二程全書卷之六十六  伊川先生文八

墓誌 家傳 祭文

書先公自撰墓誌後
【読み】
先公自ら撰する墓誌の後に書す

程姓、珦名、伯溫字、姓源世係、詳於家牒。故不復書。曾王父、尙書兵部侍郎、贈太子少師、諱羽。曾王母、淸河太君張氏、襄陵太君賈氏。王父、尙書虞部員外郎、諱希振。王母、高密縣君崔氏。考、贈司空、諱遹。妣、追封趙國太夫人張氏、冀國太夫人張氏。
【読み】
程は姓、珦は名、伯溫は字、姓は源世係、家牒に詳らかなり。故に復たび書せず。曾王父は、尙書兵部侍郎、贈太子の少師、諱は羽。曾王母は、淸河太君張氏、襄陵太君賈氏。王父は、尙書虞部員外郎、諱は希振。王母は、高密縣君崔氏。考は、贈司空、諱は遹。妣は、追封趙國太夫人張氏、冀國太夫人張氏。

予性質顓蒙、學術黯淺、不能自奮、以嗣先世。天聖中、仁宗皇帝念及祖宗舊臣、例錄子孫一人、補郊社齋郎。歷黃州黃陂、吉州廬陵二縣尉、潤州觀察支使、由按察官論薦、改大理寺丞、知虔州興國縣、龔[きょう]州、徐州沛縣。監在京西染院、知鳳・磁・漢三州事。熙寧中、厭於職事、丐就閑局、管勾西京嵩山崇福宮。歲滿再任。遂請致仕(徐本仕作任。)。官、自大理寺丞十三遷至大中大夫。勳、自騎都尉至上柱國。爵、永年縣伯。食邑、戶九百(徐本百作伯。)
【読み】
予性質顓蒙、學術黯淺にして、自ら奮って、以て先世に嗣ぐこと能わず。天聖中に、仁宗皇帝念い祖宗の舊臣に及んで、例して子孫一人を錄して、郊社齋郎に補せらる。黃州の黃陂、吉州の廬陵二縣の尉、潤州の觀察支使を歷、按察官由り論薦せられて、大理寺丞に改められ、虔州の興國縣、龔州、徐州沛縣に知たり。監として京西の染院に在って、鳳・磁・漢三州の事に知たり。熙寧中に、職事を厭いて、丐[こ]いて閑局に就き、西京嵩山の崇福宮に管勾たり。歲滿ちて再び任ず。遂に請いて致仕(徐本仕を任に作る。)す。官、大理寺丞自り十三遷して大中大夫に至る。勳、騎都尉自り上柱國に至る。爵、永年縣の伯。食邑、戶九百(徐本百を伯に作る。)

娶侯氏贈尙書比部員外郎道濟之長女。封壽安縣君。先三十八年卒。追封上谷郡君。男六人、長應昌、次天錫、皆幼亡。次顥、承議郎宗正寺丞。先卒。次頤、今爲通直郎。次韓奴、蠻奴、皆夭。女四人、長婆嬌、幼亡。次適奉禮郎席延年。次馮兒、幼亡。次適都官郎中李正臣。孫男五人、端懿、蔡州汝陽縣主簿、監西京酒。次端中、治進士業。次端輔、早亡。次端本、治進士業。次端彥、郊社齋郎。孫女八人、長適宣義郎李偲。次適假承務郎朱純之。次適安定席彥正。次未嫁而卒。次爲李偲繼室。次適淸河張敷。次幼亡。曾孫六人、昂、昪、昺、易、旻、曄。曾孫女一人。
【読み】
侯氏贈尙書比部員外郎道濟の長女を娶る。壽安縣君に封ぜらる。先だつこと三十八年にして卒す。上谷郡君に追封せらる。男六人、長は應昌、次は天錫、皆幼にして亡す。次は顥、承議郎宗正寺丞たり。先だって卒す。次は頤、今通直郎爲り。次は韓奴、蠻奴、皆夭す。女四人、長は婆嬌、幼にして亡す。次は奉禮郎席延年に適く。次は馮兒、幼にして亡す。次は都官郎中李正臣に適く。孫男五人、端懿は、蔡州汝陽縣の主簿として、西京の酒に監たり。次は端中、進士の業を治む。次は端輔、早く亡す。次は端本、進士の業を治む。次は端彥、郊社齋郎たり。孫女八人、長は宣義郎李偲に適く。次は假承務郎朱純之に適く。次は安定席彥正に適く。次は未だ嫁せずして卒す。次は李偲が繼室爲り。次は淸河の張敷に適く。次は幼にして亡す。曾孫六人、昂、昪、昺、易、旻、曄。曾孫女一人あり。

元祐五年庚午春正月十三日己卯、以疾終于正寢(先居暖室、旣得疾、命遷正寢。)、享年八十五。越三月孟夏庚戌望、葬于伊川先塋之次。上谷郡君祔焉。
【読み】
元祐五年庚午春正月十三日己卯、疾を以て正寢に終う(先づ暖室に居り、旣に疾を得て、命じて正寢に遷る。)、享年八十五。越[ここ]において三月孟夏庚戌望、伊川先塋の次に葬る。上谷郡君祔す。

予歷官十二任、享祿六十年。但知廉愼寬和、孜孜夙夜。無勳勞可以報國、無異政可以及民、始終得免瑕謫、爲幸多矣。葬日、切不用干求時賢製撰銘誌。旣無事實可紀、不免虛詞溢美、徒累不德爾。只用此文、刻于石、向壁安置。若或少違遺命、是不以爲有知也。
【読み】
予官を歷ること十二任、祿を享くること六十年。但廉愼寬和を知って、夙夜に孜孜たり。勳勞の以て國に報ず可き無く、異政の以て民に及ぶ可き無けれども、始終瑕謫を免るることを得て、幸多しとす。葬る日、切に時賢銘誌を製撰することを干め求むることを用いざれ。旣に事實の紀す可き無くんば、虛詞美を溢[み]たして、徒に不德を累わすことを免れざらんのみ。只此の文を用いて、石に刻んで、壁に向けて安置せよ。若し或は少しも遺命に違わば、是れ以て知ること有るとせざるなり。

先公太中年七十、則自爲墓誌、及書戒命於後。後十五年終壽。子孫奉命不敢違、惟就其闕處(事未至者、皆缺字、使後人加之。)、加所遷官爵、晩生諸孫及享年之數、終葬時日而已。醇德懿行、宜傳後世者、皆莫敢誌、著之家牒。孤頤泣血書。
【読み】
先公太中年七十にして、則ち自ら墓誌を爲り、及び戒命を後に書す。後十五年にして壽を終う。子孫命を奉じて敢えて違わず、惟其の闕く處に就いて(事未だ至らざる者は、皆字を缺いて、後人をして之を加えしむ。)、遷る所の官爵、晩生の諸孫及び享年の數、終わり葬る時日を加うるのみ。醇德懿行、宜しく後世に傳うべき者、皆敢えて誌すこと莫くして、之を家牒に著す。孤頤泣血して書す。


先公太中家傳
【読み】
先公太中の家傳

先公太中諱珦、字伯溫。舊名溫。(一有其字。)字君玉。旣登朝、改後名。景德三年丙午正月二十三日、生於京師泰寧坊賜第。
【読み】
先公太中諱は珦、字は伯溫。舊の名は溫。(一に其の字有り。)字は君玉。旣に朝に登って、後の名に改む。景德三年丙午正月二十三日、京師泰寧坊の賜第に生まる。

性仁孝溫厚、恪勤畏愼。開府事父兄謹敬過人、責子弟甚嚴。公纔十餘歲、則使治家事。事有小不稱意旨、公恐懼若無所容。自少爲族兄文簡公所器。
【読み】
性仁孝溫厚にして、恪勤畏れ愼む。開府父兄に事うること謹敬人に過ぎ、子弟を責むること甚だ嚴なり。公纔かに十餘歲にして、則ち家事を治めしむ。事小しく意旨に稱わざること有れば、公恐れ懼れて容るる所無きが若し。少かりし自り族兄文簡公の爲に器とせらる。

開府終於黃陂、公年始冠。諸父繼亡。聚屬甚衆、無田園可依。遂寓居黃陂、勞身苦志、奉養諸母、敎撫弟妹。時長弟璠七歲、從弟瑜六歲、餘皆孩幼。後數歲、朝廷錄舊臣之後、授公郊社齋郎、以口衆不能偕行、遂不赴調。文簡公義之、爲請於朝、就注黃陂縣尉。任滿、又不能調、閑居安貧、以待諸弟之長。至長弟與從弟皆得官娶婦、二妹旣嫁、乃復赴調、授吉州廬陵縣尉。時劉丞相沆已貴顯。其子弟有恃勢暴橫於郷里者、郡守以下皆爲之屈。公獨不與接。劉丞相聞而愧之、待公甚厚。
【読み】
開府黃陂に終うるとき、公年始めて冠す。諸父繼いで亡ぶ。聚屬甚だ衆くして、田園の依る可き無し。遂に黃陂に寓居して、身を勞し志を苦しめて、諸母を奉養し、弟妹を敎撫す。時に長弟璠七歲、從弟瑜六歲、餘は皆孩幼なり。後數歲にして、朝廷舊臣の後を錄して、公に郊社齋郎を授けども、口衆くして偕[とも]に行くこと能わざるを以て、遂に調に赴かず。文簡公之を義として、爲に朝に請いて、就いて黃陂縣の尉に注[つ]かしむ。任滿ちて、又調[えら]ばること能わず、閑居貧を安んじて、以て諸弟の長なるを待つ。長弟と從弟と皆官を得婦を娶り、二妹旣に嫁するに至って、乃ち復調に赴いて、吉州廬陵縣の尉を授かる。時に劉丞相沆已に貴顯なり。其の子弟勢を恃んで郷里に暴橫する者有り、郡守以下皆之が爲に屈す。公獨り與り接せず。劉丞相聞いて之を愧ぢて、公を待つこと甚だ厚し。

再調潤州觀察支使。有侍禁曹元哲者、挾權要勢、與人爭田。守畏逼、囑公右之。公弗爲撓。潤當途事煩劇、多賴公以濟、聲聞甚著。部使者至、無有不論薦者。
【読み】
再び潤州の觀察支使に調ばる。侍禁曹元哲という者有り、權を挾み勢を要して、人と田を爭う。守畏れ逼って、公に囑して之を右[たす]けしむ。公爲に撓[たわ]まず。潤の當途の事煩劇なれども、多くは公に賴って以て濟して、聲聞甚だ著る。部使者至るに、論薦せざる者有ること無し。

改大理寺丞、知虔州興國縣事。虔人素號難治。而邑之衣錦郷尤爲稱首。自昔治之與他郷異。前令欲以慘酷威之、盛冬使爭者對立於庭、以雪埋及膝、而人益不服。公善告諭之、與他郷一視、人遂信服。在邑幾二年、而獄空者歲餘。江西狡民善爲古券契、田訟最爲難辨。而虔尤甚。旁邑有爭、積十餘歲不能決、部使者以委公。根連證佐、囂然盈庭。公獨呼爭者前訊之、不十數語、盡得其情、遂皆服。事決於頃刻之閒、人以爲神。
【読み】
大理寺丞に改められ、虔州興國縣の事に知たり。虔人素より治め難しと號す。而して邑の衣錦郷尤も首と稱することをす。昔自り之を治むること他郷と異なり。前の令慘酷を以て之を威せんと欲して、盛冬に爭う者をして庭に對立せしめて、以て雪埋まって膝に及べども、人益々服せず。公善く之に告諭して、他郷と一視するに、人遂に信服す。邑に在ること幾ど二年にして、獄空しき者歲餘なり。江西の狡民善く古券契を爲して、田訟最も辨じ難しとす。而して虔尤も甚だし。旁邑爭うこと有って、十餘歲を積んで決すること能わず、部使者以て公に委す。根連證佐、囂然として庭に盈つ。公獨り爭う者を呼んで前にして之を訊ね、十數語ならずして、盡く其の情を得て、遂に皆服す。事頃刻の閒に決して、人以て神とす。

就移知龔州事。時宜州反獠歐希範旣誅郷人忽傳其降言。當爲我南海立祠。於是迎其神以往。自宜至龔、歷數州矣、莫之禁也。公使詰之。對曰、過潯州、守以爲妖、投奉神之具于江中、逆流而上。守懼、乃更致禮。公曰、試再投之。越人畏鬼、甚於畏官、皆莫敢前。公杖不奉命者。及投之、乃流去。人方信其爲妄。在州二歲、部使者未嘗入境。時潘師旦爲提點刑獄、最稱嚴察。一道愯畏。嘗過境上、以書謝公曰、旣聞淸治。不須至也。遷太子中舍。明堂覃恩、改殿中丞。代還在塗、而儂智高作亂、破州城。後守貸死羈置。人皆以公獲免爲積善之報。
【読み】
就いて移って龔州の事に知たり。時に宜州の反獠歐希範旣に郷人を誅して忽ち其の降言を傳う。當に我が爲に南海に祠を立つるべし、と。是に於て其の神を迎えて以て往く。宜自り龔に至るまで、數州を歷るに、之を禁ずること莫し。公之を詰らしむ。對えて曰く、潯州を過るとき、守以て妖と爲して、神を奉ずるの具を江中に投ぜしむるに、流れに逆って上る。守懼れて、乃ち更に禮を致す、と。公曰く、試みに再び之を投ぜよ、と。越人鬼を畏るること、官を畏るるより甚だしくして、皆敢えて前むこと莫し。公命を奉ぜざる者を杖す。之を投ずるに及んで、乃ち流れ去る。人方に其の妄爲ることを信ず。州に在ること二歲、部使者未だ嘗て境に入らず。時に潘師旦提點刑獄爲り、最も嚴察と稱す。一道愯畏[しょうく]す。嘗て境上を過るとき、書を以て公に謝して曰く、旣に淸治を聞く。須く至るべからず、と。太子中舍に遷さる。明堂覃恩[たんおん]、殿中丞に改む。代わり還って塗に在って、儂智高亂を作して、州城を破る。後の守死を貸して羈置せらる。人皆公免るることを獲るを以て積善の報とす。

授知徐州沛縣事。會久雨、平原出水、穀旣不登、晩種不入、民無卒歲具。公謂俟可耕而種、則時已過矣。乃募富家、得豆數千石以貸民、使布之水中。水未盡涸而甲已露矣。是年、遂不艱食。有丐於市者、自稱僧伽之弟。愚者相倡、爭遺金錢。公杖之而出諸境。
【読み】
授けられて徐州沛縣の事に知たり。會々久しく雨ふり、平原水を出して、穀旣に登らず、晩種入らず、民歲を卒うるの具無し。公謂えらく、耕して種うる可きを俟たんとすれば、則ち時已に過ぎたり、と。乃ち富家に募って、豆數千石を得て以て民に貸して、之を水中に布かしむ。水未だ盡く涸れずして甲已に露る。是の年、遂に食に艱まず。市に丐う者有り、自ら稱す、僧伽の弟、と。愚者相倡えて、爭って金錢を遺る。公之を杖して境を出す。

遷國子博士、賜緋魚袋、歸監在京西染院、遷尙書虞部員外郎、知鳳州事。鳳當川・蜀之衝、軺傳旁午、毀譽易得。爲守者相承、務豐厨傳、主吏多至破產。公裁減幾半曰、是足以爲禮、未爲薄也。會漢中不稔、饑民自褒斜山谷而出。公敎於路口爲糜粥以待之。所濟甚衆。
【読み】
國子博士、賜緋魚袋に遷され、歸って監として京西の染院に在り、尙書虞部員外郎に遷され、鳳州の事に知たり。鳳は川・蜀の衝に當たって、軺傳[しょうでん]旁午[ぼうご]して、毀譽得易し。守爲る者相承けて、厨傳を豐かにすることを務めて、主吏多くは產を破るに至る。公幾半を裁し減じて曰く、是れ以て禮を爲すに足れり、薄しとせず、と。會々漢中稔らず、饑民褒斜の山谷自りして出づ。公敎えて路口に於て糜粥を爲って以て之を待つ。濟う所甚だ衆し。

遷司門員外郎。丁崇國太夫人憂、服除、權判鴻臚寺。英宗嗣位、覃恩、遷庫部員外郎、知磁州事。磁城、趙簡子所築、東南隅水泉惡、灌濯亦不可用。居民安於久習、婦女晨出遠汲。不惟勞、且乏用、風俗以之弊。歷千餘歲、無爲慮者。公度城曲之地曰、此去濠水數步之近、漸漬旣久、地脈當變矣。穿二井、果美泉也。人甚賴之。時久雨、自河以北、城壘皆圮。公言於帥府、請發衆治之。帥不敢主、使聽命於朝。公請於朝者三、不報。蓋自北虜通好、未嘗發衆治城。時韓魏公秉政。使人諭公曰、城壞、州當自治。何以請爲。公曰、役大法不許擅興、且完舊、非創築。何害。乃得請後數月、始概命諸州治城。每歲春首、興役治河。民閒自秋成則爲之備、貧室尙患不及。是年、二役竝興、人甚苦之。獨磁先已畢工、民得復營河役之用、又築於未凍之前、城得堅固。遷水部郎中。神宗卽位、覃恩、遷司門郎中。是歲、城中瓦屋及濠水上、冰澌盤屈、成花卉之狀。奇怪駭目。郡官皆以爲嘉瑞、請以上聞。公曰、石晉之末嘗有此、朝廷豈不惡之。衆皆服。
【読み】
司門員外郎に遷さる。崇國太夫人の憂えに丁たり、服除いて、權判鴻臚寺たり。英宗位を嗣いで、覃恩、庫部員外郎に遷され、磁州の事に知たり。磁城は、趙簡子が築く所、東南の隅水泉惡しくして、灌濯も亦用う可からず。居民久習に安んじて、婦女晨に出て遠く汲む。惟勞して、且つ用に乏しきのみにあらず、風俗之を以て弊[やぶ]る。千餘歲を歷て、爲に慮る者無し。公城曲の地を度って曰く、此れ濠水を去ること數步の近き、漸漬旣に久しくして、地脈當に變ずべし、と。二井を穿つに、果たして美泉なり。人甚だ之に賴る。時に久しく雨ふって、河自り以北、城壘皆圮[やぶ]る。公帥府に言いて、衆を發して之を治めんと請う。帥敢えて主たらずして、命を朝に聽かしむ。公朝に請う者三たびまでに、報あらず。蓋し北虜好を通じて自り、未だ嘗て衆を發して城を治めざればなり。時に韓魏公政を秉る。人をして公を諭さしめて曰く、城壞るれば、州當に自ら治むべし。何を以て請うことをせん、と。公曰く、役は大法擅に興すことを許さざれども、且つ舊を完くするは、創めて築くに非ず。何ぞ害あらん、と。乃ち請うの後數月にして、始めて概[す]べて諸州に命じて城を治めしむることを得。每歲春首、役を興し河を治む。民閒秋成自りは則ち之が備えを爲して、貧室尙及ばざらんことを患う。是の年、二役竝び興って、人甚だ之を苦しむ。獨磁先に已に工を畢えて、民復河役の用を營むことを得、又未だ凍らざるの前に築いて、城堅固なることを得。水部郎中に遷さる。神宗位に卽いて、覃恩、司門郎中に遷さる。是の歲、城中の瓦屋及び濠水の上、冰澌[ひょうし]盤屈して、花卉の狀を成す。奇怪目を駭かす。郡官皆以て嘉瑞と爲して、請いて以て上聞せんとす。公曰く、石晉の末嘗て此れ有り、朝廷豈之を惡まざらんや、と。衆皆服す。

代還、知漢州事、遷庫部郎中。蜀俗輕浮、而公臨之以安靜。視事之翌日、上謝表、命園中取竹爲筩。衆吏持筩走白、殺靑而文見於中。曰、君王萬歲。公知其僞(徐本僞作爲。)、不應。吏懼而退。中元節宴開元寺。蓋盛遊也。酒方行、衆呼曰、佛光見。觀者相騰踏、不可禁。公安坐不動、頃之乃定。大興州學、親視敦勉、士人從化者甚衆。漢守有園圃公田之入、素稱優厚。至者無不厚藏而歸。公始被命、親舊以其素貧、皆爲之喜。公擇而取之、終任所獲布數百匹而已。
【読み】
代わり還って、漢州の事に知たり、庫部郎中に遷さる。蜀の俗輕浮にして、公之に臨むに安靜を以てす。事を視るの翌日、謝表を上げんとして、園中に命じて竹を取って筩を爲さしむ。衆吏筩を持して走り白す、殺靑するに文中に見る。曰く、君王萬歲、と。公其の僞りを(徐本僞を爲に作る。)知って、應ぜず。吏懼れて退く。中元の節開元寺に宴す。蓋し盛遊なり。酒方に行わるとき、衆呼に曰く、佛光見る、と。觀る者相騰踏して、禁ず可からず。公安坐して動かず、頃くあって乃ち定まる。大いに州學を興して、親しく視敦く勉めて、士人從い化する者甚だ衆し。漢の守園圃公田の入有って、素より優厚と稱す。至る者厚く藏めて歸らずということ無し。公始めて命を被るとき、親舊其の素より貧しきを以て、皆之が爲に喜ぶ。公擇んで之を取って、任を終うるまで獲る所の布數百匹のみ。

熙寧中、議行新法、州縣囂然、皆以爲不可。公未嘗深論也。及法出、爲守令者奉行惟恐後。成都一道、抗議指其有未便者、獨公一人。時李元瑜爲使者。挾朝廷勢、淩蔑州郡、沮公以爲妄議。公奏請不俟滿罷去、不報。乃移疾、乞授代、不復視事。
【読み】
熙寧中に、新法を行わんことを議して、州縣囂然として、皆以て不可なりとす。公未だ嘗て深く論ぜず。法出るに及んで、守令爲る者奉行して惟後れんことを恐る。成都の一道、抗議して其の未だ便ならざる有る者を指すは、獨り公一人なり。時に李元瑜使者爲り。朝廷の勢を挾んで、州郡を淩蔑して、公を沮んで以て妄議とす。公奏して滿つるを俟たずして罷め去らんことを請えども、報あらず。乃ち疾を移して、授け代わらんことを乞いて、復事を視ず。

歸朝、願就閑局。得管勾西京嵩山崇福宮。歲滿再任。遷司農少卿。南郊恩賜金紫。以年及七十、乞致仕。家貧口衆、仰祿以生、據禮引年、略不以生事爲慮。人皆服公勇決。兩經南郊恩以子敍、遷中散大夫中大夫。今上卽位、覃恩、遷太中大夫。累封永年縣開國伯。食邑九百戶、勳上柱國。
【読み】
朝に歸って、閑局に就かんことを願う。西京嵩山崇福宮に管勾たることを得。歲滿ちて再び任ぜらる。司農少卿に遷さる。南郊に恩金紫を賜う。年七十に及ぶを以て、仕を致[かえ]すことを乞う。家貧しく口衆くして、祿を仰いで以て生すれども、禮に據り年を引いて、略生事を以て慮りとせず。人皆公の勇決に服す。兩たび南郊を經て恩子を以て敍ぜられ、中散大夫中大夫に遷さる。今上位に卽いて、覃恩、太中大夫に遷さる。累りに永年縣開國の伯に封ぜらる。食邑九百戶、勳は上柱國。

元祐五年正月十三日、以疾終於西京國子監。公舍先居暖室。病革、命遷正寢。享年八十有五。太師文彥博、西京留守韓公縝、今左丞蘇公頌等九人、相繼以公淸節言於朝。詔賜帛二百匹、仍命有司供其葬事。以四月十五日、葬于伊川先塋之次。
【読み】
元祐五年正月十三日、疾を以て西京の國子監に終う。公の舍先には暖室に居す。病革るとき、命じて正寢に遷る。享年八十有五。太師文彥博、西京の留守韓公縝、今の左丞蘇公頌等九人、相繼いで公の淸節を以て朝に言す。詔して帛二百匹を賜って、仍って有司に命じて其の葬事に供せしむ。四月十五日を以て、伊川先塋の次に葬る。

始少師厭五代・河北之多亂、徒葬少監於京兆之興平、將謀居醴泉。及貴、賜第於泰寧坊、遂再世居京師。嘉祐初、公卜葬祖考於伊川、始居河南。
【読み】
始め少師五代・河北の多亂を厭いて、少監を京兆の興平に徒し葬って、將に醴泉に居せんことを謀る。貴に及んで、第を泰寧坊に賜って、遂に再世京師に居す。嘉祐の初め、公祖考を伊川に葬らんことを卜して、始めて河南に居す。

公娶侯氏。贈尙書比部員外郎道濟之女、封壽安縣君。先公三十八年終。追封上谷郡君。男六人、長曰應昌、次曰天錫。皆幼亡。次曰顥。任承議郎宗正寺丞。先公五年卒。次頤也。次韓奴、次蠻奴、皆幼亡。女四人、長幼亡。次適奉禮郎席延年。次幼亡。次適都官郎中李正臣。
【読み】
公侯氏を娶る。贈尙書比部員外郎道濟の女、壽安縣君に封ぜらる。公に先だつこと三十八年にして終う。上谷郡君に追封せらる。男六人、長を應昌と曰い、次を天錫と曰う。皆幼にして亡す。次を顥と曰う。承議郎宗正寺丞に任ぜらる。公に先だつこと五年にして卒す。次は頤なり。次は韓奴、次は蠻奴、皆幼にして亡す。女四人、長は幼にして亡す。次は奉禮郎席延年に適く。次は幼にして亡す。次は都官郎中李正臣に適く。

公孝於奉親、順於事長、慈於撫幼、寬於治民。二歲喪母。祖母崔夫人撫愛異於他孫。嘗以漆鉢貯錢與之。公終身保藏其鉢、命子孫寶之。開府再娶崇國太夫人。時方八歲、已能親順顏色。崇國愛之如己出。奉養五十年、崇國未嘗形慍色。開府喜飮酒。公平生遇美酒、未嘗不思親。頤自垂髫至白首、不記其曾偶忘也。遇人與開府同年而生者、士人也無賢愚高下必拜之、賤者亦待之加禮。開府嘗從趙炎者貸錢伍千、未償。公記其姓名、而不知其子孫郷里、終身訪求、以不獲爲恨。
【読み】
公親に奉ずるに孝に、長に事うるに順に、幼を撫するに慈に、民を治むるに寬なり。二歲にして母を喪う。祖母崔夫人撫愛すること他の孫に異なり。嘗て漆鉢を以て錢を貯めて之を與う。公身を終うるまで其の鉢を保藏して、子孫に命じて之を寶とせしむ。開府再び崇國太夫人を娶る。時に方に八歲、已に能く顏色に親順す。崇國之を愛すること己より出るが如くす。奉養五十年、崇國未だ嘗て慍れる色を形さず。開府喜んで酒を飮む。公平生美酒に遇えば、未だ嘗て親を思わずんばあらず。頤垂髫[すいちょう]自り白首に至るまで、其の曾て偶々忘るることを記せず。人に遇って開府と同年にして生まるる者は、士人は賢愚高下と無く必ず之を拜し、賤者も亦之を待するに禮を加う。開府嘗て趙炎という者に從って錢伍千を貸りて、未だ償わず。公其の姓名を記すれども、其の子孫郷里を知らず、身を終うるまで訪ね求めて、獲ざるを以て恨みとす。

始公撫育諸孤弟。其長二人仕登朝省、二十餘年閒皆亡。長弟之子九歲、從弟之子十一歲、公復撫養、至于成長、畢其婚宦。育二孤皆再世、亦異事也。前後五得任子、以均諸父子孫。嫁遣孤女、必盡其力、所得俸錢、分贍親戚之貧者。伯母劉氏寡居。公奉養甚至。其女之夫死。公迎從女兄以歸。敎養其子、均于子姪。旣而女兄之女又寡。公懼女兄之悲思、又取甥女以歸嫁之。時小官祿薄、克己爲義。人以爲難。後遇劉氏之族子於襄邑。偶詢其宗系、知姻家也。未幾劉生卒。其子立之纔七歲。公取歸敎養。今登進士第、爲宣德郎矣。
【読み】
始め公諸々の孤弟を撫育す。其の長二人仕えて朝省に登って、二十餘年の閒に皆亡す。長弟の子九歲、從弟の子十一歲、公復撫養して、成長するに至って、其の婚宦を畢う。二孤を育すること皆再世、亦異事なり。前後五たび任子を得て、以て諸父の子孫に均しくす。孤女を嫁遣するに、必ず其の力を盡くし、得る所の俸錢、分かちて親戚の貧しき者に贍[あた]う。伯母劉氏寡居す。公奉養すること甚だ至れり。其の女の夫死す。公從女兄を迎えて以て歸がしむ。其の子を敎養すること、子姪に均し。旣にして女兄の女又寡なり。公女兄の悲しみ思わんことを懼れて、又甥女を取って以て之に歸嫁せしむ。時に小官祿薄くして、己に克つを義とす。人以て難しとす。後劉氏の族子に襄邑に遇う。偶々其の宗系を詢いて、姻家なることを知る。未だ幾ならずして劉生卒す。其の子立之纔かに七歲なり。公取歸して敎養す。今進士の第に登って、宣德郎と爲る。

公慈恕而剛斷。平居與幼賤語、惟恐有傷其意。至於犯義理、則不假也。左右使令之人、無日不察其饑飽寒暖。與人接、淡而有常。不妄交遊、於所信愛、久而益篤。在虔時、常假倅南安軍、一獄掾周惇實、年甚少、不爲守所知。公視其氣貌非常人、與語、果爲學知道者。因與爲友。及爲郎官、故事當舉代、每遷授、輒一薦之。
【読み】
公慈恕にして剛斷なり。平居幼賤と語るにも、惟其の意を傷つくこと有らんことを恐る。義理を犯すに至っては、則ち假せず。左右使令の人、日に其の饑飽寒暖を察せずということ無し。人と接すること、淡にして常有り。妄りに交遊せず、信愛する所に於ては、久しくして益々篤し。虔に在る時、常に假すに南安軍に倅たるの、一獄掾周惇實、年甚だ少くして、守の爲に知られず。公其の氣貌常人に非ざることを視て、與に語るに、果たして學を爲し道を知る者なり。因りて與に友と爲る。郎官と爲るに及んで、故事當に舉代すべく、遷授する每に、輒ち一たび之を薦む。

聞人有慶樂事、喜之如在己。不爲皎皎之行、平生不親附權勢。而請謁常禮、亦不廢也。至於親舊之貴顯者、旣不與之加親、亦不示之疎遠。故賢者莫不敬愛、不賢者亦無敢慢。寓居黃陂時、主簿貪凶人也。常曰、諺云、明境爲醜婦之冤。君居此照我、何其不幸也。遂頗自斂。有歐陽乾曜者、以才華自負、多肆輕傲易。公年少、常以語侵公。公如不聞。後公官嶺下、乾曜適倦道路。公以人船濟之。乾曜曰、可謂汪汪如千頃之波也。南昌黃灝有高才、名動江表。然頗不羈、稠人廣坐、無所不狎侮。公時最少、獨見禮重。常目公曰、長者無笑我。自少時德度服人已如此。
【読み】
人の慶樂の事有るを聞けば、之を喜ぶこと己に在るが如くす。皎皎の行いをせず、平生權勢に親附せず。而れども請謁の常禮は、亦廢せず。親舊の貴顯なる者に至っても、旣に之と加々親しまず、亦之に疎遠を示さず。故に賢者敬愛せずということ莫く、不賢者も亦敢えて慢ること無し。黃陂に寓居する時、主簿貪凶の人なり。常に曰く、諺に云く、明境は醜婦の冤爲り、と。君此に居して我を照らす、何ぞ其れ不幸なるや、と。遂に頗る自ら斂む。歐陽乾曜という者有り、才華を以て自ら負って、多く肆輕傲易す。公年少かりしとき、常に語を以て公を侵す。公聞かざるが如くす。後公嶺下に官たるとき、乾曜適々道路に倦む。公人を以て船にて之を濟す。乾曜曰く、謂う可し、汪汪たること千頃の波の如し、と。南昌の黃灝高才有って、名江表を動かす。然れども頗る不羈にして、稠人廣坐にも、狎侮せざる所無し。公時に最も少くして、獨り禮重せらる。常に公を目して曰く、長者我を笑うこと無かれ、と。少かりし時自り德度人を服すること已に此の如し。

居官臨事、孜孜不倦。歷守四郡、溫恭待下、身率以淸愼。所至、寮屬無有敢貪縱者。自朝廷行考課法、無歲不居上。平生居官、不以私事笞扑人。公之親愛者、常有所怒、堅請杖之曰、吏卒小人、不加以威、是使之慢也。公曰、當官用刑、蓋假手耳。豈可用於私也。終不從。謙退不伐善、常欿然自以爲不足。所能者、雖曲藝小事、人莫知也。平生所爲詩甚多。自謂非工、卽棄去。退休後所作、方稍編錄、亦未嘗以示人也。
【読み】
官に居し事に臨んで、孜孜として倦まず。歷く四郡に守として、溫恭にして下を待し、身ら率いるに淸愼を以てす。至る所、寮屬敢えて貪縱する者有ること無し。朝廷考課の法を行いし自り、歲として上に居せざるは無し。平生官に居して、私事を以て人を笞扑せず。公の親愛する者、常に怒る所有れば、堅く請いて之を杖して曰く、吏卒小人、加うるに威を以てせざれば、是れ之をして慢らしむるなり、と。公曰く、官に當たって刑を用うるは、蓋し手を假るのみ。豈私を用う可けんや、と。終に從わず。謙退して善に伐らず、常に欿然として自ら以て足らずとす。能くする所の者、曲藝小事と雖も、人知ること莫し。平生爲る所の詩甚だ多し。自ら工に非ずと謂いて、卽ち棄て去る。退休の後に作る所、方に稍編錄すれども、亦未だ嘗て以て人に示さず。

自少師以來、家傳淸白、而公處己尤約。官至四品、奉養如寒士、縑素之衣、有二三十年不易者。終身非宴會不重肉。旣謝事、遂屛朝衣。賓客來者、無貴賤見之。雖公相亦不往謝。方仕宦時、每歎曰、我貧、未能舍祿仕。苟得早退、休閑十年、志願足矣。自領崇福、外無職事、内不問家有無者、蓋二十餘年。居常默坐。人問、靜坐旣久。寧無悶乎。公笑曰、吾無悶也。家人欲其怡悅、每勸之出遊。時往親戚之家、或園亭佛舍。然公之樂不在此也。嘗從二子遊壽安山、爲詩曰、藏拙歸來已十年、身心世事不相關。洛陽山水尋須遍、更有何人似我閑。顧謂二子曰、遊山之樂、猶不如靜坐。蓋亦非好也。晩與文潞公、席君從、司馬伯康爲同甲會。洛中圖畫、傳爲盛事。
【読み】
少師自り以來、家傳淸白にして、公己を處すること尤も約なり。官四品に至れども、奉養寒士の如くにして、縑素の衣、二三十年易えざる者有り。身を終うるまで宴會に非ざれば肉を重ねず。旣に事を謝しては、遂に朝衣を屛[しりぞ]く。賓客の來る者は、貴賤と無く之を見る。公相と雖も亦往謝せず。仕宦の時に方って、每に歎じて曰く、我れ貧しくして、未だ祿仕を舍つること能わず。苟も早く退くことを得て、休閑十年ならば、志願足りなん、と。崇福を領して自り、外職事無く、内家の有無を問わざる者、蓋し二十餘年なり。居するに常に默坐す。人問う、靜坐旣に久し。寧ろ悶えること無けんや、と。公笑って曰く、吾れ悶えること無し、と。家人其の怡悅せんことを欲して、每に之に出遊せんことを勸む。時に親戚の家、或は園亭佛舍に往く。然れども公の樂しみ此に在らず。嘗て二子に從って壽安山に遊んで、詩を爲って曰く、拙を藏めて歸り來ること已に十年、身心世事相關わらず。洛陽の山水尋ぬること須く遍かるべく、更に何人有ってか我が閑に似ん、と。顧みて二子に謂いて曰く、遊山の樂しみは、猶靜坐に如かず。蓋し亦好に非ず、と。晩に文潞公、席君從、司馬伯康と同甲の會を爲う。洛中圖畫して、傳えて盛事とす。

年八十、喪長子。親舊以其慈愛素厚、憂不能堪。公以理自處、無過哀也。頤時未仕、闔門皇皇、不知所以爲生。公不以爲憂也。及頤被召、叨備勸講、人皆慶之。公無甚喜也。嘗有疾、召醫眡脈。曰、無害。公笑曰、吾年至此矣。有害無害皆可也。雖疾病、服藥必加巾。年七十、則自爲墓誌、紀履歷始終。而已書其後以戒子孫曰、吾歷官十二任、享祿六十年、但知廉愼寬和、孜孜夙夜。無勳勞可以報國、無異政可以及民、始終得免瑕謫、爲幸多矣。葬日、切不用干求時賢製撰銘誌。旣無事實可紀、不免虛詞溢美、徒累不德。只用此文刻于石、向壁安置。若或少違遺命、是不以爲有知也。不肖孤奉命不敢違。于葬旣無銘述、家傳所記、不敢一辭溢美、取誣親之罪。承公志也。
【読み】
年八十にして、長子を喪う。親舊其の慈愛素より厚きを以て、憂え堪うること能わず。公理を以て自ら處して、哀に過ぐること無し。頤時に未だ仕えず、闔門皇皇として、生を爲す所以を知らず。公以て憂えとせず。頤召されて、叨[みだ]りに勸講に備うるに及んで、人皆之を慶す。公甚だしく喜ぶこと無し。嘗て疾有り、醫を召して脈を眡[み]せしむ。曰く、害無し、と。公笑って曰く、吾れ年此に至れり。害有るも害無きも皆可なり、と。疾病なりと雖も、藥を服するに必ず巾を加う。年七十にして、則ち自ら墓誌を爲って、履歷始終を紀す。而して已に其の後に書して以て子孫を戒めて曰く、吾れ官を歷ること十二任、祿を享くること六十年、但廉愼寬和を知って、夙夜に孜孜たり。勳勞の以て國に報ず可き無く、異政の以て民に及ぼす可き無けれども、始終瑕謫を免るることを得て、幸多しとす。葬る日、切に時賢銘誌を製撰することを干め求むることを用いざれ、旣に事實の紀す可き無くば、虛詞美を溢たして、徒に不德を累わすことを免れず。只此の文を用いて石に刻んで、壁に向けて安置せよ。若し或は少しも遺命に違わば、是れ以て知ること有るとせざるなり、と。不肖孤命を奉じて敢えて違わず。葬に于て旣に銘述無く、家傳の記する所、敢えて一辭も美を溢たして、親を誣うるの罪を取らず。公の志を承ければなり。


上谷郡君家傳

先妣夫人姓侯氏、太原孟縣人、行第二(一作一。)。世爲河東大姓。曾祖元、祖暠、當五代之亂、以武勇聞。劉氏偏據日、錫土於烏河川。以控寇盜、亡其爵位。父道濟、始以儒學中科第、爲潤州丹徒縣令、贈尙書比部員外郎。母福昌縣太君刁氏。
【読み】
先妣夫人姓は侯氏、太原孟縣の人、行第二(一に一に作る。)。世々河東の大姓爲り。曾祖元、祖暠、五代の亂當たって、武勇を以て聞う。劉氏偏に據るの日、土を烏河川に錫う。寇盜を控うを以て、其の爵位を亡う。父道濟、始めて儒學を以て科第に中り、潤州丹徒縣の令と爲り、尙書比部員外郎を贈らる。母は福昌縣太君刁[ちょう]氏。

夫人幼而聰悟過人、女功之事、無所不能。好讀書史、博知古今。丹徒君愛之過於子。每以政事問之、所言雅合其意。常嘆曰、恨汝非男子。七八歲時、常敎以古詩曰、女人不夜出、夜出秉明燭。自是日暮則不復出房閣。刁夫人素有風厥之疾、多夜作。不知人者久之。夫人涕泣扶侍、常連夕不寐。
【読み】
夫人幼にして聰悟人に過ぎ、女功の事、能くせずという所無し。好んで書史を讀み、博く古今を知る。丹徒君之を愛すること子に過ぐ。每に政事を以て之に問うに、言う所雅[もと]より其の意に合う。常に嘆じて曰く、恨むらくは汝男子に非ざることを、と。七八歲の時、常に敎うるに古詩を以てして曰く、女人夜出ず、夜出れば明燭を秉る、と。是れ自り日暮れれば則ち復房閣を出ず。刁夫人素より風厥の疾有り、多くは夜作る。人を知らざる者久し。夫人涕泣扶侍して、常に連夕寐ず。

年十九、歸于我公(徐本無公字。)。事舅姑以孝謹稱、與先公相待如賓客。德容之盛、内外親戚無不敬愛。衆人遊觀之所、往往捨所觀而觀夫人。先公賴其内助、禮敬尤至。而夫人謙順自牧、雖小事未嘗專、必稟而後行。
【読み】
年十九にして、我公(徐本公の字無し。)に歸ぐ。舅姑に事うるに孝謹を以て稱せられ、先公と相待すること賓客の如し。德容の盛んなる、内外親戚敬愛せずということ無し。衆人遊觀の所、往往に觀る所を捨てて夫人を觀る。先公其の内助に賴って、禮敬尤も至る。而れども夫人謙順にして自ら牧[やしな]って、小事と雖も未だ嘗て專らにせず、必ず稟[もう]して而して後に行う。

仁恕寬厚、撫愛諸庶、不異己出。從叔幼孤。夫人存視、常均己子。治家有法、不嚴而整。不喜笞扑奴婢、視小臧獲如兒女。諸子或加呵責、必戒之曰、貴賤雖殊、人則一也。汝如此大時、能爲此事否。道路遺棄小兒、屢收養之。有小商出未還而其妻死、兒女散逐人去。惟幼者始三歲、人所不取。夫人懼其必死、使抱以歸。時聚族甚衆。人皆有不欲之色。乃別糴以食之。其父歸、謝曰、幸蒙收養、得全其生。願以爲獻。夫人曰、我本以待汝歸。非欲之也。好爲藥餌、以濟病者。大寒、有負炭而繫者過門。家人欲呼之。夫人勸止曰、愼勿爲此勝。則貧者困矣。
【読み】
仁恕寬厚、諸庶を撫愛すること、己より出るに異ならず。從叔幼にして孤なり。夫人存視しすること、常に己が子に均しくす。家を治むること法有り、嚴ならずして整う。奴婢を笞扑することを喜ばず、小臧獲を視ること兒女の如くす。諸子或は呵責を加うれば、必ず之を戒めて曰く、貴賤殊なりと雖も、人は則ち一なり。汝此の大いの時の如き、能く此の事をせんや否や、と。道路に遺棄の小兒あれば、屢々之を收め養う。小商出て未だ還らずして其の妻死する有り、兒女人に散逐せられ去る。惟幼き者始めて三歲、人の取らざる所なり。夫人其の必ず死せんことを懼れて、抱いて以て歸らしむ。時に族を聚むること甚だ衆し。人皆欲せざるの色有り。乃ち別に糴して以て之を食う。其の父歸り、謝して曰く、幸いに收め養うことを蒙って、其の生を全くすることを得。願わくは以て獻ずることをせん、と。夫人曰く、我れ本以て汝が歸るを待つ。之を欲するに非ざるなり、と。好んで藥餌を爲って、以て病者を濟う。大寒に、炭を負って繫ける者有って門を過る。家人之を呼ばんと欲す。夫人勸め止めて曰く、愼んで此の勝を爲すこと勿かれ。則ち貧者困しまん、と。

先公凡有所怒、必爲之寬解。唯諸兒有過則不掩也。常曰、子之所以不肖者、由母蔽其過而父不知也。夫人男子六人、所存惟二、其愛慈可謂至矣。然於敎之之道、不少假也。纔數歲、行而或踣、家人走前扶抱、恐其驚啼。夫人未嘗不呵責。曰、汝若安徐、寧至踣乎。飮食常置之坐側。嘗食絮羹、皆叱止之曰、幼求稱欲、長當如何。雖使令輩、不得以惡言罵之。故頤兄弟平生於飮食衣服無所擇。不能惡言罵人。非性然也、敎之使然也。與人爭忿、雖直不右曰、患其不能屈、不患其不能伸。及稍長、常使從善師友遊。雖居貧、或欲延客、則喜而爲之具。其敎女、常以曹大家女戒。
【読み】
先公凡そ怒る所有れば、必ず之が爲に寬解す。唯諸兒過ち有れば則ち掩わず。常に曰く、子が不肖なる所以は、母其の過ちを蔽って父知らざるに由る、と。夫人男子六人、存する所惟二り、其の愛慈至れりと謂う可し。然れども之を敎うるの道に於ては、少しも假せず。纔かに數歲にして、行って或は踣[たお]るれば、家人走り前んで扶抱して、其の驚啼せんことを恐る。夫人未だ嘗て呵責せずんばあらず。曰く、汝若し安徐ならば、寧ろ踣るるに至らんや、と。飮食常に之を坐側に置く。嘗て絮羹を食すれば、皆叱して之を止めて曰く、幼にして欲に稱うことを求めば、長じて當に如何にかすべき、と。使令の輩と雖も、惡言を以て之を罵ることを得ず。故に頤兄弟平生飮食衣服に於て擇ぶ所無し。惡言人を罵ること能わず。性然るに非ず、敎の然らしむるなり。人と爭忿すれば、直しと雖も右けずして曰く、其の屈すること能わざることを患えよ、其の伸ぶること能わざることを患えざれ、と。稍長ずるに及んで、常に善師に從わしめて友とし遊ばしむ。貧に居すと雖も、或は客を延かんと欲するときは、則ち喜んで之が具を爲す。其の女を敎うるには、常に曹大家の女戒を以てす。

居常敎告家人曰、見人善、則當如己善、必共成之。視他物、當如己物、必加愛之。先公罷尉廬陵、赴調、寓居歷陽。會叔父亦解掾毗陵、聚口甚衆、儲備不足。夫人經營轉易、得不困乏。先公歸問其所爲、歎曰、良轉運使才也。所居之處、鄰婦里姥皆願爲之用、雖勞不怨。始寓丹陽、僦葛氏舍以居。守舍王氏翁姥庸狡、前後居者無不苦之。夫人待之有道、遂反柔良。及遷去、王姥涕戀不已。
【読み】
居常[よのつね]家人に敎え告げて曰く、人の善を見ては、則ち當に己が善なるが如くにして、必ず共に之を成すべし。他の物を視ては、當に己が物の如くにして、必ず之を加愛すべし、と。先公廬陵に尉たることを罷めて、調に赴いて、歷陽に寓居す。會々叔父も亦毗陵に掾たることを解して、聚口甚だ衆くして、儲備足らず。夫人經營轉易して、困乏ならざることを得。先公歸って其の所爲を問いて、歎じて曰く、良に轉運使の才なり、と。居する所の處、鄰婦里姥皆之が爲に用いられんことを願って、勞すと雖も怨みず。始め丹陽に寓するとき、葛氏の舍を僦[やと]いて以て居す。守舍王氏翁姥庸狡にして、前後居る者之を苦しまずということ無し。夫人之に待すること道有り、遂に柔良に反る。遷り去るに及んで、王姥涕戀して已まず。

夫人安於貧約、服用儉素。觀親族閒紛華相尙、如無所見。少女方數歲、忽失所在。乳姥輩悲泣叫號。夫人罵止之曰、在當求得。苟亡失矣、汝如是、將何爲。在廬陵時、公宇多怪。家人告曰、物弄扇。夫人曰、熱爾。又曰、物擊鼓。夫人曰、有椎乎。可與之。後家人不敢復言怪、怪亦不復有、遂獲安居。
【読み】
夫人貧約に安んじて、服用儉素なり。親族の閒紛華相尙ぶを觀ては、見る所無きが如くす。少女方に數歲にして、忽ち所在を失す。乳姥の輩悲泣叫號す。夫人罵って之を止めて曰く、在らば當に求め得るべし。苟も亡失せば、汝是の如くするとも、將に何にかせんとす、と。廬陵に在る時、公の宇怪多し。家人告して曰く、物扇を弄す、と。夫人曰く、熱きのみ、と。又曰く、物鼓を擊つ、と。夫人曰く、椎有りや。之に與う可し、と。後家人敢えて復怪を言わず、怪も亦復有らずして、遂に安居することを獲。

夫人有知人之鑒。姜應明者、中神童第、人競觀之。夫人曰、非遠器也。後果以罪廢。頤兄弟幼時、夫人勉之讀書。因書綫貼上曰、我惜勤讀書兒。又竝書二行曰、殿前及第程延壽。先兄幼時名也。次曰、處士及先兄登第。頤以不才罷應科舉。方知夫人知之於童稚中矣。寶藏手澤、使後世子孫知夫人之精鑒。
【読み】
夫人人を知るの鑒有り。姜應明という者、神童の第に中って、人競って之を觀る。夫人曰く、遠器に非ず、と。後果たして罪を以て廢せらる。頤兄弟幼かりし時、夫人之に讀書を勉めしむ。因りて綫に書して上に貼して曰く、我れ惜しんで讀書の兒を勤めしむ、と。又二行を竝書して曰く、殿前及第す程延壽、と。先兄幼かりし時の名なり。次に曰く、處士は先兄の登第に及ばん。頤は以て不才科舉に應ずることを罷めよ、と。方に知る、夫人之を童稚の中に知ることを。手澤を寶とし藏めて、後世の子孫をして夫人の精鑒を知らしむ。

夫人好文、而不爲辭章。見世之婦女以文章筆札傳於人者、深以爲非。平生所爲詩、不過三二篇、皆不存。獨記、在歷陽時、先公覲親河朔。夜聞鳴雁、嘗爲詩曰、何處驚飛起、雝雝過草堂。早是愁無寐、忽聞意轉傷。良人沙塞外、羈妾守空房。欲寄廻文信、誰能付汝將。讀史、見姦邪逆亂之事、常掩卷憤歎。見忠孝節義之士、則欽慕不已。嘗稱唐太宗得禦戎之道、其識慮高遠、有英雄之氣。夫人之弟可世稱名儒。才智甚高。嘗自謂不如夫人。
【読み】
夫人文を好んで、辭章を爲らず。世の婦女文章筆札を以て人に傳うる者を見て、深く以て非とす。平生爲る所の詩、三二篇に過ぎず、皆存せず。獨り記す、歷陽に在る時、先公親に河朔に覲ゆ。夜鳴雁を聞いて、嘗て詩を爲って曰く、何れの處にか驚飛し起こる、雝雝[ようよう]として草堂を過ぐ。早是れ愁えて寐ること無し、忽ち聞いて意轉[うた]た傷む。良人沙塞の外、羈妾空房を守る。廻文の信を寄せんと欲せども、誰か能く汝に付いて將[おく]らん、と。史を讀んで、姦邪逆亂の事を見れば、常に卷を掩いて憤歎す。忠孝節義の士を見れば、則ち欽慕已まず。嘗て稱す、唐の太宗戎を禦ぐの道を得、其の識慮高遠にして、英雄の氣有り、と。夫人の弟可世名儒と稱す。才智甚だ高し。嘗て自ら謂う、夫人に如かず、と。

夫人自少多病、好方餌修養之術、甚得其效。從先公官嶺外、偶迎涼露寢、遂中瘴癘。及北歸、道中病革。召醫視脈。曰、可治。謂二子曰、紿爾也。未終前一日、命頤曰、今日百五、爲我祀父母。明年不復祀矣。夫人以景德元年甲辰十月十三(一作二十二。)日、生於太原。皇祐四年壬辰二月二十八日、終於江寧。享年四十九。始封壽安縣君、追封上谷郡君。
【読み】
夫人少かりし自り多病、方餌修養の術を好んで、甚だ其の效を得。先公嶺外に官たるに從って、偶々涼を迎え露寢して、遂に瘴癘に中る。北歸するに及んで、道中にして病革なり。醫を召して脈を視せしむ。曰く、治す可し、と。二子に謂いて曰く、爾を紿[あざむ]けるなり、と。未だ終わらざるの前一日、頤に命じて曰く、今日百五、我が爲に父母を祀れ。明年復祀らざれ、と。夫人景德元年甲辰十月十三(一に二十二に作る。)日を以て、太原に生まる。皇祐四年壬辰二月二十八日、江寧に終う。享年四十九。始め壽安縣君に封ぜられ、上谷郡君に追封せらる。


叔父朝奉墓誌銘

叔父名珫、字季聰、贈太子少師諱羽、淸河郡太君張氏、襄陵郡太君賈氏之曾孫、尙書虞部員外郎諱希振、高密縣君崔氏之孫、贈開府儀同三司諱遹、榮國太夫人張氏、崇國太夫人張氏之子、先公太中之季弟。其上世居深州之博野、累代聚居、以孝義稱。至少師顯於朝、賜第京師、始居開封。先君葬祖考於伊川、遂遷河南。
【読み】
叔父名は珫[しゅう]、字は季聰、贈太子の少師諱は羽、淸河郡太君張氏、襄陵郡太君賈氏の曾孫、尙書虞部員外郎諱は希振、高密縣君崔氏の孫、贈開府儀同三司諱は遹、榮國太夫人張氏、崇國太夫人張氏の子、先公太中の季弟なり。其の上世深州の博野に居し、累代聚居して、孝義を以て稱せらる。少師に至って朝に顯れて、第を京師に賜って、始めて開封に居す。先君祖考を伊川に葬って、遂に河南に遷る。

公天性孝友淳質、不事文飾。幼孤、事崇國能竭其力。於宗族篤恩義、愛幼穉如己生、事伯兄丘嫂如父母。與人接、傾盡心腑、信人如己、屢致欺而不變。人多笑之、而好德者重之。
【読み】
公天性孝友淳質にして、文飾を事とせず。幼くして孤にして、崇國に事えて能く其の力を竭くす。宗族に於て恩義を篤くし、幼穉を愛すること己が生めるが如くし、伯兄丘嫂に事うること父母の如くす。人と接するに、心腑を傾盡して、人を信ずること己が如くして、屢々欺かるることを致せども變ぜず。人多く之を笑えども、德を好む者之を重んず。

年四十五、始以伯兄太中恩補郊社齋郎、調懷州修武縣主簿。秩滿、受權澤州端氏縣令、閱歲卽眞用薦者。改大理寺丞、復四遷、至朝奉郎。積勳至上輕車都尉賜服銀緋。歷河中府龍門、汝州襄城縣事、權管勾西京國子監、遂致官事。公當官竭力、不擇難易、盡心於愛人。故所至民愛之。嘗捕蝗、徒步執篲、爲衆人先。其不愛力皆此類。喜求民利病、力可行者行之、不能者言之上官、雖沮却不恨。
【読み】
年四十五にして、始めて伯兄太中補郊社齋郎に恩せらるるを以て、懷州修武縣の主簿に調ばる。秩滿ちて、權に澤州端氏縣の令を受け、歲を閱して眞に用い薦むる者に卽く。大理寺丞に改められ、復四遷して、朝奉郎に至る。積勳上輕車都尉賜服銀緋に至る。河中府龍門、汝州襄城縣の事を歷、權に西京の國子監に管勾として、遂に官事を致[かえ]す。公官に當たって力を竭くして、難易を擇ばず、心を人を愛するに盡くす。故に至る所民之を愛す。嘗て蝗を捕るとき、徒步して篲[ほうき]を執って、衆人の爲に先だつ。其の力を愛しまざること皆此の類なり。喜んで民の利病を求めて、力行う可き者は之を行い、能わざる者は之を上官に言い、沮まると雖も却って恨みず。

年五十始有子、傷從兄無嗣、遂以繼之。先君六得任子恩、公與二子實居其三、則公之見愛於兄、與先君之厚於弟、可見矣。
【読み】
年五十にして始めて子有り、從兄嗣無きことを傷んで、遂に以て之を繼がしむ。先君六たび任子の恩を得て、公と二子と實に其の三に居するときは、則ち公の愛を兄に見すと、先君の弟に厚きと、見る可し。

娶賈氏。追封宜興縣君。繼室張氏、封壽光縣君。子二人、長曰頔。郊社齋郎、出繼從伯父後。次曰顒。太廟齋郎。女二人、長適承議郎劉立之。次適進士王霂。公生於天聖元年四月壬寅、終於紹聖四年六月乙酉。歷年七十有五。是年十月某日、葬於伊川、祔先塋。孤姪頤號泣而銘其穴曰、
【読み】
賈氏を娶る。宜興縣君に追封ぜらる。繼室張氏、壽光縣君に封ぜらる。子二人あり、長を頔[てき]と曰う。郊社齋郎たり、出て從伯父の後を繼ぐ。次を顒[ぎょう]と曰う。太廟の齋郎たり。女二人、長は承議郎劉立之に適く。次は進士王霂[ぼく]に適く。公天聖元年四月壬寅に生まれ、紹聖四年六月乙酉に終う。歷年七十有五。是の年十月某の日、伊川に葬って、先塋に祔す。孤姪頤號泣して其の穴に銘して曰く、

孝於事親、順於事兄、質直而好義、勤瘁以奉公。家無閒言、仕有善效。古之所謂躬行君子、公其是乎。歸全於斯。嗚呼、哀哉。
【読み】
親に事うるに孝に、兄に事うるに順に、質直にして義を好み、勤瘁して以て公に奉ず。家に閒言無く、仕えて善效有り。古の所謂躬に君子を行うというは、公其れ是れか。全きを斯に歸す。嗚呼、哀しいかな、と。


家世舊事

少師影帳畫侍婢二人。一曰鳳子、一曰宜子。頤幼時猶記伯祖母指其爲誰。今則無能識者。抱笏蒼頭曰福郎。家人傳曰、畫工呼使啜茶、視而寫之。福郎尋卒。人以爲畫殺。叔父七郎中影帳亦畫侍者二人。大者曰楚雲、小者曰僿(一作賽。)奴。未幾二人皆卒。由是家中益神其事。人壽短長有定數。豈畫能殺。蓋偶然爾。
【読み】
少師の影帳に侍婢二人を畫く。一りは鳳子と曰い、一りは宜子と曰う。頤幼かりし時猶伯祖母指して其の誰とすることを記す。今は則ち能く識る者無し。笏を抱く蒼頭を福郎と曰う。家人傳えて曰く、畫工呼んで茶を啜らしめて、視て之を寫す、と。福郎尋いで卒す。人以爲えらく、畫殺す、と。叔父七郎中の影帳にも亦侍者二人を畫く。大なる者は楚雲と曰い、小なる者は僿(一に賽に作る。)奴と曰う。未だ幾ならずして二人皆卒す。是に由って家中益々其の事を神とす。人壽の短長定數有り。豈畫いて能く殺さん。蓋し偶々然るのみ。

成都寺院皆無高門限。傳云少師脚短、當時皆去之。至今猶不復用。
【読み】
成都の寺院皆門限を高くすること無し。傳に云く、少師脚短くして、當時皆之を去る。今に至るまで猶復用いず、と。

少師卜居醴泉、第舍卑狹。頤少時嘗到、宛然如舊。諸房門皆題誰居。先公太中所記也。後十年再到、則已爲四翁(名逢堯。)房。子孫所賣。更易房室、不忍復觀矣。自少師貴顯、居京師、醴泉第宅、大評事諸孫居之。後遂分而賣之。先公未嘗問也。券契皆存。以其上有少師書字、故不忍毀去。然收藏甚密、家中子弟有未嘗見者。先公守鳳州時、四翁問、欲得宅否。先公答以叔有之與珦有之正同。當善守而已。又出一少師小印合示頤曰、祖物也。可收之。頤曰、翁能保之足矣。不敢受者、所以安其疑心也。又如(徐本如作知。)太宗皇帝御書及少監眞像皆在、亦未敢求見。不意纔數年、四翁卒。比再至醴泉、則散失盡矣。思之痛傷。後又二十年、頤到醴泉、改葬少師、始求得少監・段太君誥(徐本誥作告。)於三翁家、少師犀帶於長安太監簿家、少師綠玉枕於四翁女种家、鞍瓦於三翁家。
【読み】
少師醴泉に卜居するとき、第舍卑狹なり。頤少かりし時嘗て到るに、宛然として舊の如し。諸々の房門皆誰が居ということを題す。先公太中の記する所なり。後十年にして再び到るときは、則ち已に四翁(名は逢堯。)の房と爲る。子孫の賣る所なり。房室を更易して、復觀るに忍びず。少師貴顯にして、京師に居して自り、醴泉の第宅は、大評事の諸孫之に居す。後遂に分かちて之を賣る。先公未だ嘗て問わず。券契皆存す。其の上に少師の書字有るを以て、故に毀ち去るに忍びず。然して收藏甚だ密にして、家中の子弟未だ嘗て見ざる者有り。先公鳳州に守たる時、四翁問う、宅を得んことを欲するや否や、と。先公答うるに叔之を有すると珦之を有すると正に同じ。當に善く守るべきのみというを以てす。又一つの少師の小印合を出して頤に示して曰く、祖の物なり。之を收む可し、と。頤曰く、翁能く之を保たば足れり、と。敢えて受けざる者は、其の疑心を安んずる所以なり。又太宗皇帝の御書及び少監の眞像の如き(徐本如を知に作る。)皆在れども、亦未だ敢えて求め見ず。意わざりき、纔か數年にして、四翁卒せんとは。比[このごろ]再び醴泉に至るときは、則ち散失し盡く。之を思って痛み傷む。後又二十年にして、頤醴泉に到って、少師を改め葬るとき、始めて少監・段太君の誥(徐本誥を告に作る。)を三翁の家に、少師の犀帶を長安の太監簿が家に、少師の綠玉枕を四翁の女种家に、鞍瓦を三翁の家に求め得。

少師厭河北・五代兵戈、及宰醴泉、遂謀居焉。徙葬少監于縣城之西。旣顯、雖賜第居京師、囊橐至於御書誥勑皆多在醴泉。從高祖、太評事、四評事、治生事皆淳儉嚴整。太評事家人未嘗見笑、惟長孫始生(長安虞部也。)、一老嫗白曰、承旨(將軍也)新婦生男。微開顏曰、善視之。曾祖母崔夫人亦留醴泉、與從曾祖母雷氏(將軍之室。)奉事二叔舅姑晨夕敬畏、平居必曳之(徐本曳之作著。)長裾烹飪。少有失節則不食、拱手而起。二婦恐懼、不敢問所由。伺其食美、取所餘嘗之、然後知所嗜。太高祖母楊氏前卒、四高祖母李氏主内事。性尤嚴峻。二婦晝則供侍、夜復課以女工之事。雷氏不堪其勞、有閒則泣於後庭。崔夫人每勸勉之。竟得羸疾而終。崔夫人怡怡如也。叔舅姑遂加愛之。後外祖崔駕部過雍、見其艱苦之甚、屬少師取至京師。不撤帷帳、盡置囊篋云、暫往省覲。叔舅姑方聽其來。少師之待兄弟、崔夫人之事叔舅姑、後世所當法也。
【読み】
少師河北・五代兵戈を厭いて、醴泉に宰たるに及んで、遂に居せんことを謀る。少監を縣城の西に徙し葬る。旣に顯れて、第を賜って京師に居すと雖も、囊橐[のうたく]より御書誥勑に至るまで皆多くは醴泉に在り。從高祖、太評事、四評事、生事を治むること皆淳儉嚴整なり。太評事の家人未だ嘗て笑うことを見ず、惟長孫始めて生まるるとき(長安虞部なり。)、一老嫗白して曰く、承旨(將軍なり)の新婦男を生む、と。微しく顏を開いて曰く、善く之を視よ、と。曾祖母崔夫人亦醴泉に留まって、從曾祖母雷氏(將軍の室。)と二りの叔舅姑に奉事すること晨夕敬み畏れて、平居必ず之に長裾を曳[き]て(徐本曳之を著に作る。)烹飪す。少しも節を失すること有れば則ち食せずして、手を拱して起つ。二婦恐れ懼れて、敢えて所由を問わず。其の食すること美なるを伺うは、餘す所を取って之を嘗めて、然して後に嗜む所を知る。太高祖母楊氏前だって卒して、四高祖母李氏内事を主る。性尤も嚴峻なり。二婦晝は則ち供侍し、夜は復課するに女工の事を以てす。雷氏其の勞に堪えずして、閒有れば則ち後庭に泣く。崔夫人每に勸めて之を勉めしむ。竟に羸疾を得て終う。崔夫人怡怡如たり。叔舅姑遂に之を加愛す。後外祖崔駕部雍を過って、其の艱苦の甚だしきを見て、少師に屬して取って京師に至らしむ。帷帳を撤せずして、盡く囊篋を置いて云く、暫く往いて省覲せん、と。叔舅姑方に聽して其れ來る。少師の兄弟に待し、崔夫人の叔舅姑に事うる、後世當に法るべき所なり。

少師治醴泉、惠愛及人至深。其後諸房子弟旣多、不無侵損於邑人。而邑人敬愛之不衰。有爭忿者及門則止、俟過而復爭。小兒持盤賣果、爲族中羣兒奪取、啼而不敢較。嘉祐初、頤過邑、去少師時八十年矣。驢足病。呼醫治之。問知姓程、辭錢不受。昔時村婦多持香茶祈蠶於塚。因掐取其土以乞靈。後禁止之。
【読み】
少師醴泉を治むるとき、惠愛人に及ぶこと至って深し。其の後諸房子弟旣に多くして、邑人を侵し損すること無くんばあらず。而れども邑人之を敬愛すること衰えず。爭い忿る者有って門に及べば則ち止め、過ぐるを俟って復爭う。小兒盤を持して果を賣る、族中の羣兒の爲に奪い取らるれども、啼いて敢えて較[きそ]わず。嘉祐の初め、頤邑を過ぎ、去るとき少師時に八十年なり。驢足病む。醫を呼んで之を治さしむ。姓程なることを問い知って、錢を辭して受けず。昔時村婦多く香茶を持して蠶を塚に祈る。因りて其の土を掐[つま]み取って以て靈を乞う。後禁じて之を止む。

族父文簡公應舉來京師、館於廳旁書室。唯乘一驢、更無餘資。至則賣驢、得錢數千。伯祖殿直輕財好義、待族人甚厚。日責文簡公具酒肴(徐本肴作餚。)、欲觀其器度。文簡公訴曰、驢兒已喫至尾矣。
【読み】
族父文簡公舉に應じて京師に來て、廳旁の書室に館す。唯一驢に乘って、更に餘資無し。至るときは則ち驢を賣って、錢數千を得。伯祖殿直財を輕んじ義を好んで、族人に待すること甚だ厚し。日に文簡公の酒肴(徐本肴を餚に作る。)を具うることを責めて、其の器度を觀んと欲す。文簡公訴えて曰く、驢兒已に喫して尾に至る、と。

文簡公一夕夢紫衣持箱幞。其中若勑書。授(徐本授作受。)之曰壽州陳氏。不測所謂、以問伯祖殿直、亦莫能曉。後登科、有媒氏來告、有陳氏求婿、必欲得高第者(徐本第者作科名。)。問其郷里、乃壽州人。文簡公年少才高、欲婿名家、弗許。伯祖曰、爾夢如是。蓋默定矣。豈可違也。强之使就。後累年猶怏怏。陳夫人賢德宜家、夫婦偕老、享封大國、子孫相繼。豈偶然哉。
【読み】
文簡公一夕夢みらく、紫衣箱幞[そうほく]を持す。其の中勑書の若し。之を授けて(徐本授を受に作る。)壽州の陳氏と曰う。所謂を測らずして、以て伯祖殿直に問えども、亦能く曉すこと莫し。後科に登るとき、媒氏有りて來り告ぐ、陳氏婿を求むること有り、必ず高第の者(徐本第者を科名に作る。)を得んと欲す、と。其の郷里を問えば、乃ち壽州人なり。文簡公年少く才高くして、名家に婿たらんことを欲して、許されず。伯祖曰く、爾が夢是の如し。蓋し默定せり。豈違う可けんや、と。之を强いて就かしむ。後累年猶怏怏たり。陳夫人賢德家に宜しくして、夫婦偕に老い、封を大國に享けて、子孫相繼ぐ。豈偶然ならんや。

叔祖寺丞有知人之鑒、常謂文簡公公輔之器。文簡公爲著作佐郎時。賈文元尙少。一日侍叔祖坐曰、某昨夜夢坐此。有一人乘驢而來、索紙寫門狀、復乘驢而去。坐中有一人指之曰、此將來宰相也。頃之、文簡公乘驢而來、索紙寫門狀、復登驢而去(徐本去作出。)。正如所說之夢。賈文元曰、程六當爲宰相。歎羨不已。叔祖謂曰、爾無羨彼。爾作相當(徐本無當字。)在先。及文簡公爲兩制、賈方小官。及參大政、風望傾朝。衆謂、旦夕爰立。俄以事罷去。比三易藩郡、而賈已登庸、方拜使相。雖古之精於術者、無以過也。
【読み】
叔祖寺丞人を知るの鑒有り、常に文簡公は公輔の器なりと謂う。文簡公著作佐郎時爲り。賈文元尙少し。一日叔祖に侍して坐して曰く、某昨夜夢に此に坐す。一人有って驢に乘って來りて、紙を索めて門狀を寫し、復驢に乘って去る。坐中一人有って之を指して曰く、此れ將來の宰相なり、と。頃くあって、文簡公驢に乘って來りて、紙を索めて門狀を寫し、復驢に登って去る(徐本去を出に作る。)。正に說く所の夢の如し。賈文元曰く、程六當に宰相と爲るべし、と。歎羨すること已まず。叔祖謂いて曰く、爾彼を羨むこと無かれ。爾相と作ること當に(徐本當の字無し。)先に在るべし、と。文簡公兩制と爲るに及んで、賈方小官なり。大政に參するに及んで、風望朝を傾く。衆謂えらく、旦夕爰に立たん、と。俄に事を以て罷去せらる。三たび藩郡を易うるに比んで、賈已に登庸せられて、方に拜して相たらしむ。古の術に精しき者と雖も、以て過ぐること無し。

叔祖寺丞年四十、謂家人曰、吾明年死矣。居數月、又指堂前屋曰、吾去死、如隔此屋矣。又數月指室中牕曰、吾之死、止如隔此紙爾。未幾而卒。叔祖多才藝。與人會射、發矢能如其意。常從主人之後、主人中則亦中、主人遠則亦遠。不差尺寸。
【読み】
叔祖寺丞年四十、家人に謂いて曰く、吾れ明年死せん、と。居ること數月にして、又堂前の屋を指して曰く、吾れ死し去るは、此の屋を隔つるが如し、と。又數月にして室中の牕を指して曰く、吾が死は、止此の紙を隔つるが如きのみ、と。未だ幾ならずして卒す。叔祖才藝多し。人と會射するに、矢を發つこと能く其の意の如くす。常に主人の後に從って、主人中つれば則ち亦中つ、主人遠るれば則ち亦遠る。尺寸を差えず。

伯祖殿直喜施而與人周。一日苦寒、有儒生造門。卽持綿袴與之。其人大驚曰、何以知我無袴也。蓋於遊從閒(徐本閒作問。)、常察其不足也。至晩年、家資懸罄、而爲義不衰。有儒生以講說醵錢。時家無所有。偶伯祖母有珠子裝抹胸、賣得十三千、盡以與之。
【読み】
伯祖殿直施すことを喜んで人に與うること周し。一日苦寒、儒生有りて門に造る。卽ち綿袴を持して之を與う。其の人大いに驚いて曰く、何を以てか我が袴無きことを知る、と。蓋し遊從の閒に(徐本閒を問に作る。)於て、常に其の不足を察す。晩年に至って、家資懸罄[けんけい]なれども、義を爲して衰えず。儒生有りて講說を以て錢を醵[きょ]す。時に家有る所無し。偶々伯祖母珠子の胸に裝抹する有り、賣って十三千を得て、盡く以て之に與う。

明道先生宰晉城時、有富民張氏子、其父死。未幾、晨起、有老父立於門外。問之、曰、我汝父也。今來就汝居。具陳其由。張氏子驚疑莫測、相與詣縣、請辨之。老父曰、業醫遠出治疾。而妻生子。貧不能養、以與張氏。某年某月某日某人抱去。某人某人見之。先生謂曰、歲久矣。爾何記之詳也。老父曰、某歸而知之、則書於藥法策後。因懷中取策進之。其所記曰、某年月日、某人抱兒與張三翁家。先生問張氏子曰、爾年幾何。曰、三十六矣。爾父而在、年幾何。曰、七十六矣。謂老父曰、是子之生、其父年纔四十人。已謂之三翁乎。老父驚駭服罪。
【読み】
明道先生晉城に宰たる時、富民張氏が子有り、其の父死す。未だ幾ならずして、晨に起きれば、老父有りて門外に立つ。之を問えば、曰く、我が汝が父なり。今來りて汝が居に就く、と。具に其の由を陳ぶ。張氏が子驚き疑って測ること莫くして、相與に縣に詣って、之を辨ぜんことを請う。老父曰く、醫を業として遠く出て疾を治す。而して妻子を生む。貧しくして養うこと能わず、以て張氏に與う。某の年某の月某の日某の人抱き去る。某の人某の人之を見る、と。先生謂いて曰く、歲久し。爾何ぞ記するの詳らかなる、と。老父曰く、某歸って之を知って、則ち藥法の策の後に書す、と。因りて懷中より策を取って之を進む。其の所記に曰く、某の年月日、某の人兒を抱いて張三翁の家に與う、と。先生張氏が子に問いて曰く、爾年幾何ぞ、と。曰く、三十六なり、と。爾が父而も在らば、年幾何ぞ、と。曰く、七十六なり、と。老父に謂いて曰く、是の子の生まるるとき、其の父年纔かに四十の人なり。已に之を三翁と謂わんや、と。老父驚駭して罪に服す。

明道主簿上元時、謝師直爲江東轉運判官。師宰來省其兄。嘗從明道假公僕掘桑白皮。明道問之曰、漕司役卒甚多。何爲不使。曰、本草說、桑白皮出土見日者殺人。以伯淳所使人不欺、故假之爾。師宰之相信如此。謝師直尹洛時、嘗談經與鄙意不合。因曰、伯淳亦然。往在上元、某說春秋、猶時見取。至言易、則皆曰、非是。頤謂曰、二君皆通易者也。監司談經、而主簿乃曰、非是。監司不怒、主簿敢言。非通易能如是乎。
【読み】
明道上元に主簿たる時、謝師直江東の轉運判官爲り。師宰來りて其の兄を省る。嘗て明道に從って公の僕を假りて桑白皮を掘らしめんという。明道之を問いて曰く、漕司役卒甚だ多し。何爲れぞ使わざる、と。曰く、本草に說く、桑白皮土を出て日を見る者は人を殺す、と。伯淳の使う所の人欺かざらんことを以て、故に之を假るのみ、と。師宰の相信ずること此の如し。謝師直洛に尹たる時、嘗て經を談ずること鄙意と合わず。因りて曰く、伯淳も亦然り、と。往[さき]に上元に在るとき、某春秋を說けば、猶時に取ることを見る。易を言うに至っては、則ち皆曰く、是に非ず、と。頤謂いて曰く、二君は皆易に通ずる者なり。監司經を談じて、主簿乃ち曰く、是に非ず、と。監司怒らず、主簿敢えて言う。易に通ずるに非ずんば能く是の如くんらんや、と。


改葬告少監文
【読み】
改め葬るとき少監に告ぐるの文

維元祐六年辛未二月癸卯、玄孫右承議郎、權司管勾西京國子監、輕車都尉、賜緋魚袋珫、謹遣姪頤就墳所、以酒肴之具、祭告于高祖少監、高祖母京兆太君段氏之靈。秦人之俗、以開發塚墓爲事。近年以來、太評事、四評事墓繼遭盜劫。少師墓亦嘗有穴、固不知完否。苟不完矣、理當改厝。幸而尙完、異日之禍、不得不慮。今將改葬少師、而遷公丘封、使後人不知墓之所在、以圖永安。謹具昭告。伏惟鑒饗。
【読み】
維れ元祐六年辛未二月癸卯、玄孫右承議郎、權司管勾西京の國子監、輕車都尉、賜緋魚袋珫、謹んで姪頤をして墳所に就かしめて、酒肴の具を以て、祭って高祖少監、高祖母京兆太君段氏の靈に告す。秦人の俗、塚墓を開發するを以て事とす。近年以來、太評事、四評事の墓繼いで盜劫に遭う。少師の墓も亦嘗て穴有り、固より完きや否やというを知らず。苟も完からずんば、理改め厝[お]く當し。幸いにして尙完くとも、異日の禍、慮らざることを得ず。今將に少師を改め葬って、公の丘封を遷し、後人をして墓の所在を知らざらしめて、以て永安を圖らんとす。謹んで具[の]べて昭らかに告す。伏して惟鑒饗したまえ。


祭席仁叟文
【読み】
席仁叟を祭る文

年月日、河南程頤謹以香醪致奠于亡姊夫奉禮郎席仁叟之靈。自我未冠、與君爲姻。遊從嬉戲、不殊同隊之魚、情好恩義、無異一門之親。知吾心而丹誠相照、信吾道而白首逾新(仁叟晩年見信益篤。)。於聚散之閒、尙不勝於淒慘、況死生之隔、何以喩其悲辛。昔我姊之云亡、望君舍而來奔。悼彼中途之夭逝、各懷哀憤以難伸。表情誠之不替、遂婚姻之重論。於是君之女以女於吾姪、我之息復歸于君門。敦契義之如是。豈淺薄之所存。何其降年不永、訃音遽聞。相去千里、徒增勞於魂夢。逮茲三稔、始獲展於丘墳。宿草雖久、予哀未泯。挈甥女以將歸。敍中懷而告違。淸香一炷、芳醪一卮、君其饗之、當鑒我心之悲。
【読み】
年月日、河南の程頤謹んで香醪を以て亡姊の夫奉禮郎席仁叟の靈に致奠す。我が未だ冠せざる自り、君と姻爲り。遊從嬉戲、同隊の魚に殊ならず、情好恩義、一門の親に異なること無し。吾が心を知って丹誠相照らし、吾が道を信じて白首逾々新たなり(仁叟晩年信ぜらるること益々篤し。)。聚散の閒に於てすら、尙淒慘に勝えず、況んや死生の隔て、何を以てか其の悲辛を喩えん。昔我が姊の云[ここ]に亡ぶるとき、君の舍を望んで來り奔る。彼の中途の夭逝を悼んで、各々哀憤を懷いて以て伸べ難し。情誠の替わらざることを表して、婚姻の重論を遂ぐ。是に於て君の女以て吾が姪に女[めあわ]し、我が息も復君の門に歸がしむ。契義を敦くすること是の如し。豈淺薄の存する所ならんや。何ぞ其れ年を降すこと永からずして、訃音遽に聞うるや。相去ること千里、徒に增々魂夢を勞す。茲の三稔に逮んで、始めて丘墳を展ぶることを獲。宿草久しと雖も、予が哀しみ未だ泯[ほろ]びず。甥女を挈[たづさ]えて以て將に歸せんとす。中懷を敍べて違することを告ぐ。淸香一炷[しゅ]、芳醪一卮[し]、君其れ之を饗けて、當に我が心の悲しみを鑒るべし。


祭張子直文
【読み】
張子直を祭る文

妹夫故尙書虞部員外郎張君子直之靈、嗚呼、與君遊從、歲踰一終。情在睦姻、我於君而旣厚、心存樂善、君於我而彌隆。會則盡合簪之歡、別則有索居之歎。信吾道而白首益堅、知余心而中懷靡閒。君在洛南、我居畿甸。常爲命駕之約、方切離羣之戀。忽承置郵之書、重有婚姻之願。雖稚女之愛憐、感君心之勤眷。遽報諾音、曾未幾月、走介歘來、言君被疾。觀遣辭之甚遽、已驚皇而自失。走十舍之修途、冒如焚之赫日。始及近郊、已聞捐室。撫孤孀而長慟、痛死生之遂隔。
【読み】
妹の夫故の尙書虞部員外郎張君子直の靈、嗚呼、君と遊び從うこと、歲一終を踰う。情睦姻に在って、我れ君に於て旣に厚く、心善を樂しむに存して、君我に於て彌々隆んなり。會うときは則ち合簪の歡を盡くし、別るるときは則ち索居の歎有り。吾が道を信じて白首益々堅く、余が心を知って中懷閒靡し。君は洛南に在り、我は畿甸に居す。常に命駕の約を爲し、方に離羣の戀を切にす。忽ち置郵の書を承り、重ぬるに婚姻の願い有り。稚女の愛憐と雖も、君の心の勤眷を感ず。遽に諾音を報じて、曾て未だ幾月ならざるに、走介歘[たちま]ち來りて、君疾を被ると言う。遣辭の甚だ遽なるを觀て、已に驚皇して自失す。十舍の修途を走って、焚くが如き赫日を冒す。始めて近郊に及べば、已に室を捐[す]つることを聞く。孤孀を撫して長く慟じて、死生の遂に隔つることを痛む。

嗚呼子直、惟君之生、爲善是力。臨官政有慈惠幹濟之稱、居郷里推謹厚淳和之德。謂所享之宜長。胡降衷之莫測。祐薄命短、人之所悲。母老子幼。禍兮何極。雖道路以猶嗟。宜親朋之共惜。何君命之若斯、俾我心之重衋。羈旅之次、肴羞粗飾。惟君之靈、監斯誠而來格。
【読み】
嗚呼子直、惟君の生、善をすること是れ力む。官政に臨んで慈惠幹濟の稱有り、郷里に居して謹厚淳和の德を推す。享くる所宜しく長かるべしと謂えり。胡ぞ衷を降すこと測ること莫き。祐薄く命短きは、人の悲しむ所。母老い子幼し。禍何ぞ極まらん。道路と雖も以て猶嗟く。宜なるかな親朋の共に惜しめること。何ぞ君が命の斯の若くにして、我が心をして重く衋[いた]ましむる。羈旅の次、肴羞粗飾す。惟君の靈、斯の誠を監て來格せよ。


祭四十一郎文
【読み】
四十一郎を祭る文

叔父頤令昂具酒肴(徐本肴作餚。)致祭于姪四十一郎之靈。嗚呼、乃祖乃父、世積慶善、而汝兄弟姊妹皆不克壽。天造差忒、至如是乎。惟汝資稟善和修謹、無子弟之過期。汝有成、而遽死耶。吾方以罪戾、竄縶遠方。生不獲視汝疾、死不獲撫汝柩、冤痛之深、衷腸如割。吾知汝有未伸之志、抱無窮之恨。吾當(徐本當作得。)致力慰爾心於泉下、又汝婦盛年、自今當待之加厚。冀其安室。嗣子循良、今已可見。當敎誨之、期於成立、則汝爲有後矣。此外吾無以致其力矣。嗚呼、吾將七十。望汝收我、而我反哭汝。天乎、冤哉。
【読み】
叔父頤昂をして酒肴(徐本肴を餚に作る。)を具えて姪四十一郎の靈を祭ることを致さしむ。嗚呼、乃の祖乃の父、世々慶善を積んで、汝の兄弟姊妹皆克く壽からず。天差忒を造すこと、是の如くなるに至れるか。惟汝が資稟善く和して修め謹んで、子弟の期を過ぐる無し。汝成ること有って、遽に死せるか。吾れ方に罪戾を以て、遠方に竄縶[ざんちゅう]せらる。生きて汝の疾を視ることを獲ず、死して汝の柩を撫することを獲ず、冤痛の深き、衷腸割けるが如し。吾れ知んぬ、汝未だ伸べざるの志有って、無窮の恨みを抱かんことを。吾れ當に(徐本當を得に作る。)力を致して爾が心を泉下に慰するべく、又汝が婦盛年、今自り當に之に待すること加々厚くすべし。冀わくは其れ室を安んぜん。嗣ぐ子循良、今已に見る可し。之を敎誨して、成立を期するに當たっては、則ち汝後有りとす。此の外吾れ以て其の力を致すこと無し。嗚呼、吾れ將に七十にならんとす。汝我を收めんことを望んで、我れ反って汝を哭す。天なるかな、冤なるかな。


祭李邦直文
【読み】
李邦直を祭る文

嗚呼、惟公世推文章、位登丞輔。簡編見其才華、廊廟存其步武。固不待誄而後知也。自與公別于茲九年、旣升沉之異迹、望履舄以無緣。惟期與公掛冠之後、居洛之濱、葛巾藜杖、日以相親。何志願之未諧、遂音容之永隔。追念平昔、悲辛塡臆。嗚呼、哀哉、頤也少服公名、晩識公面。重以姻媾、始終異眷。感懷知(徐本知作如。)遇、丹誠莫見。一慟靈筵、聊伸薄奠。
【読み】
嗚呼、惟れ公世文章を推し、位丞輔に登る。簡編其の才華を見し、廊廟其の步武を存す。固に誄[るい]を待って而して後に知るにはあらず。公と別れて自り茲に九年、旣に升沉迹を異にして、履舄を望むに以て緣無し。惟期す、公と冠を掛けるの後、洛の濱に居して、葛巾藜杖、日に以て相親しまんことを。何ぞ志願未だ諧[かな]わずして、遂に音容の永く隔たる。平昔を追念して、悲辛臆に塡つ。嗚呼、哀しいかな、頤少くして公の名に服し、晩に公の面を識る。重ぬるに姻媾を以てして、始終眷[かえり]みること異なり。感懷知(徐本知を如に作る。)遇、丹誠見ること莫し。一たび靈筵に慟じて、聊か薄奠を伸ぶ。


祭李通直文(先生之婿。)
【読み】
李通直を祭る文(先生の婿。)

嗚呼、余周流天下、閱人多矣。求其忠孝仁厚如子者幾希。宜得其壽。而遽死耶。余老矣。有賴於子、而反哭於子。何其酷邪。薄奠致誠。尙其來享。
【読み】
嗚呼、余天下に周流して、人を閱ること多し。其の忠孝仁厚子の如き者を求むるに幾ど希なり。宜しく其の壽を得るべし。而るに遽に死するや。余老いたり。子に賴むこと有って、反って子を哭す。何ぞ其れ酷なるや。薄奠誠を致す。尙わくは其れ來り享けよ。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)