。二罪して人法を畏るることを知って、蜀乃ち大いに治まる。

歲有中貴人祠峨嵋、常留成都中數十日、誅取珍貨奇玩、例至數百萬錢、一出於民閒。公命三省其二。使者恨怒而去。公不之顧。任中遷兵部郎中、召還爲戶部副使。歲餘、以天章閣待制充陝西都轉運使、河朔謀帥。以公鎭高陽、仍進秩諫議大夫。英宗嗣位、恩升給事中。時狃於承平、治兵者鮮明紀律、而三關爲甚。公爲帥、方重嚴正、犯者頗以軍法從事、驕兵大戢。河北舊以桑麻爲產籍之高下、民懼、不敢藝植。故益貧。公奏更其法。自是絲績之利、歲歲增益。在鎭二年、邊圉帖寧、人民浹和。
【読み】
歲々中貴人峨嵋に祠るに、常に成都の中に留まること數十日にして、珍貨奇玩を誅取すること有り、例[おおむ]ね數百萬錢に至って、一に民閒に出づ。公命じて三其の二を省かしむ。使者恨み怒って而れども去る。公之を顧みず。任中兵部郎中に遷り、召されて還って戶部副使と爲る。歲餘にして、天章閣の待制を以て陝西の都轉運使、河朔の謀帥に充てらる。公を以て高陽を鎭せしめ、仍[しき]りに秩を諫議大夫に進む。英宗位を嗣いで、給事中に恩升す。時に承平に狃れて、兵を治むる者紀律を明らかにすること鮮くして、三關甚だしとす。公帥と爲って、方重嚴正にして、犯す者は頗る軍法を以て事に從って、驕兵大いに戢[おさ]まる。河北舊桑麻を以て產籍の高下を爲して、民懼れて、敢えて藝植せず。故に益々貧し。公奏して其の法を更む。是れ自り絲績の利、歲歲增益す。鎭に在ること二年にして、邊圉帖寧に、人民浹和す。

公惡邊臣之邀功啓事者、屢加裁正、遂與大臣持議不合。由是以病請解兵任、求爲江南官、徙知江寧府。潮與江寧舊多火災。迄公去未嘗作、人以爲德政之感。
【読み】
公邊臣の功を邀[もと]め事を啓く者を惡んで、屢々裁正を加えて、遂に大臣と議を持すること合わず。是に由って病を以て兵任を解かんことを請いて、求めて江南の官と爲り、徙[うつ]って江寧府に知たり。潮と江寧とは舊火災多し。公去るに迄[およ]ぶまで未だ嘗て作らず、人以て德政の感とす。

留金陵歲餘、復召權御史中丞。時追崇濮王大號、復有稱親之議。諫官御史以典禮未正、相繼論列者六七人、皆以罪去。公始拜中司、力陳其不可。且請召還言事者、上未之察、更爲疏極論其事。言益切、至英宗深加聽納、事幾施行、而大臣持之甚力。故不果。公因求解憲職、以章言者五、進見而面陳者、多至不記。會英宗不豫。公方憂懼、不復自言。
【読み】
金陵に留まること歲餘にして、復召されて權御史中丞たり。時に濮王の大號を追崇して、復親と稱するの議有り。諫官御史典禮未だ正しからざるを以て、相繼いで論列する者六七人、皆罪を以て去る。公始めて中司に拜せられて、力めて其の不可なるを陳ぶ。且請い召され還って事を言う者、上未だ之を察せず、更に疏を爲って極めて其の事を論ず。言益々切にして、英宗深く聽納を加え、事幾ど施し行われんとするに至って、大臣之を持すること甚だ力む。故に果たせず。公因りて憲職を解かんことを求めて、章を以て言う者五たび、進み見て面[まのあ]たりに陳ぶる者、多くして記せざるに至る。會々英宗不豫なり。公方に憂え懼れて、復自ら言わず。

今天子踐祚、正拜御史中丞。請裁損出入用度、務從儉約、以稱先志。上嘉納之。會御史蔣之奇奏發大臣陰事。其說蓋盛於都下。而之奇欲扳公爲助、乃曰、公嘗言之。公亦謂、帷箔之私、非外人所知、誠難究詰。然亦有以取之。故謗言一興、而人以爲信。且其首爲濮園議違典禮、以犯衆怒、不宜更在政府。而執政以之奇所論、冥昧不可質、迫公言其所從來。三問而公奏益急。且曰、風聞者以廣聰明也。今必問其所從來、因而罪之、則後無聞矣。寧甘重謫、不敢廢國家開言路之法。因極陳大臣朋黨專恣、非朝廷計。翌日、降授給事中、知黃州道。徙太平州郊祀推恩、復工部侍郎、知亳州。未滿歲、移揚州。熙寧三年、上書告老、遷戶部侍郎、致仕。朝廷憐之。故詔辭甚美。所以寵耀其終始焉。
【読み】
今の天子祚を踐んで、正に御史中丞に拜せらる。出入の用度を裁損し、務めて儉約に從って、以て先志に稱わんことを請う。上嘉して之を納る。會々御史蔣之奇奏して大臣の陰事を發す。其の說蓋し都下に盛んなり。而して之奇公を扳[ひ]いて助けとせんと欲して、乃ち曰く、公嘗て之を言えり、と。公亦謂えらく、帷箔の私、外人知る所に非ず、誠に究め詰[と]い難し。然れども亦以て之を取ること有り。故に謗言一たび興って、人以て信とす。且つ其の首め濮園の議典禮に違うとして、以て衆の怒りを犯して、宜しく更に政府に在るべからずとす。而して執政之奇が論ずる所を以て、冥昧にして質す可からずとして、公に迫って其の從って來る所を言わしむ。三たび問いて公の奏益々急なり。且つ曰く、風聞は以て聰明を廣めん、と。今必ず其の從って來る所を問いて、因りて之を罪せば、則ち後聞くこと無けん。寧ろ重謫を甘んじて、敢えて國家言路を開くの法を廢せじ、と。因りて極めて大臣の朋黨專恣、朝廷の計に非ざることを陳ぶ。翌日、給事中に降し授けられ、黃州道に知たり。太平州郊祀推恩に徙り、工部侍郎に復して、亳州に知たり。未だ歲を滿たさずして、揚州に移る。熙寧三年、上書して老を告げて、戶部侍郎に遷って、致仕す。朝廷之を憐れむ。故に詔辭甚だ美なり。其の終始を寵耀する所以なり。

公晩樂歷陽風土、遂徙居之。將歸、十一月過金陵、二十六日以疾終。享年七十有一。金陵之人奔走供事、往來哭於道路。其得人心如此。公任官四十五年、累階至某勳、某爵、某食邑若干。
【読み】
公晩に歷陽の風土を樂しみ、遂に徙って之に居す。將に歸らんとして、十一月に金陵を過り、二十六日に疾を以て終う。享年七十有一。金陵の人奔走して事に供し、往來して道路に哭す。其の人心を得ること此の如し。公官に任ずること四十五年、累階某の勳、某の爵、某の食邑若干[そこばく]に至る。

公精愼、長於政。事遇繁劇、他人若不可堪、而公處之裕然。故世稱有大體、精吏治者、必歸之公。其事業磊落、見於時者爲不少矣。然其德性之美、心術之醇、世尤尊之。蓋資稟有過於人者也。故其仁厚誠恕、出於自然。
【読み】
公精愼にして、政に長ず。事繁劇に遇って、他人は堪う可からざるが若くなれども、公之に處して裕然たり。故に世大體有りと稱して、吏治に精しき者、必ず之を公に歸す。其の事業磊落、時に見る者少なからずとす。然して其の德性の美、心術の醇、世尤も之を尊ぶ。蓋し資稟人に過ぐること有る者なり。故に其の仁厚誠恕、自然に出づ。

年八九歲時、尙書爲嶽州從事、公晨起將就學舍、得金釵於門外。公默坐其處、以伺訪者、有一吏徘徊。久之問故、果墜釵者也。公詰其狀、驗之信、則出付之。吏謝以數百金。公笑不受曰、我若欲之取、釵不過於數百金耶。吏歎駭而去。
【読み】
年八九歲の時、尙書嶽州の從事爲るとき、公晨に起きて將に學舍に就かんとして、金釵を門外に得。公其の處に默坐して、以て訪う者を伺うに、一吏有りて徘徊す。久しくして故を問うに、果たして釵を墜とす者なり。公其の狀を詰り、之を驗[ため]すに信なるときは、則ち出して之を付す。吏謝するに數百金を以てす。公笑って受けずして曰く、我れ若し之を取ることを欲せば、釵數百金に過ぎずや、と。吏歎駭して去る。

始就舉時、貧無餘貲。惟持金釧數隻、棲於旅舍。同舉者過之、衆請出釧爲翫。客有墜其一於袖閒者、公視之不言。衆莫知也。皆驚求之。公曰、數止此耳。非有失也。將去、袖釧者揖而舉手、釧墜於地。衆服公之量。
【読み】
始め舉に就く時、貧しくして餘の貲[し]無し。惟金釧數隻を持して、旅舍に棲む。同舉の者之に過れば、衆請いて釧を出して翫ぶことをせん、と。客其の一つを袖の閒に墜とす者有り、公之を視て言わず。衆知ること莫し。皆驚いて之を求む。公曰く、數此に止まるのみ。失すること有るに非ず、と。將に去らんとして、釧を袖にする者揖して手を舉ぐるに、釧地に墜つ。衆公の量に服す。

撫宗族有恩意、外甥孤女、收視之如己子、爲擇善士而嫁之。守常一、不妄遷習。與朋友交、盡信義、始卒無移改。廉潔純儉、本之天性。居母喪、貧甚。郷人爭饋之、皆謝去。風俗爲之化。後居顯仕、自奉養不改其素。平生無聲色奇巧之翫。其氣宇高爽、議論淸澹、而端莊恭謹、動必由禮。未嘗有惰慢之色、戲侮之言、見者皆知畏重。然襟度夷曠、不可澄撓。與人處、雖終歲莫見其喜怒之變。遇事明白、不事襮飾、接人無貴賤高下、一以忠信。動無疑忌、卽之溫然、有大雅之德。
【読み】
宗族を撫するに恩意有りて、外甥孤女、之を收め視ること己が子の如くにして、善士を擇んで之を嫁せしめんとす。常一を守って、妄りに遷習せず。朋友と交わるに、信義を盡くして、始卒移り改むること無し。廉潔純儉、之を天性に本づく。母の喪に居するに、貧しきこと甚だし。郷人爭って之を饋[おく]るに、皆謝し去る。風俗之が爲に化す。後顯仕に居すれども、自ら奉養すること其の素を改めず。平生聲色奇巧の翫無し。其の氣宇高爽、議論淸澹にして、端莊恭謹、動けば必ず禮に由る。未だ嘗て惰慢の色、戲侮の言有らずして、見る者皆畏れ重んずることを知る。然して襟度夷曠にして、澄撓す可からず。人と處するに、歲を終うと雖も其の喜怒の變を見ること莫し。事に遇すること明白にして、襮飾を事とせず、人に接するに貴賤高下と無く、一に忠信を以てす。動くに疑い忌むこと無、之に卽くに溫然として、大雅の德有り。

爲政本仁惠、吏民愛之如父母。惟不喜矯情悅衆、揚己取譽。常曰、牢籠之事、吾所不爲。居憲府、多所論奏、未嘗以語人。或疵其少言、惟謝之、終不自辨。每謂人曰、吾不爲他學、但幼卽學平心以待物耳。又常敎其子弟曰、吾數歲時、冬處被中、則知思天下之寒者矣。蓋源流如此。宜其仁恕之善、見於天下。
【読み】
政をすること仁惠に本づいて、吏民之を愛すること父母の如し。惟情を矯めて衆を悅ばしめ、己を揚げて譽れを取ることを喜ばず。常に曰く、牢籠の事は、吾がせざる所なり、と。憲府に居して、多く論奏する所は、未だ嘗て以て人に語らず。或は其の少言を疵[そし]らるれば、惟之を謝して、終に自ら辨ぜず。每に人に謂いて曰く、吾れ他學をせず、但幼にして卽ち心を平らかにして以て物を待つことを學ぶのみ、と。又常に其の子弟に敎えて曰く、吾れ數歲の時、冬被中に處するときは、則ち天下の寒[こご]ゆる者を思うことを知る、と。蓋し源流此の如し。宜なり其の仁恕の善、天下に見ること。

自朝廷至於士人、推其誠長者、至其持守剛勁、不可毫髮遷奪、喜善嫉惡、勇於斷決、不爲勢利誘、不以威武移。潮州州宅、舊傳多怪。前後守臣無寧處者。公迄去、未嘗問其有無。其達理守正若此。凜乎其丈夫也。故歷事三朝、人主信之。
【読み】
朝廷自り士人に至るまで、其の誠に長ずる者を推すに、其の持し守ること剛勁にして、毫髮も遷し奪う可からず、善を喜して惡を嫉[うら]んで、斷決に勇み、勢利の爲に誘われず、威武を以て移されざるに至る。潮州の州宅、舊傳う怪しき多し、と。前後の守臣寧んじ處する者無し。公去るに迄ぶまで、未だ嘗て其の有無を問わず。其の理に達し正を守ること此の若し。凜乎たる其の丈夫なり。故に三朝に歷事して、人主之を信ず。

公娶晏氏。故相元憲公之姪、而刑部侍郎諱容之子也。封延安郡君。有賢行、爲宗黨所尊。二男、長曰衛。前趙州軍事判官。孝謹和厚、以親老不忍去左右、解官歸侍者十年矣。次曰衍。俊敏有高才、方舉進士而卒。五女子、長適知鄂州嘉魚縣胡從、次適宜春李伯英、次卽顥之室、又次適太常博士田祐、次適著作佐郎齊域而歸。李氏・齊氏者皆早世。孫四人、曰該、曰諮。竝試將作監主簿。詢・訢尙幼。孫女五人、倶未嫁。
【読み】
公晏氏を娶る。故[もと]の相元憲公の姪にして、刑部侍郎諱は容の子なり。延安郡君に封ぜらる。賢行有りて、宗黨の爲に尊びらる。二男、長を衛と曰う。前の趙州の軍事判官たり。孝謹和厚にして、親老いたるを以て左右を去るに忍びず、官を解いて歸り侍する者十年なり。次を衍と曰う。俊敏にして高才有り、方に進士に舉げられて卒す。五女子、長は知鄂州嘉魚縣の胡從に適き、次は宜春の李伯英に適き、次は卽ち顥が室、又次は太常博士田祐に適き、次は著作佐郎齊域に適いて歸る。李氏・齊氏は皆早世せり。孫四人、該と曰い、諮と曰う。竝びに將作監主簿に試[もち]いらる。詢・訢[きん]尙幼し。孫女五人、倶に未だ嫁せず。

公終之明年、嗣子將以某月某日、奉公之喪、葬於和州歷陽縣某郷某里某地。前期、得公之官次行事於其家。若公之道德、則顥所親炙而知者。謹加編錄、請求誌於盛德君子、以圖不朽。謹狀。
【読み】
公終うるの明年、嗣子將に某の月某の日を以て、公の喪を奉じて、和州歷陽縣某の郷某の里某の地に葬る。前期、公の官次行事を其の家に得。公の道德の若きは、則ち顥親炙して知る所の者なり。謹んで編錄を加え、請いて盛德の君子を誌して、以て不朽を圖らんことを求む。謹んで狀す。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)