二程全書卷之六十七  遺文

放蝎頌(見游氏本拾遺。)
【読み】
蝎を放つ頌(游氏本拾遺に見る。)

殺之則傷仁、放之則害義。
【読み】
之を殺せば則ち仁を傷つけ、之を放てば則ち義を害す。


酌貪泉詩(見劉立之敍述。)
【読み】
貪泉を酌む詩(劉立之敍述に見る。)

中心如自固、害物豈能遷。
【読み】
中心如し自ら固くせば、害物豈能く遷さんや。


書縣廳壁(見龜山語錄。)
【読み】
縣廳の壁に書す(龜山語錄に見る。)

視民如傷。
【読み】
民を視ること傷めるが如し。

右明道先生文。


易上下篇義(已載易傳。)
【読み】
易上下篇義(已に易傳に載す。)


易序(見性理羣書。已載易傳。)
【読み】
易序(性理羣書に見る。已に易傳に載す。)


禮序(見性理羣書。)
【読み】
禮序(性理羣書に見る。)

禮經三百、威儀三千、皆出於性。非僞貌飾情也。鄙夫野人卒然加敬、逡巡遜却而不敢受、三尺童子拱而趨市、暴夫悍卒莫敢狎焉。彼非素有於敎與邀譽於人而然也。蓋其所有於性、物感而出者如此。故天尊地卑、禮固立矣、類聚羣分、禮固行矣。
【読み】
禮經三百、威儀三千、皆性に出づ。貌を僞り情を飾るに非ず。鄙夫野人も卒然として敬を加うれば、逡巡遜却して敢えて受けず、三尺の童子も拱して市に趨けば、暴夫悍卒も敢えて狎るること莫し。彼素より敎を有すると人に譽れを邀むるとに非ずして然り。蓋し其の性に有する所、物感じて出る者此の如し。故に天尊く地卑くして、禮固に立ち、類聚まり羣分かれて、禮固に行わる。

人者、位乎天地之閒、立乎萬物之上。天地與吾同體、萬物與吾同氣、尊卑分類、不設而彰。聖人循此、制爲冠・昏・喪・祭・朝・聘・射・饗之禮、以行君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友之義。其形而下者、具於飮食器服之用、其形而上者、極於無聲無臭之微。衆人勉之、賢人行之、聖人由之。故所以行其身與其家與其國與其天下、禮治則治、禮亂則亂、禮存則存、禮亡則亡。上自古始、下逮五季、質文不同、罔不由是。然而世有損益、惟周爲備。是以夫子嘗曰、郁郁乎文哉、吾從周。逮其弊也、忠義之薄、情文之繁、林放有禮本之問、而孔子欲先進之從。蓋所以矯正反弊也。然豈禮之過哉。爲禮者之過也。
【読み】
人は、天地の閒に位し、萬物の上に立つ。天地と吾と體を同じくし、萬物と吾と氣を同じくし、尊卑類を分かちて、設けずして彰る。聖人此に循って、制して冠・昏・喪・祭・朝・聘・射・饗の禮を爲して、以て君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友の義を行う。其の形よりして下なる者は、飮食器服の用に具わり、其の形よりして上なる者は、聲も無く臭いも無きの微に極まる。衆人は之を勉め、賢人は之を行い、聖人は之に由る。故に其の身と其の家と其の國と其の天下とに行う所以、禮治まれば則ち治まり、禮亂れば則ち亂れ、禮存すれば則ち存し、禮亡ぶれば則ち亡ぶ。上古始自り、下五季に逮ぶまで、質文同じからざれども、是に由らずということ罔し。然れども世々損益有り、惟周を備われりとす。是を以て夫子嘗て曰く、郁郁乎として文なるかな、吾は周に從わん、と。其の弊るるに逮んで、忠義の薄き、情文の繁き、林放禮の本の問い有って、孔子先進に從わんと欲す。蓋し正しきを矯[あ]げ弊るるを反す所以なり。然れども豈禮の過ちならんや。禮を爲す者の過ちなり。

秦氏焚滅典籍、三代禮文大壞。漢興購書、禮記四十九篇雜出諸儒傳記、不能悉得聖人之旨。考其文義、時有牴牾。然而其文繁、其義博、學者觀之、如適大通之肆、珠珍器帛隨其所取、如游阿房之宮、千門萬戶隨其所入。博而約之、亦可以弗畔。蓋其說也、粗在應對進退之閒、而精在道德性命之要、始於童幼之習、而終於聖人之歸。惟逹於道者、然後能知其言。能知其言、然後能得於禮。然則禮之所以爲禮、其則不遠矣。昔者顏子之所從事、不出乎視聽言動之閒、而郷黨之記孔子、多在於動容周旋之際。此學者所當致疑以思、致思以逹也。
【読み】
秦氏典籍を焚滅して、三代の禮文大いに壞る。漢興って書を購うとき、禮記四十九篇諸儒の傳記に雜出して、悉く聖人の旨を得ること能わず。其の文義を考うるに、時に牴牾有り。然れども其の文繁く、其の義博く、學ぶ者之を觀れば、大通の肆に適きて、珠珍器帛其の取る所に隨うが如く、阿房の宮に游んで、千門萬戶其の入る所に隨うが如し。博くして之を約にせば、亦可以て畔かざるべし。蓋し其の說や、粗應對進退の閒に在って、精は道德性命の要に在り、童幼の習いに始まって、聖人の歸に終う。惟道に逹する者にして、然して後に能く其の言を知る。能く其の言を知って、然して後に能く禮を得。然らば則ち禮の禮爲る所以は、其れ則ち遠からじ。昔顏子の從事する所、視聽言動の閒を出ずして、郷黨の孔子を記する、多くは動容周旋の際に在り。此れ學ぶ者當に疑いを致して以て思い、思いを致して以て逹すべき所なり。


禘說(見朱子文集。)
【読み】
禘の說(朱子文集に見る。)

禘、其祖之所自出、始受姓者也。其祖配之、以始祖配也。文・武必以稷配、後世必以文王配。所出之祖無廟。於太祖之廟禘之而已。萬物本乎天、人本乎祖。故以所出之祖配天也。周之后稷生於姜嫄。姜嫄以上更推不去也。文・武之功起於后稷。故配天者須以后稷。嚴父莫大於配天。宗祀文王於明堂、以配上帝。帝卽天也。聚天之神而言之、則謂之上帝。此武王祀文王、推父以配上帝。須以父也。
【読み】
禘は、其の祖の自って出る所、始めて姓を受くる者なり。其の祖之に配するは、始祖を以て配するなり。文・武は必ず稷を以て配し、後世は必ず文王を以て配す。出る所の祖は廟無し。太祖の廟に於て之を禘するのみ。萬物は天に本づき、人は祖に本づく。故に出る所の祖を以て天に配す。周の后稷は姜嫄に生まる。姜嫄以上は更に推し去[おさ]めず。文・武の功は后稷に起こる。故に天に配する者は須く后稷を以てすべし。父を嚴にするは天に配するより大なるは莫し。文王を明堂に宗祀して、以て上帝に配す。帝は卽ち天なり。天の神を聚めて之を言うときは、則ち之を上帝と謂う。此れ武王文王を祀るに、父を推して以て上帝に配す。須く父を以てすべし。

曰、昔者周公郊祀后稷以配天、宗祀文王於明堂以配上帝。不曰武王者、以周之禮樂出於周公制作、故以其作禮樂者言之。猶言魯之郊禘非禮、周公其衰。是周公之法壞也。若是成王祭上帝、則須配以武王。配天之祖則不易。雖百世惟以后稷、配上帝則必以父。若宣王祭上帝、則亦以厲王。雖聖如堯・舜、不可以爲父、雖惡如幽・厲、不害其爲所生也。故祭法言、有虞氏宗堯、非也。如此則須舜是堯之子。苟非其子、雖授舜以天下之重、不可謂之父也。如此、則是堯養舜以爲養男也。禪讓之事蔑然矣。
【読み】
曰く、昔周公后稷を郊祀して以て天に配し、文王を明堂に宗祀して以て上帝に配す、と。武王と曰わざる者は、周の禮樂は周公の制作に出ることを以て、故に其の禮樂を作る者を以て之を言う。猶魯の郊禘は禮に非ず、周公其れ衰えりと言うがごとし。是れ周公の法壞れたるなり。若し是れ成王上帝を祭らば、則ち須く配するに武王を以てすべし。天に配するの祖は則ち易わらず。百世と雖も惟后稷を以てし、上帝に配するときは則ち必ず父を以てす。若し宣王上帝を祭らば、則ち亦厲王を以てす。聖堯・舜の如しと雖も、以て父とす可からず、惡幽・厲の如しと雖も、其の生ずる所爲ることを害せず。故に祭法に言く、有虞氏堯を宗とするは、非なり、と。此の如くなるときは則ち須く舜は是れ堯の子なるべし。苟も其の子に非ずんば、舜に授くるに天下の重きを以てすと雖も、之を父と謂う可からず。此の如くなるときは、則ち是れ堯舜を養って以て養男と爲るなり。禪讓の事は蔑然たり。

以始祖配天、須在冬至、一陽始生、萬物之始。祭用圓丘、器用陶匏藁秸、服用大裘而祭。宗祀九月、萬物之成、父者我之所自生、帝者生物之祖、故推以爲配、而祭於明堂也。
【読み】
始祖を以て天に配するは、須く冬至、一陽始めて生ずる、萬物の始めに在るべし。祭るに圓丘を用い、器は陶匏藁秸を用い、服は大裘を用いて祭る。九月、萬物の成るに宗祀するに、父は我が自って生まるる所、帝は生物の祖、故に推して以て配することを爲して、明堂に祭る。

本朝以太祖配於圓丘、以禰配於明堂。自介甫此議方正。先此祭五帝、又祭昊天上帝、幷配者六位。自介甫議、惟祭昊天上帝、以禰配之。太祖而上、有僖・順・翼・宣。先嘗以僖祧之矣。介甫議以爲、不當祧、順以下祧可也。何者、本朝推僖祖爲始。已上不可得而推也。或難以僖祖無功業、亦當祧。以是言之、則英雄以得天下自己力爲之、竝不得與祖德。或謂、靈芝無根、醴泉無源。物豈有無本而生者。今日天下基本、蓋出於此。後人安得爲無功業。故朝廷復立僖祖廟、爲得禮。介甫所見、終是高於世俗之儒。
【読み】
本朝太祖を以て圓丘に配し、禰を以て明堂に配す。介甫自り此の議方に正し。此より先は五帝を祭り、又昊天上帝を祭るに、幷配する者六位なり。介甫議して自り、惟昊天上帝を祭るに、禰を以て之を配す。太祖よりして上、僖・順・翼・宣有り。先に嘗て僖を以て之を祧す。介甫議して以爲えらく、當に祧すべからず、順以下は祧して可なり、と。何となれば、本朝僖祖を推して始めとす。已上得て推す可からざればなり。或るひと難ずるに僖祖功業無く、亦當に祧すべしというを以てす。是を以て之を言えば、則ち英雄天下を得るを以て自己の力之を爲すとして、竝びに祖德に與ることを得ざらんや。或るひと謂く、靈芝根無く、醴泉源無し、と。物豈本無くして生ずる者有らんや。今日天下の基本は、蓋し此に出づ。後人安んぞ功業無しとすることを得ん。故に朝廷復僖祖の廟を立つる、禮を得たりとす。介甫が所見、終に是れ世俗の儒より高し。


書銘(見微言。)
【読み】
書銘(微言に見る。)

含其英、茹其實。精於思、貫於一。
【読み】
其の英を含み、其の實を茹[く]らう。思に精しく、一に貫く。


與方元寀手帖(見近思録。)
【読み】
方元寀に與うる手帖(近思録に見る。)

聖人之道、坦如大路。學者病不得其門耳。得其門、無遠之不可到也。求入其門、不由於經乎。今之治經者、亦衆矣。然而買櫝還珠之蔽(徐本蔽作弊。)、人人皆是。經所以載道也。誦其言辭、解其訓詁、而不及道、乃無用之糟粕耳。覬足下由經以求道、勉之又勉。異日見卓爾有立於前。然後不知手之舞足之蹈、不加勉而不能自止矣。(按朱子跋、此帖有二。其一有應舉耕田之語、又嘗得先生廿五時與方氏帖。惜皆不可見。姑記朱語(徐本語作說。)云。)
【読み】
聖人の道は、坦[たい]らかなること大路の如し。學者其の門を得ざることを病めるのみ。其の門を得ば、遠しとして到る可からざる無し。其の門に入ることを求めば、經に由らざらんや。今の經を治むる者、亦衆し。然れども櫝を買い珠を還すの蔽(徐本蔽を弊に作る。)、人人皆是れなり。經は道を載する所以なり。其の言辭を誦し、其の訓詁を解して、道に及ばざるは、乃ち無用の糟粕のみ。覬わくは足下經に由って以て道を求め、之を勉めて又勉めよ。異日卓爾として前に立つこと有ることを見ん。然して後に手の舞い足の蹈むことを知らず、勉むることを加えずして自ら止むこと能わじ。(朱子の跋を按ずるに、此の帖に二つ有り。其の一つは應舉耕田の語有り、又嘗て先生廿五の時方氏に與うる帖を得。惜しいかな皆見る可からず。姑く朱の語(徐本語を說に作る。)を記すと云う。)


謝執政書(見張繹師說。)
【読み】
執政に謝する書(張繹師說に見る。)

公知射乎。有人執弓於此、發而多中、人皆以爲善射矣。一日、使羿立於其傍、道之以彀率之法、不從、羿且怒而去矣。從之、則戾其故習而失多中之功(一作巧。)。故不若處羿於無事之地、則羿得盡其言、而用舍羿不恤也。頤才非羿也。然聞羿之道矣。慮其害公之多中也。
【読み】
公射を知るや。人有り弓を此に執って、發して多く中らば、人皆以て善く射るとせん。一日、羿をして其の傍に立って、之を道くに彀率の法を以てせしむるに、從わずんば、羿且つ怒って去らん。之に從わば、則ち其の故習に戾って多く中るの功(一に巧に作る。)を失せん。故に若かず、羿を無事の地に處らしめば、則ち羿其の言を盡くすことを得て、用舍羿恤えじ。頤が才羿に非ず。然れども羿の道を聞く。其の公の多く中るを害せんことを慮るなり。


謝傅(耆)伯壽手謁(見朱子文集。)
【読み】
(耆)伯壽に謝する手謁(朱子文集に見る。)

頤謹詣行館拜謝長官秘書。十月日、河南程頤狀。
【読み】
頤謹んで行館に詣って長官の秘書に拜謝す。十月日、河南の程頤狀す。


答晁以道書(見呂氏雜志。)
【読み】
晁以道に答うる書(呂氏雜志に見る。)

頤與堯夫同里巷居三十年餘、世閒事無所不論。惟未嘗一字及數耳。
【読み】
頤堯夫と里巷を同じくして居ること三十年餘、世閒の事論ぜずという所無し。惟未だ嘗て一字も數に及ばざるのみ。


與橫渠簡(見朱子語類。)
【読み】
橫渠に與うる簡(朱子語類に見る。)

堯夫說易、好聽。今夜試來聽他說看。(一作說先天圖甚有理。可試往聽他說看。)
【読み】
堯夫の易を說く、聽くに好し。今夜試みに來りて他の說を聽き看よ。(一に先天の圖を說くこと甚だ理有り。試みに往いて他の說を聽き看る可しというに作る。)


答謝良佐書(見微言。○又楊遵道錄、但是問答、不云有書。)
【読み】
謝良佐に答うる書(微言に見る。○又楊遵道錄、但是の問答あり、書有ることを云わず。)

族子至愚、無足責。故人素厚、不敢疑。孟子旣知天。安用尤臧氏。
【読み】
族子至愚、責むるに足ること無し。故人素より厚くして、敢えて疑わず。孟子旣に天を知る。安んぞ用って臧氏を尤めん。


寄范淳夫書(同上。)
【読み】
范淳夫に寄する書(上に同じ。)

丞相(徐本相作招。)久留左右所助、一意正道者、實在原明耳。
【読み】
丞相(徐本相を招に作る。)久しく左右に留めて助くる所、一意に道を正す者は、實に原明在るのみ。


右伊川先生文


傳聞續記(此記係取朱子名臣言行錄及邵氏易學辨惑所載、以補遺書・外書之未備。若夫他書、豈無附見。然未敢必信。故不復取云。)
【読み】
傳聞續記(此の記朱子の名臣言行錄及び邵氏の易學辨惑に載する所を係取して、以て遺書・外書の未だ備わらざるを補う。夫に他書の若きは、豈附見無けんや。然れども未だ敢えて必ずしも信ぜず。故に復取らずと云う。)

一日、二程先生侍太中公、訪康節於天津之廬。康節攜酒、飮月陂上、歡甚。語其平生學術出處之大致。明日、明道悵然謂門生周純明(一作甫。)曰、昨從堯夫先生游、聽其論議。振古之豪傑也。惜其無所用於世。純明曰、所言如何。明道曰、内聖外王之道也。是日、康節有詩、明道和之。今各見集中。(聞見錄。)
【読み】
一日、二程先生太中公に侍して、康節を天津の廬に訪う。康節酒を攜えて、月陂上に飮んで、歡べること甚だし。其の平生の學術出處の大致を語る。明日、明道悵然として門生周純明(一に甫に作る。)に謂いて曰く、昨堯夫先生に從って游んで、其の論議を聽く。振古の豪傑なり。惜しいかな其れ世に用いらるること無きことを、と。純明曰く、言う所如何、と。明道曰く、内聖外王の道なり、と。是の日、康節詩有り、明道之を和す。今各々集中に見えたり。(聞見錄。)

右二先生語

李文定公爲舉子時、從种放明逸先生學。將試京師、攜明逸書見柳開仲塗、以文卷爲贄、與謁倶入。久之、仲塗出曰、讀君之文、須沐浴乃敢見。因留之門下。一日、仲塗自出題、令文定與其諸子及門下客同賦。賦成、驚曰、君必魁天下、爲宰相。令門下客與諸子拜之曰、異日無忘也。及文定爲宰相、仲塗門下客有柳某者、文定命長子東之娶其女。不忘仲塗之言也。文定所擬賦題不傳。如王沂公曾、初作有物混成賦、識者知其爲宰相。蓋所養所學、發爲言辭者、可以觀矣。程明道先生爲伯溫云。(聞見錄。)
【読み】
李文定公舉子爲る時、种放明逸先生に從って學ぶ。將に京師に試せんとして、明逸の書を攜えて柳開仲塗に見え、文卷を以て贄と爲して、與に謁し倶に入る。久しくして、仲塗出て曰く、君の文を讀むに、須く沐浴して乃ち敢えて見るべし、と。因りて之を門下に留む。一日、仲塗自ら題を出して、文定と其の諸子及び門下の客とをして同じく賦せしむ。賦成って、驚いて曰く、君必ず天下に魁として、宰相と爲らん、と。門下の客と諸子とをして之を拜せしめて曰く、異日忘るること無かれ、と。文定宰相と爲るに及んで、仲塗の門下の客に柳某という者有り、文定長子東之に命じて其の女を娶さしむ。仲塗の言を忘れざればなり。文定擬する所の賦題傳わらず。王沂公曾、初めて有物混成の賦を作るが如き、識者其の宰相と爲らんことを知る。蓋し養う所學ぶ所、言辭に發爲する者、以て觀る可し。程明道先生伯溫の爲に云う。(聞見錄。)

神宗欲用溫公、召知許州令過闕上殿。方下詔、謂監察御史裏行程顥曰、朕召司馬光。卿度、光來否。顥對曰、陛下能用其言、光必來。不能用其言、光必不來。帝曰、未論用其言。如光者常在左右。人主自可無過。公果辭召命。(同上。)
【読み】
神宗溫公を用いて、召して許州に知たらしめ闕を過ぎ殿に上らしめんと欲す。方に詔を下して、監察御史裏行程顥に謂いて曰く、朕司馬光を召す。卿度れ、光來るや否や、と。顥對えて曰く、陛下能く其の言を用いたまわば、光必ず來らん。其の言を用うること能わずんば、光必ず來らじ、と。帝曰く、未だ其の言を用うることを論ぜず。光の如き者常に左右に在り。人主自づから過ち無かる可し、と。公果たして召命を辭す。(上に同じ。)

熙寧十年春、呂申公起知河陽、河南尹賈公昌衡率溫公・程伯淳餞於福先寺上東院。康節以疾不赴。明日、伯淳語康節曰、君實與晦叔席上各辯論出處不已、顥以詩解之。云云。(同上。)
【読み】
熙寧十年の春、呂申公起ちて河陽に知たるとき、河南の尹賈公昌衡溫公・程伯淳を率いて福先寺上東院に餞す。康節疾を以て赴かず。明日、伯淳康節に語って曰く、君實と晦叔と席上各々出處を辯論して已まず、顥詩を以て之を解す、と。云云。(上に同じ。)

陳左司瓘曰、范公淳夫嘗論顏子不遷怒不貳過、惟伯淳能之。予問公曰、伯淳誰也。公默然久之曰、不知有程伯淳邪。予謝曰、生長東南、實未知也。予常以寡陋自愧。了翁之子正由云、了翁自是毎得明道先生之文、必冠帶然後讀之。(范太史遺事。)
【読み】
陳左司瓘曰く、范公淳夫嘗て論ず、顏子の怒りを遷さず過ちを貳びせざること、惟伯淳のみ之を能くす、と。予公に問いて曰く、伯淳とは誰ぞ、と。公默然として久しくして曰く、程伯淳有ることを知らざるや、と。予謝して曰く、東南に生長して、實に未だ知らざるなり、と。予常に寡陋を以て自ら愧づ。了翁の子正由云く、了翁是れ自り明道先生の文を得る毎に、必ず冠帶して然して後に之を讀む、と。(范太史遺事。)

右明道先生語

曹彬攻金陵、垂克、忽稱疾不視事。諸將皆來問疾。彬曰、余之病非藥石所愈。惟須諸公共發誠心、自誓以克城之日、不妄殺一人、則自愈矣。諸將許諾、共焚香爲誓、明日稍愈。及克、金陵城中皆安堵如故。曹翰克江州、忿其久不下、屠戮無遺。彬之子孫貴盛、至今不絕。翰卒不三十年、子孫有乞丐於海上者矣。程頤云。(涑水記聞。)
【読み】
曹彬金陵を攻めて、克つに垂[なんなん]として、忽ち疾と稱して事を視ず。諸將皆來りて疾を問う。彬曰く、余が病は藥石の愈す所に非ず。惟須く諸公共に誠心を發して、自ら誓って以て城を克つの日、妄りに一人を殺さずんば、則ち自づから愈ゆべし、と。諸將許諾して、共に香を焚いて誓いを爲して、明日稍愈ゆ。克つに及んで、金陵の城中皆安堵すること故の如し。曹翰江州に克つとき、其の久しく下らざることを忿って、屠戮して遺すこと無し。彬の子孫貴盛なること、今に至るまで絕えず。翰卒に三十年ならずして、子孫海上に乞丐[きっかい]する者有り。程頤云えり。(涑水記聞。)

程伊川曰、凡從安定先生學者、其醇厚和易之氣、望之可知也。(聞見錄。)
【読み】
程伊川曰く、凡そ安定先生に從って學ぶ者は、其の醇厚和易の氣、之を望んで知る可し、と。(聞見錄。)

或問伊川、量可學否。曰、可學。進則識進、識進則量進。曰、如魏公可學否。曰、魏公是閒氣。(胡氏傳家錄。)
【読み】
或るひと伊川に問う、量學ぶ可しや否や、と。曰く、學ぶ可し。進むときは則ち識進む、識進むときは則ち量進む、と。曰く、魏公の如き學ぶ可しや否や、と。曰く、魏公は是れ氣を閒[まじ]う、と。(胡氏傳家錄。)

異時、伊川同朱公掞訪先君。先君留之飮酒、因以論道。伊川指面前食卓曰、此卓安在地上。不知天地安在甚處。先君爲之極論天地萬物之理、以及六合之外。伊川歎曰、平生唯見周茂叔論至此。然不及先生之有條理也。(易學辯惑。)
【読み】
異時、伊川朱公掞と同じく先君を訪う。先君之を留めて酒を飮ましめ、因りて以て道を論ず。伊川面前の食卓を指して曰く、此の卓地上に安在す。知らず、天地は甚れの處にか安在する、と。先君之が爲に極めて天地萬物の理を論じて、以て六合の外に及ぼす。伊川歎じて曰く、平生唯周茂叔の論此に至るを見るのみ。然れども先生の條理有るに及ばず、と。(易學辯惑。)

伊川又同張子堅來。方春時、先君率同遊天門街看花。伊川辭曰、平生未嘗看花。先君曰、庸何傷乎。物物皆有至理。吾儕看花、異於常人。自可以觀造化之妙。伊川曰、如是則願從先生遊。(同上。)
【読み】
伊川又張子堅と同じく來る。春時に方って、先君同遊を率いて天門街に花を看んとす。伊川辭して曰く、平生未だ嘗て花を看ず、と。先君曰く、何を庸[もっ]てか傷まんや。物物皆至理有り。吾儕花を看るは、常人に異なり。自ら以て造化の妙を觀る可し、と。伊川曰く、是の如くならば則ち願わくは先生に從って遊ばん、と。(上に同じ。)

先君病且革。伊川曰、先生至此、他人無以致力。願先生自主張。先君曰、平生學道、固知此矣。然亦無可主張。伊川猶相問難不已。先君戲之曰、正叔可謂生薑樹頭生、必是生薑樹頭死也。伊川曰、從此與先生永訣矣。更有可以見告者乎。先君聲氣已微、舉張兩手以示之。伊川曰、何謂也。先君曰、面前路徑、須常令寬。路徑窄、則自無著身處。況能使人行也。(同上。)
【読み】
先君病且つ革なり。伊川曰く、先生此に至って、他人以て力を致すこと無し。願わくは先生自ら主張せよ、と。先君曰く、平生道を學んで、固に此を知る。然れども亦主張す可き無し、と。伊川猶相問難して已まず。先君之に戲れて曰く、正叔謂う可し、生薑樹頭に生ず、必ず是れ生薑樹頭に死なん、と。伊川曰く、此れ從り先生と永く訣[わか]れん。更に以て告げらる可き者有りや、と。先君聲氣已に微にして、兩手を舉げ張って以て之を示す。伊川曰く、何の謂ぞや、と。先君曰く、面前の路徑、須く常に寬からしむべし。路徑窄きときは、則ち自づから身を著する處無し。況んや能く人をして行かしめんや、と。(上に同じ。)

右伊川先生語


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)