二程全書卷之五十七  明道先生文四

墓誌

程邵公墓誌

邵公、廣平程顥之次子也。生於治平始元仲秋之四日、死於熙寧首禩仲夏之十四日。越三日、藏(一作葬。)之於伊陽縣神陰郷祖塋之東。邵公、其幼名也。端愨、其名也。
【読み】
邵公は、廣平程顥の次子なり。治平始元仲秋の四日に生まれ、熙寧首禩仲夏の十四日に死す。越[ここにおい]て三日、之を伊陽縣神陰郷祖塋の東に藏む(一に葬に作る。)。邵公は、其の幼名なり。端愨は、其の名なり。

生而有奇質、未滿歲而溫粹端重之態、完然可愛。聰明日發、而方厚淳美之氣益備。其始言也、或授之以詩。率未三四過、卽已成誦矣。久亦不復忘去。雖警悟俊穎、若照徹内外、而出之從容。故敏於見知、而安於言動。坐立必莊謹、不妄瞻視。未嘗有戲慢之色。孝友信讓之性、蓋出於自然。與人言則溫然。及其有所不爲、則確乎其守也。大凡其心有所許、後雖以百事誘迫、終不復移矣。日視群兒相與狎弄歡笑跳梁於前、泊乎如不聞知。雖有喜相侵暴者、亦莫之敢侮。蓋厥生五年、而人不見其有喜怒好欲。是豈特異於常兒哉。皆老於學者之所難能也。而吾兒之資乃成於生之初。嗚呼、使其降年之永、則吾不知其所至也。吾弟頤亦以斯文爲己任。嘗意、是兒當世吾兄弟之學。今則已矣。則吾之慟、亦不特以父子之親也。
【読み】
生まれて奇質有り、未だ滿歲ならずして溫粹端重の態、完然として愛す可し。聰明日に發して、方厚淳美の氣益々備わる。其の始めて言うとき、或るひと之に授くるに詩を以てす。率ね未だ三四過ならずして、卽已に誦を成す。久しくして亦復忘れ去らず。警悟俊穎、内外に照徹するが若しと雖も、之を出すこと從容なり。故に見知に敏くして、言動に安し。坐立必ず莊謹にして、妄りに瞻視せず。未だ嘗て戲慢の色有らず。孝友信讓の性、蓋し自然に出づ。人と言うときは則ち溫然たり。其のせざる所有るに及んでは、則ち確乎として其れ守る。大凡其の心許す所有れば、後百事を以て誘い迫ると雖も、終に復移らず。日に群兒相與に狎れ弄んで前に歡笑跳梁するを視るとも、泊乎として聞知せざるが如し。喜んで相侵暴する者有りと雖も、亦之を敢えて侮ること莫し。蓋し厥の生まれて五年までにして、人其の喜怒好欲有ることを見ず。是れ豈特常兒に異なるのみならんや。皆學に老いたる者の能くし難き所なり。而も吾が兒の資は乃ち生の初めに成る。嗚呼、其をして年を降すこと永からしめば、則ち吾れ其の至る所を知らじ。吾が弟頤も亦斯の文を以て己が任とす。嘗て意えり、是の兒當に吾れ兄弟の學を世[つ]ぐべし、と。今は則ち已んぬるかな。則ち吾が慟[なげ]き、亦特父子の親を以てするのみにあらざるなり。

夫動靜者陰陽之本。況五氣交運、則益參差不齊矣。賦生之類、宜其雜揉者衆、而精一者閒或値焉。以其閒値之難、則其數或不能長、亦宜矣。吾兒其得氣之精一、而數之局者歟。天理然矣。吾何言哉。以其葬日之迫、刊刻之不暇也。惟砂書於磚、以誌其壙。
【読み】
夫れ動靜は陰陽の本なり。況んや五氣交々運するときは、則ち益々參差として齊しからず。賦生の類、宜なり其の雜揉なる者衆くして、精一なる者閒[まま]或は値[あ]えること。其の閒値えるの難きを以て、則ち其の數或は長ずること能わざるも、亦宜なるかな。吾が兒其れ氣の精一を得て、而して數の局[せぐくま]れる者か。天理然り。吾れ何を言わんや。其の葬日の迫るを以て、刊刻するに暇あらず。惟磚[せん]に砂書して、以て其の壙に誌す。


程殿丞墓誌銘

程氏居永寧之博野。土風渾厚、世以忠廉孝謹聞。少師貴重於朝、始賜第京師、爲開封人。世風不衰、子孫多好善。如吾叔父、可謂能守其家法者矣。叔諱瑜、字叔寶。少師諱羽、淸河太君張氏、襄陵太君賈氏之曾孫、尙書虞部員外郎諱希振、高密縣君崔氏之孫、贈大理寺丞諱道、天水趙氏、長壽縣太君任氏之子。
【読み】
程氏永寧の博野に居す。土風渾厚にして、世々忠廉孝謹を以て聞こゆ。少師朝に貴重せられて、始めて第を京師に賜って、開封人と爲る。世風衰えず、子孫多くは善を好む。如して吾が叔父、能く其の家法を守る者なりと謂う可し。叔諱は瑜、字は叔寶。少師諱は羽、淸河太君張氏、襄陵太君賈氏の曾孫、尙書虞部員外郎諱は希振、高密縣君崔氏の孫、贈大理寺丞諱は道、天水の趙氏、長壽縣の太君任氏の子なり。

少以族兄廣平文簡公廕試將作監主簿、未冠、爲荆南監利尉、卽以幹敏稱。再調永州零陵簿、益以才著。時谿蠻嘯動、焚劫縣邑。道州寧遠最當賊衝。部使者命公攝令事。至止之日、邑無城壁、府無兵械。公經營創治、夜以繼日、完集。未幾蠻寇大至、設長圍以逼城。公激勵士卒、躬冒矢石、捍守累日、以奇兵由水中旁出賊後。合戰甚苦、賊乃敗去。旣而同守者皆論功丐賞。公曰、城守吾事也。城獲完足矣。尙當以爲利乎。卒不自言。
【読み】
少くして族兄廣平文簡公將作監主簿に廕試するを以て、未だ冠せずして、荆南の監利尉と爲って、卽ち幹敏を以て稱せらる。再び永州零陵の簿に調[うつ]されて、益々才を以て著る。時に谿蠻嘯動して、縣邑を焚劫す。道州の寧遠最も賊衝に當たる。部使者公に命じて令の事を攝らせしむ。至り止まるの日、邑に城壁無く、府に兵械無し。公經營創治、夜以て日に繼ぎ、完く集む。未だ幾ならずして蠻寇大いに至り、長圍を設けて以て城に逼る。公士卒を激勵し、躬ら矢石を冒して、捍[ふせ]ぎ守ること累日、奇兵を以て水中の旁由り賊の後に出づ。合戰甚だ苦しんで、賊乃ち敗れ去る。旣にして同守の者皆功を論じ賞を丐[こ]う。公曰く、城守は吾が事なり。城完きことを獲て足れり。尙當に以て利を爲すべけんや、と。卒に自ら言わず。

代還、得爲汝州龍興令。計省言其材、遂監解州鹽池、歲課羨溢。改大理寺丞、簽書礠州判官公事。太守武人不知爲政、公從容開贊、一郡大治。事雖出公、而人莫窺其跡。謙晦不伐、率皆此類。
【読み】
代わり還って、汝州龍興の令爲ることを得。計省其の材を言いて、遂に解州の鹽池に監として、歲課羨溢す。大理寺丞、簽書礠州の判官公事に改めらる。太守武人政を爲むることを知らず、公從容として開贊して、一郡大いに治まる。事公に出づと雖も、人其の跡を窺うこと莫し。謙晦して伐らざること、率ね皆此の類なり。

以年勞、升太子贊善大夫、賜五品服。就移知邛州依政縣。時長壽太君春秋高。公懼有遠行之勞、卽上書願就監臨、以便奉養。改舒州皖口監轄。乃以考課遷殿中丞。還朝、知濮州雷澤縣。未行、暴疾、終於京師。實嘉祐七年三月十八日也。
【読み】
年々勞するを以て、太子の贊善大夫に升られ、五品の服を賜う。就き移って邛州依政縣に知たり。時に長壽太君春秋高し。公遠行の勞有らんことを懼れて、卽ち上書して監臨に就いて、以て奉養に便せんことを願う。舒州皖口の監轄に改めらる。乃ち考課を以て殿中丞に遷る。朝に還って、濮州雷澤縣に知たり。未だ行かずして、暴[にわか]に疾んで、京師に終う。實に嘉祐七年三月十八日なり。

公姿儀偉秀、風度平雅、端莊謹厚、不妄言笑、進退動止、皆有法度、衣冠整理、望之肅然。三歲而孤。長壽太君教養嚴至。恂恂奉事、恪恭朝夕、未嘗少懈。善與人交、久而益篤。嗚呼、行足以勵俗、才足以有爲。不幸短命、未究所施。歿之年方四十三矣。
【読み】
公姿儀偉秀、風度平雅、端莊謹厚にして、妄りに言笑せず、進退動止、皆法度有り、衣冠整理して、之を望めば肅然たり。三歲にして孤なり。長壽太君教養嚴かに至る。恂恂として奉事し、朝夕に恪[つつし]み恭しくして、未だ嘗て少しも懈らず。善く人と交わるに、久しくして益々篤し。嗚呼、行い以て俗を勵ますに足り、才以てすること有るに足れり。不幸短命にして、未だ施す所を究めず。歿するの年方に四十三なり。

公娶張氏。封福昌縣君。和慈孝睦、族人推其賢。三子、曰預、以疾廢。曰顗、曰顓、皆爲儒學。三女、長適前常州軍事推官王師古、仲適襄陵賈芮、季適汝南周純明。
【読み】
公張氏を娶る。福昌縣君に封ぜらる。和慈孝睦にして、族人其の賢を推す。三子あり、預と曰うは、疾を以て廢す。顗[ぎ]と曰い、顓[せん]と曰うは、皆儒學を爲む。三女あり、長は前の常州の軍事推官王師古に適き、仲は襄陵の賈芮に適き、季は汝南の周純明に適く。

熙寧二年八月丙申、公之從兄司農、葬公於河南府伊陽縣神陰郷先塋之次。顥以父命、得預役事、又掇公之官世行業而爲之誌、旣又繫之以銘曰、
【読み】
熙寧二年八月丙申、公の從兄司農、公を河南府伊陽縣神陰郷先塋の次に葬る。顥父の命を以て、役の事に預ることを得、又公の官世行業を掇って之が誌を爲り、旣に又之に繫くるに銘を以てして曰く、

謹於奉親、勤於事君、端於立身、無愧乎古人。山可夷、谷可堙、斯言不泯。
【読み】
親に奉ずるに謹み、君に事うるに勤め、身を立つるに端しくして、古人に愧づること無し。山夷[たい]らかなる可く、谷堙[ふさ]がる可くとも、斯の言泯びじ、と。


李寺丞墓誌銘

予友李君仲通、諱敏之、世居北燕。高祖避亂南徙。今爲濮人。丞相文定公迪、乃其世父也。曾祖令珣、祖護、皆以丞相。故贈太師尙書令。考遜用子貴、贈吏部尙書。
【読み】
予が友李君仲通、諱は敏之、世々北燕に居す。高祖亂を避けて南に徙る。今濮人爲り。丞相文定公迪は、乃ち其の世父なり。曾祖令珣、祖護、皆以て丞相たり。故に太師尙書令を贈らる。考遜子貴きを用て、吏部尙書を贈らる。

仲通生而有賢資、端厚仁恕、見於孩提之時。舉動齊整、不妄言笑、燕居終日、泊然而無惰容。望之者皆知其君子人矣。與人言、無隱情。惟聞人之過則未嘗復出於口。安靖寡欲、居貧守約、裕如也。好古力學、博觀群書。尤精於春秋・詩・易。其後所得、殊爲高深。方勇勵自進、不幸短命。惜夫未見其止也。死之年纔三十矣。
【読み】
仲通生まれて賢資有り、端厚仁恕、孩提の時に見る。舉動齊整にして、妄りに言笑せず、燕居終日、泊然として惰容無し。之を望む者皆其の君子人なることを知る。人と言うに、隱情無し。惟人の過ちを聞けば則ち未だ嘗て復口に出さず。安靖にして欲寡く、貧に居し約を守って、裕如たり。古を好んで力め學んで、博く群書を觀る。尤も春秋・詩・易に精し。其の後得る所、殊に高深なりとす。勇勵して自ら進むに方って、不幸短命なり。惜しいかな未だ其の止むを見ざることを。死する年纔かに三十なり。

仲通之德、蓋完於天成、孝友之性、尤爲絕異。侍太夫人疾、衣不解帶者累月、及居喪、哀毀過甚。中外數百口、上愛下信、人無閒言。群從聚居、臧獲使令者衆、雖馭之過嚴、不能使之無犯。惟偶爲仲通所責、則其人必慚悵、累日痛自飭勵。及仲通之亡、濮之人無賢不肖、皆失聲痛惜、或爲隕涕。非至誠及物、其能有是乎。
【読み】
仲通の德、蓋し天成に完くして、孝友の性、尤も絕異とす。太夫人の疾に侍して、衣帶を解かざる者累月、喪に居るに及んで、哀毀過ぐること甚だし。中外數百口、上愛し下信じて、人言を閒[あや]しむこと無し。群從聚居し、臧獲使令の者衆くして、之を馭すること過嚴なりと雖も、之をして犯すこと無からしむること能わず。惟偶々仲通の爲に責めらるるときは、則ち其の人必ず慚悵して、累日痛めて自ら飭勵す。仲通の亡ぶるに及んで、濮の人賢不肖と無く、皆聲を失して痛惜し、或は爲に涕を隕とす。至誠物に及ぶに非ずんば、其れ能く是れ有らんや。

仲通外甚和易、遇物如恐傷之。雖家人未始見其喜怒。及其出辭氣、當事爲、則莊厲果斷、不可以非義回屈。始用蔭補郊社齋郎。調虔州瑞金縣主簿。會劇賊戴小八攻害數邑。朝廷患之、命御史督視。仲通時承尉乏、與其令謀曰、劉右鶻・石門羅姓者、皆健賊。詔捕之累年矣。小八不能連二盜以自張。吾知其無能爲也。當說使自効、則賊爲不足破矣。乃遣人諭二盜。皆曰、我服李君仁信久矣。願爲之死。然召我亦有以爲信乎。仲通卽以其符誥與之、且約曰、某日當以甲二百來見我於邑中。衆皆恐懼。仲通曰、彼欲爲惡、雖不召將至。且吾信於邑人。彼亦吾人也。何憚乎。乃將二盜與之周旋、卒得其死力、遂斬小八、盡平其黨。朝廷嘉之、遷衛尉寺丞、仍升一任。御史用閒者言、將誅劉・羅二黨。仲通以爲、失信不義。抗論甚力、久始見從。仲通又自言於朝、請因其立功、縻以冗職、可絕後患。書奏不報。其羅姓者、果復爲害。
【読み】
仲通外甚だ和易にして、物に遇えば之を恐れ傷むが如し。家人と雖も未だ始めより其の喜怒を見ず。其の辭氣を出し、事爲に當たるに及んでは、則ち莊厲果斷、非義を以て回屈す可からず。始め用られて郊社齋郎に蔭補せらる。虔州瑞金縣の主簿に調る。會々劇賊戴小八數邑を攻害す。朝廷之を患えて、御史に命じて督視せしむ。仲通時に尉の乏しきに承って、其の令と謀って曰く、劉右鶻・石門羅姓の者は、皆健賊なり。詔して之を捕うること累年なり。小八は二盜を連ねて以て自ら張ること能わず。吾れ其の能くすること無きことを知れり。當に說いて自ら効[いた]さしむべきときは、則ち賊破るに足らずとす、と。乃ち人を遣わして二盜に諭す。皆曰く、我れ李君の仁信に服すること久し。願わくは之が爲に死せん。然れども我を召すに亦以て信を爲すこと有りや、と。仲通卽ち其の符誥を以て之に與え、且約して曰く、某の日當に甲二百を以て來りて我に邑中に見ん、と。衆皆恐れ懼る。仲通曰く、彼惡をせんと欲せば、召さずと雖も將至らん。且つ吾れ邑人に信ぜらる。彼も亦吾人なり。何ぞ憚らんや、と。乃ち二盜を將って之と周旋して、卒に其の死力を得て、遂に小八を斬って、盡く其の黨を平らぐ。朝廷之を嘉して、衛尉寺丞に遷し、仍って一任に升る。御史閒を用うる者言く、將に劉・羅の二黨を誅せんとす、と。仲通以爲えらく、信を失するは不義なり、と。論を抗げて甚だ力めて、久しくして始めて從わる。仲通又自ら朝に言して、其の功を立つるに因って、縻[つな]ぐに冗職を以てして、後の患えを絕つ可しと請う。書奏して報あらず。其の羅姓の者、果たして復害を爲す。

仲通宰江寧之上元、有古循吏之風。邑之舊田稅不均、貧弱受其弊。仲通爲法以平之。豪猾惡其害己、共爲謗語、借勢於上官以搖其事。人皆爲仲通危。仲通堅處不變。未滿歲而所均者萬七(一作二。)千室。事業雖百未一施、概是二節、則高明之見、剛勇之氣、發於事者、亦可知已。
【読み】
仲通江寧の上元に宰として、古の循吏の風有り。邑の舊田稅均しからずして、貧弱其の弊を受く。仲通法を爲して以て之を平らかにす。豪猾其の己を害することを惡んで、共に謗語を爲し、勢を上官に借りて以て其の事を搖す。人皆仲通の爲に危うしとす。仲通堅く處して變ぜず。未だ滿歲ならずして均しくする所の者萬七(一に二に作る。)千室なり。事業百と雖も未だ一々施さず。概ね是の二節は、則ち高明の見、剛勇の氣、事に發する者、亦知る可きのみ。

嗚呼、人非有古今之殊、特患夫忽近而慕遠耳。如吾仲通之材之美、古獨可以多乎哉。向若天假之年、成就其所學、自當無愧於古人。況使得與古之人竝、而親炙於聖人之時乎。則吾知其果不後曾・閔之列矣。
【読み】
嗚呼、人古今の殊なり有るに非ず、特夫の近きを忽にして遠きを慕うことを患うるのみ。吾が仲通の材の美なるが如き、古獨り以て多かる可けんや。向[さき]に若し天之に年を假して、其の學ぶ所を成就せしめば、自づから當に古人に愧づること無かるべし。況んや古の人と竝んで、聖人の時に親炙することを得せしむるをや。則ち吾れ知んぬ、其の果たして曾・閔の列に後れざらんことを。

仲通以治平三年五月終於家。熙寧七年二月庚寅、葬於濮州鄄城縣遺直郷之先塋。夫人王氏附焉。夫人、太子中舍杲之女、賢慧靖淑、雅有法度。及寡居、益自晦重、素衣一食以終身焉。蓋後仲通六年而亡。仲通嘗生二女。皆夭、卒無子。以兄之子孝和爲嗣。
【読み】
仲通治平三年五月を以て家に終う。熙寧七年二月庚寅、濮州鄄城[けんじょう]縣遺直郷の先塋に葬る。夫人王氏附す。夫人は、太子の中舍杲[こう]の女、賢慧靖淑にして、雅[もと]より法度有り。寡居に及んで、益々自ら晦重して、素衣一食して以て身を終う。蓋し仲通に後るること六年にして亡ぶ。仲通嘗て二女を生む。皆夭して、卒に子無し。兄の子孝和を以て嗣とす。

仲通平生相知之深者莫如予。故將葬、其家以誌文來屬。其可辭乎。銘曰、
【読み】
仲通平生相知るの深き者は予に如くは莫し。故に將に葬らんとして、其の家誌文を以て來り屬す。其れ辭す可けんや。銘に曰く、

二氣交運兮、五行順施。剛柔雜揉兮、美惡不齊。稟生之類兮、偏駁其宜。有鍾粹美(一作純粹。)兮、會元之期。聖雖可學(一作學作。)兮、所貴者資。便儇皎厲兮、去道遠而。展矣仲通兮、賦材特奇。進復甚勇兮。其造可知。德何完兮命何虧。秀而不實聖所悲。孰能使我無愧辭。後欲有考觀銘詩。
【読み】
二氣交々運して、五行順施す。剛柔雜揉にして、美惡齊しからず。稟生の類、偏駁其れ宜なり。粹美(一に純粹に作る。)を鍾[あつ]むること有るは、會元の期。聖學ぶ(一に學作に作る。)可しと雖も、貴ぶ所の者は資なり。便儇[べんけん]皎厲[こうれい]、道を去ること遠し。展[まこと]なるかな仲通、賦材特奇。進むこと復甚だ勇なり。其の造ること知んぬ可し。德何ぞ完く命何ぞ虧く。秀でて實らざるは聖の悲しむ所。孰か能く我をして辭を愧づること無からしめん。後銘詩を考え觀ること有らんことを欲す、と。


程郎中墓誌

公諱璠、字仲韞、姓程氏、世居中山之博野。宋興、先少師以勳德顯重、賜第京師、始爲開封人。少師諱羽、其媲曰淸河太君張氏、襄陵太君賈氏。是生虞部府君諱希振。娶博陵崔氏、封高密縣君、是生尙書府君諱遹。公卽尙書之仲子、母曰孝感太君、長安太君、皆張氏。
【読み】
公諱は璠、字は仲韞、姓は程氏、世々中山の博野に居す。宋興って、先の少師勳德を以て顯重せられて、第を京師に賜い、始めて開封人と爲る。少師諱は羽、其の媲[つま]を淸河太君張氏、襄陵太君賈氏と曰う。是に虞部府君諱は希振を生む。博陵の崔氏、封高密縣君を娶って、是に尙書府君諱は遹[いつ]を生む。公は卽ち尙書の仲子、母を孝感太君、長安太君と曰い、皆張氏なり。

公生數歲而孤、教養於伯兄。十六、以族兄廣平文簡公蔭試將作監主簿、始冠、爲常州戶曹掾。時朝廷遣使安撫二浙。表言公才、就除明州司法。力抗暴守、數活疑獄。
【読み】
公生まれて數歲にして孤にして、伯兄に教養せらる。十六にして、族兄廣平文簡公將作監主簿に蔭試するを以て、始めて冠して、常州の戶曹掾と爲る。時に朝廷使を遣わして二浙を安撫せしむ。表して公の才を言いて、就いて明州の司法に除せらる。力めて暴守を抗して、數々疑獄を活かす。

當途者交薦之、遂改京官、知壽州安豐。邑富、多强猾、小民困於浸漁。爲令者常苦其難制。公至未幾、皆斂手莫敢犯、盜賊亦越逸他境。增治芍陂、以廣灌漑、人賴其賜。道路謠頌、聞於京師。大豪陳順謀去其母、紿之醉、宿旁舍、因誣以爲嫁、使其黨證之。公察其情、卽命捕置、果已亡去。權至能使監司移其獄。公拒弗與、根索益急。順乃持金謂審官吏、謀去公以緩其事。吏卽爲謾奏、移公興元府西縣。公具得行賂狀。人或勸公辨之朝。公曰、吾豈與吏辨者乎。曹吏以謬誤自陳、得改洪州之豐城。江水嘗環城、人大饑。邑豪吳氏以貲得官藏粟閉糴。公召諭之、不從。謂曰、民餓且死、令亦不敢自保祿位。當杖爾以取之。吳氏大懼、哀祈請命。於是富人爭出粟、民用以濟。
【読み】
當途の者交々之を薦めて、遂に京官に改められて、壽州の安豐に知たり。邑の富、多くは强猾にして、小民浸漁に困しめらる。令爲る者常に其の制し難きに苦しむ。公至って未だ幾ならざるに、皆手を斂めて敢えて犯すこと莫く、盜賊も亦他境に越逸す。芍陂[しゃくひ]を增治して、以て灌漑を廣めて、人其の賜に賴る。道路の謠頌、京師に聞こゆ。大豪陳順其の母を去らんことを謀って、之を紿[いつわ]りて醉わせて、旁舍に宿せしめ、因りて誣いて以て嫁すと爲して、其の黨をして之を證せしむ。公其の情を察して、卽ち命じて捕え置くに、果たして已に亡げ去る。權に至って能く監司をして其の獄を移さしめんとす。公拒んで與せずして、根索益々急なり。順乃ち金を持して審らかなることを官吏に謂いて、公を去って以て其の事を緩くせんことを謀る。吏卽ち謾奏することを爲して、公を興元府の西縣に移す。公具に賂を行う狀を得。人或は公之を朝に辨ぜんことを勸む。公曰く、吾れ豈吏と辨ずる者ならんや、と。曹吏謬誤を以て自ら陳べて、洪州の豐城に改むることを得。江水嘗て城を環って、人大いに饑ゆ。邑豪吳氏貲を以て官藏の粟を得て閉糴す。公召して之を諭すに、從わず。謂いて曰く、民餓えて且つ死なば、令も亦敢えて自ら祿位を保たず。當に爾を杖して以て之を取るべし、と。吳氏大いに懼れて、哀祈して命を請う。是に於て富人爭って粟を出して、民用て以て濟う。

以謀葬其先世、求知河南伊闕縣。秩滿、簽書河東節度判官公事、丁長安太君憂。服除、知永安縣。兼陵臺令、奉陵寢。皆中貴人。前令多務姑息、往往侵暴邑人。公待之有方、皆斂戢就法度内。韓贄守洛、醜公正直、誣以非罪。洛人不直其事、讙聞道路、而公卒不自辨。還朝、通判和州。
【読み】
其の先世を葬ることを謀るを以て、求めて河南の伊闕縣に知たり。秩滿ちて、簽書河東の節度判官公事たるとき、長安太君の憂に丁[あ]たる。服除いて、永安縣に知たり。陵臺の令を兼ねて、陵寢を奉ず。皆中貴人なり。前の令多く姑息を務めて、往往に邑人を侵暴す。公之を待つこと方有り、皆斂め戢めて法度の内に就かしむ。韓贄洛に守たるとき、公の正直を醜んで、誣うるに罪に非ざるを以てす。洛人其の事を直とせずして、讙しく道路に聞こゆれども、公卒に自ら辨ぜず。朝に還って、和州に通判たり。

先是、蔡州妖尼惠普、以左道惑衆。數年之閒、四方響動、奔走奉事、唯恐不至。其後奸跡暴露。有司猶薄其罪、但坐杖、皆羈置歷陽。時朝廷當有赦、惠普卽詐疾以俟、卒得免杖。人皆神之、謂果不可得而刑也。居和未久、崇奉者稍稍自遠而至、郡守禮之甚謹。公始戾止、會守以謫去、權領郡事。一日捽至庭下、布獄械於前、使具道所以罔人之狀。故其奸謀詭說、皆掀揭呈露。乃正其罪而刑之。有識之士以謂、微公之斷、不能解天下之惑。有李洞元者、爲神怪之說、妄言受知昭陵、嘗以金字書賜之。江・淮之閒、從者如市。公亦按置於法。由是遠近悚服。
【読み】
是より先、蔡州の妖尼惠普、左道を以て衆を惑わす。數年の閒、四方響動して、奔走奉事す、唯恐れらくは至らざらんことを、と。其の後奸跡暴露す。有司猶其の罪を薄しとして、但坐杖して、皆歷陽に羈置せんとす。時に朝廷赦有るに當たって、惠普卽ち詐り疾んで以て俟って、卒に杖を免るることを得。人皆之を神として、謂えらく、果たして得て刑す可からざるなり、と。和に居ること未だ久しからざるに、崇奉する者稍稍と遠き自り至って、郡守之を禮すること甚だ謹めり。公始めて戾り止まるとき、會々守謫せられ去るを以て、權に郡事を領す。一日捽[つか]んで庭下に至らしめ、獄械を前に布いて、具に人を罔うる所以の狀を道わしむ。故に其の奸謀詭說、皆掀揭[けんけい]呈露す。乃ち其の罪を正して之を刑す。有識の士以謂えらく、公の斷微くんば、天下の惑いを解くこと能わじ、と。李洞元という者有り、神怪の說を爲して、妄言して昭陵に知られ、嘗て金字の書を以て之に賜う。江・淮の閒、從う者市の如し。公亦法を按置す。是に由って遠近悚服す。

復通判隰州、歲大饑。力爲賑助、所存活者甚衆。熙寧乙卯夏四月、代還。甲申、以疾終于河南。享年五十七。
【読み】
復隰州に通判たるとき、歲大いに饑ゆ。力めて賑助を爲して、存活する所の者甚だ衆し。熙寧乙卯夏四月、代わり還る。甲申、疾を以て河南に終う。享年五十七なり。

公資質瑰壯、明辨剛決、接人誠厚、動有恩意、輕財好義、中懷豁如。材長於治民、嚴而有愛、敏而不苛、區繁剸劇、常有餘裕。其所斷獄、人自以爲不冤。故前所涖去久而人思之。識用高爽、有大過人者。凡是山川道途、人物名氏、目所一見、耳所暫聞、閱年雖多、不復忘廢。豐城大邑、公爲之三年、識其民且半。其餘政事條理、從可知矣。
【読み】
公資質瑰壯、明辨剛決、人に接すること誠厚にして、動[ややもす]れば恩意有り、財を輕んじ義を好んで、中懷豁如たり。材民を治むるに長じて、嚴にして愛有り、敏にして苛ならず、繁を區[わか]ち劇を剸[き]って、常に餘裕有り。其の獄を斷[さだ]むる所、人自ら以て冤あらずとす。故に前に涖み去る所久しくして人之を思う。識用高爽、大いに人に過ぎたる者有り。凡そ是の山川道途、人物名氏、目一たび見る所、耳暫く聞く所、年を閱[へ]ること多しと雖も、復忘廢せず。豐城の大邑、公之を爲むること三年にして、其の民を識ること且に半ばならんとす。其の餘の政事條理、從って知る可し。

官自衛尉寺丞九遷爲比部郎中、以年勞賜五品服。始娶倪氏。事姑不謹。公以義罷遣。繼以曹氏。魏襄悼公利用之孫、封仁壽縣君。二子、曰顧、曰頁。皆太廟齋郎。四女、長適國子博士張昭立、次早亡。其二未嫁。
【読み】
官衛尉寺丞自り九たび遷されて比部郎中と爲り、年勞を以て五品の服を賜う。始め倪氏を娶る。姑に事うること謹まず。公義を以て罷め遣る。繼ぐに曹氏を以てす。魏の襄悼公利用の孫、仁壽縣君に封ぜらる。二子あり、顧と曰い、頁と曰う。皆太廟の齋郎たり。四女あり、長は國子博士張昭立に適き、次は早く亡ぶ。其の二りは未だ嫁せず。

公平生不惑流俗邪妄之說、常曰、吾死、愼勿爲浮屠事及用陰陽拘忌之術。公歿、家人奉以從事。熙寧十年仲秋丙申、公兄司農葬公河南府伊陽縣神陰郷、祔於先塋。且命顥論公之官世才行以誌其墓。
【読み】
公平生流俗邪妄の說に惑わず、常に曰く、吾れ死せば、愼んで浮屠の事を爲し及び陰陽拘忌の術を用うること勿かれ、と。公歿して、家人奉じて以て從事す。熙寧十年仲秋丙申、公の兄司農公を河南府伊陽縣神陰郷に葬って、先塋に祔す。且顥に命じて公の官世才行を論じて以て其の墓に誌さしむ。


澶娘墓誌銘(徐本無銘字。)
【読み】
澶娘[せんじょう]墓誌銘(徐本銘の字無し。)

澶娘、廣平程顥之幼女也。其父佐澶淵軍而生。故命之曰澶。其第四十七、生於熙寧四年季秋之丁未、死於十年季夏之壬午。其質端而厚、其氣溫而良、其舉動知思、安靜沉遠、殆如老成。衆皆意其福且壽。事固有莫可計者。命矣夫。
【読み】
澶娘は、廣平の程顥が幼女なり。其の父澶淵軍に佐として生む。故に之を命じて澶と曰う。其の第四十七、熙寧四年季秋之丁未に生まれ、十年季夏之壬午に死す。其の質端しくして厚く、其の氣溫やかにして良く、其の舉動知思、安靜沉遠なること、殆ど老成の如し。衆皆其の福あって且つ壽からんことを意う。事固に計る可きこと莫き者有り。命なるかな。

始病痘瘡、工藥之過劑(一作劇。)。善醫者論之曰、痘瘡之初、誠欲利者也。然當視其氣之彊弱、爲藥之可否、疾之重輕、爲劑之大小。今概以大藥下之。宜其死也。噫、是亦命歟。人理之未至、吾容當責命於天。言之以爲世戒云耳。悲夫。
【読み】
始め痘瘡を病んで、工之に藥すること劑(一に劇に作る。)を過つ。醫を善くす者之を論じて曰く、痘瘡の初めは、誠に利せんことを欲する者なり。然れども當に其の氣の彊弱を視て、藥の可否を爲し、疾の重輕、劑の大小を爲すべし、と。今概ね大藥を以て之を下す。宜なり其の死すること。噫、是れ亦命か。人理の未だ至らざる、吾れ當に命を天に責む容けんや。之を言いて以て世の戒めとすと云うのみ。悲しいかな。

澶娘旣死七十五日、而葬於河南伊陽縣神陰郷先塋之東、與其姊嬌兒同兆(一作穴。)。銘曰、
【読み】
澶娘旣に死して七十五日にして、河南伊陽縣神陰郷先塋の東に葬って、其の姊嬌兒と兆(一に穴に作る。)を同じくす。銘に曰く、

合而生、非來、盡而死、非往。然而精氣本於天、形魄歸於地。謂之往亦可矣。
【読み】
合って生まるるも、來るに非ず、盡きて死するも、往くに非ず。然れども精氣は天に本づき、形魄は地に歸す。之を往くと謂うも亦可なり、と。


邵堯夫先生墓誌銘

熙寧丁巳孟秋癸丑、堯夫先生疾終於家。洛之人弔哭者、相屬於途。其尤親且舊者、又聚謀其所以葬。先生之子泣以告曰、昔先人有言、誌於墓者、必以屬吾伯淳。噫、先生知我者。以是命我。我何可辭。
【読み】
熙寧丁巳孟秋癸丑、堯夫先生疾んで家に終う。洛の人弔哭する者、途に相屬く。其の尤も親しくして且つ舊なる者、又聚まって其の葬る所以を謀る。先生の子泣いて以て告げて曰く、昔先人言えること有り、墓に誌すことは、必ず以て吾が伯淳に屬せよ、と。噫、先生は我を知る者なり。是を以て我に命ず。我れ何ぞ辭す可けん。

謹按、邵本姬姓、係出召公。故世爲燕人。大王父令進、以軍職逮事藝祖、始家衡漳。祖德新、父古、皆隱德不仕。母李氏、其繼楊氏。先生之幼、從父徙共城、晩遷河南、葬其親於伊川。遂爲河南人。先生生於符祥辛亥。至是蓋六十七年矣。雍、先生之名、而堯夫其字也。娶王氏。伯溫・仲良、其二子也。
【読み】
謹しんで按ずるに、邵は本姬姓、係召公より出づ。故に世々燕人爲り。大王父令進、軍職を以て藝祖に事うるに逮んで、始めて衡漳に家す。祖德新、父古、皆德を隱して仕えず。母は李氏、其の繼は楊氏なり。先生幼なるとき、父に從って共城に徙り、晩に河南に遷って、其の親を伊川に葬る。遂に河南人と爲る。先生符祥辛亥に生まる。是に至って蓋し六十七年なり。雍は、先生の名にして、堯夫は其の字なり。王氏を娶る。伯溫・仲良は、其の二子なり。

先生之官、初舉遺逸、試將作監主簿。後又以爲潁州團練推官。辭疾不赴。
【読み】
先生の官、初め遺逸に舉げられ、將作監主簿に試[もち]いらる。後又以て潁州の團練推官と爲る。疾を辭して赴かず。

先生始學於伯原。勤苦刻厲、冬不爐、夏不扇、夜不就席者數年、衛人賢之。先生歎曰、昔人尙友於古。而吾未嘗及四方。遽可已乎。於是走吳適楚、過(一作寓。)齊・魯、客梁・晉。久之而歸曰、道其在是矣。蓋始有定居之意。
【読み】
先生始め伯原に學ぶ。勤苦刻厲、冬爐せず、夏扇つかわず、夜席に就かざる者數年、衛人之を賢とす。先生歎じて曰く、昔人古に尙友す。而るに吾れ未だ嘗て四方に及ばず。遽に已む可けんや、と。是に於て吳に走り楚に適き、齊・魯を過って(一に寓に作る。)、梁・晉に客たり。久しくして歸って曰く、道は其れ是に在り、と。蓋し始めて居を定むるの意有り。

先生少時、自雄其材、慷慨有大志。旣學、力慕高遠、謂先王之事爲可必致。及其學益老、德益邵、玩心高明、觀於天地之運化、陰陽之消長、以達乎萬物之變、然後頹然其順、浩然其歸。在洛幾三十年、始至蓬蓽環堵、不蔽風雨、躬爨以養其父母。居之裕如、講學於家。未嘗强以語人、而就問者日衆、郷里化之、遠近尊之。士人之道洛者、有不之公府、而必之先生之廬。
【読み】
先生少かりし時、自ら其の材を雄として、慷慨として大志有り。旣に學んで、力めて高遠を慕って、謂えらく、先王の事必ず致す可しとす、と。其の學益々老い、德益々邵[たか]きに及んで、心を高明に玩び、天地の運化、陰陽の消長を觀て、以て萬物の變に達し、然して後に頹然として其れ順い、浩然として其れ歸す。洛に在ること幾ど三十年、始めて蓬蓽[ほうひつ]環堵に至るに、風雨を蔽わず、躬ら爨[かし]いで以て其の父母を養う。之に居ること裕如として、家に講學す。未だ嘗て强いて以て人に語らざれども、就き問う者日に衆くして、郷里之に化し、遠近之を尊ぶ。士人の洛に道する者、公府に之かずして、必ず先生の廬に之く有り。

先生德氣粹然、望之可知其賢。然不事表襮、不設防畛、正而不諒、通而不汙、淸明坦夷、洞徹中外。接人無貴賤親疎之閒、群居燕飮、笑語終日、不取甚異於人、顧吾所樂何如耳。病畏寒暑。常以春秋時行遊城中。士大夫家聽其車音、倒屣迎致。雖兒童奴隸、皆知懽喜尊奉。其與人言、必依於孝弟忠信、樂道人之善、而未嘗及其惡。故賢者悅其德、不賢者服其化。所以厚風俗、成人材者、先生之功(一有爲字。)多矣。
【読み】
先生の德氣粹然として、之を望んで其の賢を知る可し。然れども表襮を事とせず、防畛を設けず、正しくして諒ならず、通じて汙ならず、淸明坦夷、中外に洞徹す。人に接するに貴賤親疎の閒て無く、群居燕飮、笑語日を終うるまでして、甚だ人に異なることを取らず、吾が樂しむ所何如と顧みるのみ。病んで寒暑を畏る。常に春秋の時を以て城中に行遊す。士大夫の家其の車の音を聽けば、屣[くつ]を倒にして迎え致す。兒童奴隸と雖も、皆懽喜して尊奉することを知る。其の人と言うこと、必ず孝弟忠信に依り、人の善を道うを樂しんで、未だ嘗て其の惡に及ばず。故に賢者は其の德を悅び、不賢者は其の化に服す。所以に風俗を厚くし、人材を成す者、先生の功多し(一に爲の字有り。)

昔七十子學於仲尼、其傳可見者、惟曾子所以告子思、而子思所以授孟子者耳。其餘門人、各以其材之所宜(一有者字。)爲學。雖同尊聖人、所因而入者、門戶則衆矣。況後此千餘歲、師道不立、學者莫知其從來。獨先生之學爲有傳也。先生得之於李挺之、挺之得之於穆伯長。推其源流、遠有端緒。今穆・李之言及其行事、概可見矣。而先生淳一不雜、汪洋浩大、乃其所自得者多矣。然而名其學者、豈所謂門戶之衆、各有所因而入者歟。語成德者、昔難其居。若先生之道、就所至而論之、可謂安且成矣。
【読み】
昔七十子仲尼に學ぶに、其の傳見る可き者は、惟り曾子子思に告ぐる所以にして、子思孟子に授くる所以の者のみ。其の餘の門人、各々其の材の宜しき所(一に者の字有り。)を以て學を爲す。同じく聖人を尊ぶと雖も、因って入る所の者、門戶則ち衆し。況んや此より後千餘歲、師道立たずして、學者其の從來を知ること莫し。獨り先生の學傳有りとす。先生は之を李挺之に得、挺之は之を穆伯長に得。其の源流を推すに、遠く端緒有り。今穆・李の言及び其の行事、概ね見る可し。而も先生淳一にして雜ならず、汪洋浩大にして、乃ち其の自得する所の者多し。然れども其の學に名ある者、豈所謂門戶の衆き、各々因って入る所の者有らんか。成德を語る者、昔其の居を難んず。先生の道の若き、至る所に就いて之を論ずれば、安んじて且つ成れりと謂う可し。

先生有書六十二卷、命曰皇極經世。古律詩二千篇、題曰擊壤集。先生之葬、附於先塋。實其終之年孟冬丁酉也。銘曰、
【読み】
先生書六十二卷有り、命づけて皇極經世と曰う。古律詩二千篇、題して擊壤集と曰う。先生の葬、先塋に附す。實に其の終うる年孟冬丁酉なり。銘に曰く、

嗚呼先生、志豪力雄。闊步長趨、凌高厲空。探幽索隱、曲暢旁通。在古或難。先生從容。有問有觀、以飫以豐。天不憖遺、哲人之凶。鳴皋在南、伊流在東。有寧一宮、先生所終。
【読み】
嗚呼先生、志豪に力雄なり。闊[ひろ]く步み長く趨って、高きを凌ぎ空に厲[わた]る。幽を探り隱を索めて、曲らかに暢[の]べ旁く通ず。古に在って或は難んず。先生從容たり。問うこと有り觀ること有れば、以て飫き以て豐かなり。天憖[なまじ]いに遺さずして、哲人凶[わる]し。鳴皋南に在り、伊流東に在り。寧んぜる一宮有り、先生の終うる所。


華陰侯先生墓誌銘

先生姓侯氏、名可、字無可。其先太原人。宦學四方。因徙家華陰。少時倜儻不羈、以氣節自喜。旣壯、盡易前好、篤志爲學。祁寒酷暑、未嘗廢業、博極群書、聲聞四馳。就學者日衆、雖邊隅遠人、皆願受業。諸侯交以書幣迎致。有善其禮命者、亦時往應之。故自陝而西、多宗先生之學。
【読み】
先生姓は侯氏、名は可、字は無可。其の先は太原人なり。四方に宦學す。因りて徙って華陰に家す。少かりし時倜儻不羈にして、氣節を以て自ら喜ぶ。旣に壯にして、盡く前好を易え、篤く志して學を爲む。祁寒酷暑にも、未だ嘗て業を廢せず、博く群書を極めて、聲聞四[よも]に馳す。就き學ぶ者日に衆くして、邊隅の遠人と雖も、皆業を受けんことを願う。諸侯交々書幣を以て迎え致す。其の禮命を善する者有れば、亦時に往いて之に應ず。故に陝自りして西、多く先生の學を宗とす。

元昊盜邊、時名卿賢儒、結轍西使、服先生之名、莫不願見。親老而家益貧。思得祿養、勉就科舉。再試春官、卒無所遇。因喟然太息曰、丈夫之事、止於是乎。會蠻酋儂智高攻陷二廣。孫威敏公奉命出征。習先生之賢、請干其軍事。先生奮然從之、振旅奏功。
【読み】
元昊邊に盜するとき、時の名卿賢儒、轍を結んで西に使いするに、先生の名に服して、見ることを願わずということ莫し。親老いて家益々貧し。祿養を得んことを思って、勉めて科舉に就く。再び春官に試いられて、卒に遇する所無し。因りて喟然として太息して曰く、丈夫の事、是に止まんや、と。會々蠻酋儂智高二廣を攻め陷る。孫威敏公命を奉って出て征す。先生の賢に習って、其の軍事に干[あづか]らんことを請う。先生奮然として之に從い、旅を振って功を奏す。

初命武爵。言事者以爲非宜。遂改文資、調知巴州化成縣。巴俗尙鬼而廢醫。惟巫言是用、雖父母之疾、皆棄去弗視。先生誨以義理、嚴其禁戒、或親至病家、爲視醫藥、所活旣衆、人亦知化。巴人娶婦、必責財於女氏、貧人至有老不得嫁者。先生爲立制度、稱其家之有無、與之約曰、踰是者有誅。未閱歲、邑無過時之女、遂變其俗。巴山土薄民貧、絲帛之賦反倍他所、日益凋弊。先生抗議計司、爭之數十、卒得均之。旁郡境多虎暴、農者不敢朝暮耕、商旅俟衆而後行。先生日夜治器械、發徒衆、親執弓矢、與之從事、迹而追之、遠或數百里、所殺不可勝數。後皆避人遠去、不復爲害。
【読み】
初め武爵に命ぜらる。事を言う者以爲えらく、宜しきに非ず、と。遂に文資に改められ、調[うつ]されて巴州化成縣に知たり。巴俗鬼を尙んで醫を廢す。惟巫の言是を用て、父母の疾と雖も、皆棄て去って視ず。先生誨うるに義理を以てして、其の禁戒を嚴にし、或は親ら病家に至って、爲に醫藥を視、活する所旣に衆く、人亦知化す。巴人婦を娶るに、必ず財を女氏に責めて、貧しき人老ゆるまで嫁することを得ざる者有るに至る。先生爲に制度を立て、其の家の有無に稱って、之と約して曰く、是を踰ゆる者は誅有らん、と。未だ歲を閱ずして、邑に時を過ぐる女無くして、遂に其の俗を變ず。巴山土薄く民貧しきに、絲帛の賦反って他所に倍して、日に益々凋弊す。先生議計司に抗して、之を爭うこと數十、卒に之を均しくすることを得。旁の郡境虎の暴なる多くして、農者敢えて朝暮に耕さず、商旅衆を俟って而して後に行く。先生日夜に器械を治め、徒衆を發し、親ら弓矢を執って、之と從事して、迹[たづ]ねて之を追い、遠くは或は數百里、殺す所勝げて數う可からず。後皆人を避けて遠く去って、復害を爲さず。

再調耀州華原主簿。有富人不占地籍、惟以利誘貧民而質其田券、多至萬畝、歲責其入。先生晨馳至其家、發櫝出券、召其主而歸之。失業者復安其生。郡胥趙至誠、貪狡凶暴、持群吏短長而爲奸利。前後爲守者莫能去。一郡患之。先生暴其罪、荷校置于獄。自守而下、畏恐生禍、交爲之請。先生不顧、卒言於帥府而誅之。聞者快服。
【読み】
再び耀州華原の主簿に調る。富人地籍を占めず、惟利を以て貧民を誘って其の田券を質する有りて、多くは萬畝に至って、歲々に其の入りを責む。先生晨に馳せて其の家に至って、櫝[ひつ]を發き券を出して、其の主を召して之を歸す。業を失する者復其の生を安んず。郡胥趙至誠、貪狡凶暴にして、群吏の短長を持して奸利を爲す。前後守爲る者能く去ること莫し。一郡之を患う。先生其の罪を暴して、校を荷って獄に置く。守自りして下、禍を生ぜんことを畏れ恐れて、交々之が爲に請う。先生顧みず、卒に帥府に言って之を誅す。聞く者快服す。

用薦者、監慶州折博務。歲滿、授儀州軍事判官。計省第折博之最、就改大理評事。部使者丐留、遂復簽書本官事。韓忠獻公鎭長安、薦知涇陽縣。至則鑿小鄭(一作鄚。)泉以廣灌漑、議復鄭白舊利。未幾、召至闕下、得對便殿。始命計工興役、旋復專總其事。邀功害能之人、疾其不自己出、渠功有緒而讒毀交至。以微文細故爲先生罪、遂罷其役。美利不究、論者惜之。元豐己未季夏、先生以疾終於家。享年七十有三。
【読み】
薦を用うる者、慶州の折博務に監たらしむ。歲滿ちて、儀州の軍事判官に授けらる。計省折博の最に第[つい]でて、就いて大理評事に改めらる。部使者丐留[かいりゅう]して、遂に復簽書本官事たり。韓忠獻公長安に鎭たるとき、薦めて涇陽縣に知たらしむ。至るときは則ち小鄭(一に鄚に作る。)泉を鑿ちて以て灌漑を廣め、鄭白の舊利を復さんことを議す。未だ幾ならずして、召されて闕下に至り、便殿に對することを得。始めて工を計り役を興すことを命じて、旋[やや]復專ら其の事を總ぶ。功を邀め能を害する人、其の己自り出ず、渠の功緒有ることを疾んで讒毀交々至る。微文細故を以て先生の罪と爲して、遂に其の役を罷む。美利究めず、論ずる者之を惜しむ。元豐己未季夏、先生疾を以て家に終う。享年七十有三なり。

先生純誠孝友、剛正明決、非其義一毫不以屈於人、視貪邪奸佞若寇賊仇怨、顯攻面數、意其人改而後已。雖甚貴勢、視之藐然。遇人之善、友之助之、欲其成達、不啻如在己也。博物强記、貫涉萬類、若禮之制度、樂之形聲、詩之比興、易之象數、天文地理、陰陽氣運、醫藥算數之學、無不究其淵源。先生發强壯厲、勇於有爲、而平易仁恕、中懷洞然、至於輕財樂義、安貧守約、急人之急、憂人之憂。謀其道不謀其利、忠於君不顧其身。古人所難能者、先生安而行之。蓋出於自然、非勉强所及。
【読み】
先生純誠孝友、剛正明決、其の義に非ざれば一毫も以て人に屈せず、貪邪奸佞を視ること寇賊仇怨の若く、顯わに攻め面りに數[せ]めて、其の人改めて而して後に已まんことを意う。甚だ貴勢と雖も、之を視ること藐然たり。人の善なるに遇えば、之を友とし之を助けて、其の成達を欲すること、啻己に在るが如くなるのみにあらず。博物强記、萬類を貫涉し、若しくは禮の制度、樂の形聲、詩の比興、易の象數、天文地理、陰陽氣運、醫藥算數の學、其の淵源を究めずということ無し。先生發强壯厲にして、すること有るに勇んで、平易仁恕、中懷洞然として、財を輕んじ義を樂しみ、貧を安んじ約を守るに至り、人の急を急にし、人の憂えを憂う。其の道を謀って其の利を謀らず、君に忠にして其の身を顧みず。古人能くし難き所の者、先生安んじて之を行う。蓋し自然に出て、勉强の及ぶ所に非ず。

少與申顏爲友。易衣互出、而謀食以養、二家如一。顏病、先生徒步千里、爲之求醫。歸而顏死矣。其目不瞑。人曰、其待侯君乎。未斂而先生至、撫之而瞑。顏謀葬其先世而未能、顏死無子。又不克葬。先生辛勤百圖、不足則賣衣以益之、卒襄其事。時方天寒。先生與其子單服以居。適有饋白金者、先生顧顏之孤妹爲憂、未遑恤己、遂以嫁之。近世朋友道薄、臨患難鮮不愛其力。聞先生之風、可以激頹波而起廢疾。
【読み】
少きとき申顏と友爲り。衣を易えて互いに出て、食を謀って以て養うこと、二家一の如し。顏病むとき、先生千里を徒步して、之が爲に醫を求む。歸るまでにして顏死す。其の目瞑せず。人曰く、其れ侯君を待つか、と。未だ斂せずして先生至って、之を撫して瞑す。顏其の先世を葬らんことを謀って未だ能くせず、顏死して子無し。又葬ること克わず。先生辛勤百圖して、足らざれば則ち衣を賣って以て之を益して、卒に其の事を襄[な]す。時に方に天寒し。先生其の子と單服以て居す。適々白金を饋[おく]る者有り、先生顏の孤妹を顧みて憂えと爲して、未だ己を恤れむに遑あらず、遂に以て之を嫁せしむ。近世朋友道薄くして、患難に臨んで其の力を愛しまざること鮮し。先生の風を聞いて、以て頹波を激して廢疾を起こす可し。

先生家無甔石之儲、而人有不得其所者、必以先生爲歸、非力能也、誠使然也。一日自遠歸、家人方以窶告。友人郭行者詣門曰、吾父病亟。醫須百千乃爲治、賣吾廬而不售。先生憫然、計囊中裝適當其數。盡以與之。嘗隨計詣京師、里中出金贐行。比還、悉散其所餘曰、此金、郷里所以資應詔也。不可以爲他利。當與同舉者共之。且行、聞郷人有病於逆旅者。先生曰、吾歸則彼死矣。遂留不去。病者瘉、貧無以爲車乘。先生曰、子行則未能、留則將困。因推其馬與之、躧步而歸。其克己濟物若是者多矣。
【読み】
先生の家甔石[たんせき]の儲[たくわ]え無くして、人其の所を得ざる者有れば、必ず先生を以て歸することをするは、力めて能くするに非ず、誠然らしむるなり。一日遠き自り歸るとき、家人方に窶[まづ]しきを以て告ぐ。友人郭行という者門に詣って曰く、吾が父病亟やかなり。醫須く百千にして乃ち治を爲すべしというに、吾が廬を賣らんとすれども售られず、と。先生憫然として、囊中の裝を計るに適々其の數に當たる。盡く以て之に與う。嘗て計に隨って京師に詣るとき、里中金を出して行に贐[はなむけ]す。還るに比んで、悉く其の餘る所を散じて曰く、此の金は、郷里の詔に應ずるを資くる所以なり。以て他の利と爲す可からず。當に同舉の者と之を共にすべし、と。且行くとき、郷人逆旅に病むこと有る者を聞く。先生曰く、吾れ歸らば則ち彼死せん、と。遂に留まって去らず。病む者瘉ゆれども、貧しくして以て車乘を爲すこと無し。先生曰く、子行かば則ち未だ能わず、留まらば則ち將に困しまんとす、と。因りて其の馬を推して之を與えて、躧步[しほ]して歸る。其の己に克ち物を濟うこと是の若き者多し。

少喜穰苴・孫武之學、兵家事無所不通。尤詳於西北形勢。談其山川道路、郡縣部族、纖細備具、聽之者宛如在目前(一無此字。)。熙河未開之時(一作前。)、韓忠獻公請先生謀渭源之地。先生馳至境上、召其酋豪六百人、諭以朝廷恩德、爲明利害。皆感悟喜躍、翌日、詣軍門輸土納(一作聽。)命、願爲藩籬。一塵不驚、而開地八千頃、因城熟羊以撫之。忠獻公上其功朝廷、賞以減考績之年。治平中、虜嘗寇邊。主將出兵禦戰。轉運使以爲妄舉、互言於朝。時虜去未遠、遣先生按視其迹。受命卽行、人皆爲之寒心。先生以數十騎馳涉虜境。日暮猝與虜遇。乃分其騎爲三四、令之曰、高爾旗幟、旋山徐行。虜循環閒見、疑以爲大兵誘己、終不敢擊。秦州舊苦蕃酋反覆、縶其親愛而質之。多至七百人、久者已數十歲、公家之費不貲、雜羌離怨益甚。其後釋其縻而歸之、戎人感(一作悅。)服。乃先生發其謀也。
【読み】
少くして穰苴・孫武の學を喜んで、兵家の事通ぜずという所無し。尤も西北の形勢に詳らかなり。其の山川道路、郡縣部族を談ずること、纖細備わり具わって、之を聽く者宛も目前(一に此の字無し。)に在るが如し。熙河未だ開かざる時(一に前に作る。)、韓忠獻公先生を請いて渭源の地を謀る。先生馳せて境上に至って、其の酋豪六百人を召して、諭すに朝廷の恩德を以てして、爲に利害を明らかにす。皆感悟喜躍して、翌日、軍門に詣って土を輸[いた]し命を納るること(一に聽に作る。)、藩籬と爲らんことを願う。一塵驚かずして、地を開くこと八千頃、因りて熟羊に城いて以て之を撫す。忠獻公其の功を朝廷に上って、賞するに考績の年を減ずるを以てす。治平中に、虜嘗て邊に寇す。主將兵を出して禦ぎ戰う。轉運使以て妄舉と爲して、互いに朝に言す。時に虜去ること未だ遠からざるに、先生をして其の迹を按視せしむ。命を受けて卽ち行くとき、人皆之が爲に寒心す。先生數十騎を以て馳せて虜の境に涉る。日暮猝[にわか]に虜と遇う。乃ち其の騎を分けて三四とし、之に令して曰く、爾の旗幟を高くして、山を旋って徐[おもむろ]に行け、と。虜循環閒見して、疑って以て大兵己を誘[みちび]くと爲して、終に敢えて擊たず。秦州舊蕃酋の反覆を苦しんで、其の親愛を縶[つな]いで之を質とす。多くして七百人に至り、久しき者は已に數十歲、公家の費え貲せずして、雜羌離怨益々甚だし。其の後其の縻[しばり]を釋いて之を歸して、戎人感(一に悅に作る。)服す。乃ち先生其の謀を發すればなり。

平生以勸學新民爲己任。主華學之教育者幾二十年。官之所至、必爲之治學舍、興弦誦。其所以成就材德、可勝道哉。先生之文、尤長於詩。晩益翫心於天人性命之學、其自樂者深矣。病革、命其子曰、吾死、愼勿爲浮屠事。焚楮貨、徼福覬利、非吾志也。嗚呼、死而不忘於正。可謂至矣。
【読み】
平生學を勸め民を新たにするを以て己が任とす。華學の教育を主る者幾ど二十年なり。官の至る所、必ず之が爲に學舍を治め、弦誦を興す。其の材德を成就する所以、勝げて道う可けんや。先生の文は、尤も詩に長ぜり。晩に益々心を天人性命の學に翫んで、其の自ら樂しむ者深し。病革なるとき、其の子に命じて曰く、吾れ死せば、愼んで浮屠の事をすること勿かれ。楮貨を焚いて、福を徼め利を覬[のぞ]むことは、吾が志に非ず、と。嗚呼、死するときまで正しきを忘れず。至れりと謂う可し。

大王父諱元、王父諱暠、當五代之亂、皆隱德弗耀。父諱道濟、潤州丹徒令。贈尙書比部員外郎。母刁氏、追封福昌縣太君。妻(一作其媲。)劉氏、早卒。封延長縣君。繼以其姝、封永壽縣君。二子、曰孚、曰淳。三孫、尙幼。先生之官、自評事四遷爲殿中丞。階宣奉郎、勳騎都尉、服錫五品。旣終之明年仲春八日、葬於華陰縣保德郷先塋之次、舉前夫人祔焉。
【読み】
大王父諱は元、王父諱は暠、五代の亂に當たって、皆德を隱して耀かさず。父諱は道濟、潤州丹徒の令たり。尙書比部員外郎を贈らる。母は刁[ちょう]氏、福昌縣太君に追封せらる。妻(一に其の媲に作る。)は劉氏、早く卒す。延長縣君に封ぜらる。繼いで其の姝を以て、永壽縣君に封ぜらる。二子あり、孚と曰い、淳と曰う。三孫、尙幼なり。先生の官、評事自り四遷して殿中丞と爲る。階宣奉郎、勳騎都尉、服五品を錫う。旣に終うるの明年仲春八日、華陰縣保德郷先塋の次に葬り、前の夫人を舉して祔す。

顥、先生女兄之子也。知先生之道爲詳。故得論載行治之美、以詔後人。銘曰、
【読み】
顥は、先生の女兄の子なり。先生の道を知ること詳しとす。故に行治の美を論載して、以て後人に詔ぐることを得。銘に曰く、

南山崇崇、其下也先生之宮。惟其淸風、與山無窮。
【読み】
南山の崇崇たる、其の下は先生の宮。惟其の淸風、山と與に窮まる無し、と。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)