二程全書卷之六十八  續附錄

晦菴辯論胡本錯誤書(南軒語附)
【読み】
晦菴胡本の錯誤を辯論する書(南軒語附)

近略到城中、歸方數日。見平父示、近閒承寄聲存問、感感。但所論二先生集、則愚意不能無疑。伯逢主張家學、固應如此。熹不敢議。所不可解者、以老兄之聰明博識、欽夫之造詣精深、而不曉此、此可怪耳。
【読み】
近ごろ略城中に到り、歸ること方に數日。平父に示さるる、近閒聲を寄せて存問することを承ること、感感たり。但論ずる所の二先生の集は、則ち愚意疑い無きこと能わず。伯家學を主張するに逢うこと、固に應に此の如くなるべし。熹敢えて議せず。解す可からざる所の者は、老兄の聰明博識、欽夫の造詣精深を以てして、此を曉かさざる、此れ怪しむ可きのみ。

若此書是文定所著、卽須依文定本爲正。今此乃是二先生集、但彼中本偶出文定家。文定當時、亦只是據所傳錄之本。雖文定、蓋不能保其無一字之訛也。今別得善本、復加補綴、乃是文定所欲聞。文定復生、亦無嫌閒。不知二兄何苦尙爾依違也。此閒所用二本、固不能盡善、亦有灼然、却是此閒本誤者、當時更不曾寫去、但只是平氣虛心、看得義理通處、便當從之。豈可肚裏先橫却一箇胡文定、後不復信道理邪。
【読み】
此の書の若きは是れ文定の著す所、卽ち須く文定の本に依るを正とすべし。今此れ乃ち是れ二先生の集は、但彼の中の本偶々文定の家に出づ。文定當時、亦只是れ傳錄する所の本に據る。文定と雖も、蓋し其の一字の訛り無きことを保つこと能わず。今別に善本を得、復補綴を加う、乃ち是れ文定聞くことを欲する所なり。文定復生ずとも、亦嫌閒すること無けん。知らず、二兄何を苦[いと]うてか尙爾く違えるに依れる。此の閒用うる所の二本、固に盡く善なること能わざること、亦灼然たること有り、却って是れ此の閒の本誤る者は、當時更に曾て寫し去[おさ]めず、但只是れ氣を平らかにし心を虛しくして、義理を看得して通ずる處、便ち當に之に從うべし。豈肚裏に先づ一箇の胡文定を橫却して、後に復道理を信ぜざる可けんや。

如定性書及明道敍述、上富公與謝帥書中、刪却數十字、及辭官表倒却次序、易傳序改沿爲泝、祭文改姪爲猶子之類、皆非本文、必是文定刪改。熹看得此數處、有無甚害者。但亦可惜改却本文。蓋本文自不害義理故也。敍述及富謝書是也。有曲爲回互、而反失事實、害義理者。辭表是也。曲爲回互、便是私意害義理矣。惟定性書首尾雖非切要之辭、然明道謂、橫渠實父表弟。聞道雖有先後、然不應以聞道之故、傲其父兄如此。語錄說二先生與學者語有不合處、明道則曰、更有商量。伊川則直云、不是。明道氣象如此。與今所刪之書、氣象類乎、不類乎。且文定答學者書、雖有不合、亦甚宛轉、不至如此無含畜。況明道乎。今如此刪去、不過是減得數十箇閑字、而壞却一箇從容和樂底大體氣象。恐文定亦是偶然一時意思、欲直截發明向上事、更不暇照管此等處。或是當時未見全本、亦不可知。今豈可曲意徇從邪。
【読み】
定性書及び明道の敍述、富公に上り謝帥に與うる書の中、數十字を刪却し、及び官を辭するの表次序を倒却し、易傳の序沿を改めて泝[そ]とし、祭文姪を改めて猶子とする類の如き、皆本文に非ず、必ず是れ文定刪り改むるならん。熹此の數處を看得するに、甚だ害すること無き者有り。但亦本文を改却することを惜しむ可し。蓋し本文自づから義理を害せざる故なり。敍述及び富謝の書是れなり。曲げて回互を爲して、反って事實を失し、義理を害する者有り。辭表是れなり。曲げて回互を爲すは、便ち是れ私意義理を害す。惟定性書は首尾切要の辭に非ずと雖も、然れども明道謂く、橫渠は實父表弟、と。道を聞くこと先後有りと雖も、然れども應に道を聞くの故を以て、其の父兄に傲ること此の如くなるべからず。語錄に說く、二先生と學者と語るに合わざる處有れば、明道は則ち曰く、更に商量すること有り、と。伊川は則ち直に云う、不是なり、と。明道の氣象此の如し。今刪る所の書と、氣象類せんか、類せざらんか。且つ文定學者に答うる書に、合わざること有りと雖も、亦甚だ宛轉して、此の如く含畜無きに至らず、と。況んや明道をや。今此の如く刪り去る、是れ數十箇の閑字を減じ得て、一箇の從容和樂底大體の氣象を壞却するに過ぎず。恐らくは文定も亦是れ偶然として一時の意思、直に截して向上の事を發明せんと欲して、更に此れ等の處を照管するに暇あらざるならん。或は是れ當時未だ全本を見ずんば、亦知る可からず。今豈意を曲げて徇い從う可けんや。

向見李先生本、出龜山家。猶雜以游察院之文。比訪得游集、乃知其誤、以白先生。先生歎息曰、此書所自來、可謂端的。猶有此誤。況其他又可盡信邪。只此便是虛己從善、公平正大之心。本亦不是難事。但今人先著一箇私意、橫在肚裏、便見此等事爲難及耳。
【読み】
向[さき]に李先生の本を見るに、龜山の家に出たり。猶雜うるに游察院の文を以てす。比[このごろ]游集を訪ね得て、乃ち其の誤りを知って、以て先生に白す。先生歎息して曰く、此の書の自って來る所、端的と謂う可し。猶此の誤り有り。況んや其の他又盡く信ず可けんや、と。只此れ便ち是れ己を虛しくして善に從う、公平正大の心なり。本亦是れ難き事にあらず。但今の人先づ一箇の私意を著して、肚裏に橫在して、便ち此れ等の事を見て及び難しとするのみ。

又猶子二字、前論未盡。禮記云、喪服兄弟之子猶子也。言人爲兄弟之子喪服猶己之子。非所施於平時也。況猶字本亦不是稱呼、只是記禮者之辭。如下文嫂叔之無服、姑姊妹之薄也、今豈可沿此遂謂嫂爲無服、而名姑姊妹以薄乎。古人固不謂兄弟之子爲姪。然亦無云猶子者。但云兄之子、弟之子、孫亦曰兄孫耳。二先生非不知此。然猶從俗稱姪者、蓋亦無害於義理也。此等處、文定旣得以一時己見、改易二程本文。今人乃不得據相傳別本、改正文定所改之未安處、此何理邪。
【読み】
又猶子の二字、前論未だ盡さず。禮記に云く、喪服兄弟の子は猶子のごとくす、と。言うこころは人兄弟の子の爲に喪服するは猶己が子のごとくするなり。平時に施す所に非ず。況んや猶の字は本亦是れ稱呼にあらず、只是れ禮を記する者の辭なり。下の文に嫂叔の服無き、姑姊妹の薄きというが如き、今豈此に沿って遂に嫂を謂いて服無しとし、而して姑姊妹に名づくるに薄きを以てす可けんや。古人固より兄弟の子を姪とすと謂わず。然れども亦猶子と云う者無し。但兄の子、弟の子と云い、孫は亦兄の孫と曰うのみ。二先生此を知らざるに非ず。然れども猶俗に從って姪と稱する者は、蓋し亦義理に害無ければなり。此れ等の處、文定旣に一時の己が見を以て、二程の本文を改め易うることを得。今の人乃ち相傳うるの別本に據って、文定改むる所の未だ安からざる處を改め正すことを得ざるは、此れ何の理ぞや。

又明道論王霸劄說子等數篇、胡本亦無。乃此閒錄去、有所脫誤、非文定之失。伊川上仁廟書、此閒本無。後來乃是用欽夫元寄胡家本校、亦脫兩句。此非以他人本改文定本、乃是印本自不曾依得文定本耳。似此之類、恐是全不曾參照、只見人來說自家刻得文字多錯、校得不精、便一切逆拒之。幾何而不爲訑訑之聲音顏色、拒人於千里之外乎。
【読み】
又明道王霸を論ずる劄子等の數篇、胡本に亦無し。乃ち此の閒錄し去めて、脫誤する所有るは、文定の失に非ず。伊川仁廟に上る書、此の閒の本に無し。後來乃ち是れ欽夫元胡家に寄る本を用いて校ぶるに、亦兩句を脫す。此れ他人の本を以て文定の本を改むるに非ず、乃ち是れ印本自づから曾て文定の本に依り得ざるのみ。此に似たる類、恐らくは是れ全く曾て參照せず、只人來りて自家刻み得るの文字多く錯って、校べ得ること精しからずと說くを見ては、便ち一切之を逆い拒む。幾何にしてか訑訑[いい]の聲音顏色、人を千里の外に拒むことをせざらんや。

夫樂聞過、勇遷善、有大於此者、猶將有望於兩兄。不意只此一小事、便直(徐本直作只。)如此、殊失所望。然則區區所以劇論不置者、正恐此私意根株、消磨不去、隨事滋長、爲害不細。亦不專爲二先生之文也。
【読み】
夫れ過ちを聞くことを樂しみ、善に遷るに勇める、此より大なること有る者、猶將に兩兄に望むこと有らんとす。意わざりき、只此の一小事、便ち直に(徐本直を只に作る。)此の如くにして、殊に望む所を失せんとは。然らば則ち區區として劇論して置かざる所以の者は、正に此の私意の根株、消磨し去らず、事に隨って滋長して、害を爲すこと細ならざることを恐れてなり。亦專ら二先生の文の爲のみならず。

如必以胡氏之書一字不可改易、則又請以一事明之。集中與呂與叔論中書注云、子居、和叔之子。胡氏編語錄時、意其爲邢恕之子、遂削此注、直於正文子居之上、加一邢字。頃疑呂氏亦有和叔、因以書問欽夫。答云、嘗問之邢氏、果無子居者。以此例之、則胡氏之書、亦豈能一無繆誤。乃欲不問是非、一切從之乎。況此乃文字閒舛誤、與其本原節目處、初無所妨。何必一一遵之而不敢改乎。近以文定當立祠於郷郡說應求・邦彥二公。皆指其小節疑之。魏元履至爲扼腕。今二兄欲尊師之、而又守其尤小節處、以爲不可改。是文定有所謂大者、終不見知於當世也。此等處、非特二先生之文之不幸、亦文定之不幸耳。今旣用官錢刊一部書、却全不睹是、只守却胡家錯本文字、以爲至當。可謂直截不成議論。恐文定之心却須該遍通流。決不如是之陋也。若說文定決然主張此書、以爲天下後世必當依此、卽與王介甫主張三經字說何異。作是說者、却是謗文定矣。設使微似有此、亦是克未盡底己私、所謂賢者之過。橫渠所謂其不善者共改之、正所望於後學、不當守己殘而妬道眞、使其遺風餘弊波蕩於末流也。程子嘗言、人之爲學、其失在於自主張太過。橫渠猶戒以自處太重、無復以來天下之善。今觀二兄主張此事、得無近此。聖賢稽衆舍己、兼聽竝觀之意、似不然也。胡氏知言亦云、學欲約、不欲陋。此得無近於陋邪。如云當於他處別刊此、尤是不情悠悠之說、與月攘一雞何異。非小生所敢聞也。每恨此道衰微、邪說昌熾、舉世無可告語者。望二兄於千里之外、蓋不翅飢渴之於飮食、乃不知主意如此偏枯。若得從容賓客之後、終日正言、又不知所以不合者復幾何耳。欽夫尊兄、不及別狀、所欲言者、不過如此。幸爲呈。似所言或不中理、却望指敎。熹却不敢憚改也。向所錄去數紙、合改處當時極費心力、又且勞煩衆人意、以爲必依此改正。故此閒更無別本。今旣不用、切勿毀棄。千萬盡爲收拾、便中寄來。當什(徐本什作十。)襲藏之、以俟後世耳。向求數十本、欲遍遺朋友。今亦不須寄來。熹不敢以此等錯本文字誤朋友也。天寒。手凍作字不成、不能傾竭懷抱。惟加察而恕其狂妄可也。(朱子與劉共父。)
【読み】
如し必ず胡氏の書を以て一字も改め易う可からずとせば、則ち又請う、一事を以て之を明かさん。集中呂與叔に與えて中を論ずる書の注に云く、子居は、和叔の子、と。胡氏語錄を編む時、意うに其れ邢恕の子とし、遂に此の注を削って、直に正文子居の上に於て、一の邢の字を加う。頃[このごろ]呂氏に亦和叔有ることを疑って、因りて書を以て欽夫に問う。答えて云く、嘗て之を邢氏に問うに、果たして子居という者無し、と。此を以て之を例とするときは、則ち胡氏の書、亦豈能一つも繆誤無けんや。乃ち是非を問わず、一切に之に從わしめんと欲するや。況んや此れ乃ち文字の閒の舛誤[せんご]、其の本原節目の處と、初めより妨ぐる所無し。何ぞ必ずしも一一之に遵って敢えて改めざらんや。近ごろ文定當に祠を郷郡に立つべきを以て應求・邦彥に說く。二公皆其の小節を指して之を疑う。魏元履至って腕を扼[にぎ]ることをす。今二兄之を尊師とせんと欲して、又其の尤も小節の處を守って、以て改む可からずとす。是れ文定所謂大なる者有れども、終に當世に知られざるなり。此れ等の處は、特り二先生の文の不幸のみに非ず、亦文定の不幸のみ。今旣に官錢を用いて一部の書を刊すれども、却って全く是なることを睹ず、只胡家の錯本の文字を守却して、以て至當とす。直に議論を截し成さずと謂う可し。恐らくは文定の心は却って須く該遍通流すべし。決して是の如く陋からじ。若し文定決然として此の書を主張して、以て天下後世必ず當に此に依るべしとすと說かば、卽ち王介甫が三經の字說を主張すると何ぞ異ならん。是の說を作す者は、却って是れ文定を謗るなり。設使い微しく此れ有るに似るとも、亦是れ克未だ盡くさざる底の己私なり。所謂賢者の過ちなり。橫渠の所謂其の不善なる者は共に之を改めて、正すこと後學に望む所、當に己が殘を守って道眞を妬むべからず、其の遺風餘弊をして末流に波蕩せしむるなり、と。程子嘗て言く、人の學を爲むる、其の失自ら主張すること太だ過ぐるに在り、と。橫渠猶戒むるに自ら處すること太だ重ければ、復以て天下の善を來すこと無しというを以てす。今二兄此の事を主張するを觀るに、此に近きこと無きことを得。聖賢衆を稽え己を舍て、兼ね聽き竝び觀るの意、然らざるに似れり。胡氏知言に亦云く、學は約ならんことを欲して、陋きことを欲せず、と。此れ陋きに近きこと無きことを得んや。當に他處に於て別に此を刊す云うが如き、尤も是れ不情悠悠の說、月々に一雞を攘[ぬす]むと何ぞ異ならん。小生敢えて聞く所に非ず。每に恨む、此の道衰微し、邪說昌熾にして、世を舉げて告げ語る可き者無きことを。二兄を千里の外に望むこと、蓋し翅[ただ]飢渴の飮食に於るのみにあらず、乃ち知らず、主意此の如く偏枯せんとは。若し賓客の後に從容たることを得て、終日正言せば、又知らず、合わざる所以の者復幾何ならんのみ。欽夫尊兄、別狀に及ばず、言わんと欲する所の者、此の如きに過ぎず。幸いに爲に呈せよ。言う所或は理に中らざるに似れば、却って指敎を望む。熹却って敢えて改むるに憚らず。向に錄し去むる所の數紙、改む合き處は當時極めて心力を費やし、又且つ衆人の意を勞煩して、以て必ず此に依って改正すべしとす。故に此の閒更に別本無し。今旣に用いず、切に毀り棄つること勿かれ。千萬盡く收拾を爲して、便中に寄せ來れ。當に什(徐本什を十に作る。)襲して之を藏めて、以て後世を俟つべきのみ。向に數十本を求めて、遍く朋友に遺らんと欲す。今亦須く寄せ來るべからず。熹敢えて此れ等の錯本の文字を以て朋友を誤らしめじ。天寒し。手凍って字を作すこと成らず、懷抱を傾竭すること能わず。惟察を加えて其の狂妄を恕して可なり。(朱子劉共父に與う。)


昨見共父家問、以爲二先生集中誤字、老兄以爲嘗經文定之手、更不可改。愚意未曉。所謂夫文定固有不可改者、如尊君父、攘夷狄、討亂臣、誅賊子之大倫大法、雖聖賢復出、不能改也。若文字之訛、安知非當時所傳亦有未盡善者。而未得善本以正之歟。至所特改數處、竊以義理求之、恐亦不若先生舊文之善。若如老兄所論、則是伊川所謂昔所(徐本所作有。)未遑、今不得復作、前所未安、後不得復正者、又將起於今日矣。已作共父書詳言之、復此具稟。更望虛心平氣、去彼我之嫌、而專以義理求之、則於取舍從違之閒、知所處矣。
【読み】
昨に共父家の問いを見るに、以爲えらく、二先生の集中の誤字、老兄以爲えらく、嘗て文定の手を經て、更に改む可からず、と。愚意未だ曉さず。所謂夫れ文定固に改む可からざる者有り、君父を尊び、夷狄を攘い、亂臣を討し、賊子を誅するの大倫大法の如き、聖賢復出ると雖も、改むること能わず。文字の訛りの若きは、安んぞ當時の傳うる所亦未だ盡く善ならざる者有るに非ざることを知らん。而るに善本を得て以て之を正さざらんや。特に改むる所の數處に至っては、竊かに義理を以て之を求むるに、恐らくは亦先生舊文の善なるに若かず。若し老兄の論ずる所の如くならば、則ち是れ伊川の所謂昔未だ遑あらざる所(徐本所を有に作る。)、今復作すことを得ず、前に未だ安からざる所、後に復正しきことを得ざる者、又將に今日に起こさんとするなり。已に共父の書を作って詳らかに之を言えども、復此に具に稟[もう]す。更に望むらくは心を虛しくし氣を平らかにし、彼我の嫌を去って、專ら義理を以て之を求めば、則ち取舍從違の閒に於て、處する所を知らん。

道術衰微、俗學淺陋極矣。振起之任、平日深於吾兄望之。忽聞此論、大以爲憂。若每事自主張如此、則必無好問察言之理、將來任事、必有不滿人意處、而其流風餘弊、又將傳於後學。非適一時之害也。只如近世諸先達、聞道固有淺深、涵養固有厚薄、擴充運用固有廣狹。然亦不能不各有偏倚處。但公吾心以玩其氣象、自見有當矯革處。不可以火濟火、以水濟水、而益其疾也。
【読み】
道術衰微し、俗學淺陋極まれり。振起の任、平日深く吾兄に於て之を望む。忽ち此の論を聞いて、大いに以て憂えとす。若し每事自ら主張すること此の如くならば、則ち必ず問うことを好み言を察するの理無くして、將來事に任ずること、必ず人意に滿たざる處有って、其の流風餘弊、又將に後學に傳えんとす。適々一時の害のみに非ず。只近世の諸先達の如き、道を聞くこと固に淺深有り、涵養固に厚薄有り、擴充運用固に廣狹有り。然して亦各々偏倚なる處有らざること能わず。但吾が心を公にして以て其の氣象を玩ばば、自づから當に矯め革むべき處有ることを見ん。火を以て火を濟い、水を以て水を濟って、其の疾を益す可からず。

熹聞道雖晩、賴老兄提掖之賜、今幸略窺彷彿。然於此不能無疑、不敢自鄙外於明哲。故敢控瀝、一盡所言。不審尊意以爲如何。其詳則又具於共父書中。幸取而竝(徐本竝作幷。)觀之、無怪其詞之太直也。(與張欽夫。)
【読み】
熹道を聞くこと晩しと雖も、老兄提掖の賜を賴って、今幸いに略彷彿を窺う。然れども此に於て疑うこと無きこと能わず、敢えて自ら明哲を鄙[いや]しみ外にせず。故に敢えて控瀝して、一に言う所を盡くす。不審尊意以て如何とかする。其の詳らかなることは則ち又共父が書中に具なり。幸いに取って之を竝べ(徐本竝を幷に作る。)觀ば、其の詞の太だ直なることを怪しむこと無けん。(張欽夫に與う。)


不先天而開人、各因時而立政(胡本天作時。欽夫云、作天字大害事。)。愚謂此言先天、與文言之先天不同。文言之云先天後天、乃是左右參贊之意、如左傳云實先後之意思、却在中閒、正合天運不差毫髪。所謂啐啄同時也。此序所云先天、却是天時未至、而妄以私意先之。若耕穫菑畬之類耳。兩先天、文同而意不同。先天先時却初不異。但上言天、下言人、上言時、下言政、於文爲協耳。
【読み】
天に先だって人を開かず、各々時に因りて政を立つ(胡本に天を時に作る。欽夫云く、天の字に作れば大いに事を害す、と。)。愚謂えらく、此に天に先だつと言うと、文言の天に先だつとは同じからず。文言の天に先だち天に後ると云うは、乃ち是れ左右參贊の意、左傳に先後に實つと云う意思の如き、却って中閒に在り、正に合に天運毫髪を差えず。所謂啐啄[そったく]同時なり。此の序に云う所の天に先だつとは、却って是れ天の時未だ至らずして、妄りに私意を以て之に先だつ。耕穫菑畬[しよ]の類の若きのみ。兩つの先天、文同じくして意同じからず。天に先だち時に先だつは却って初めより異ならず。但上には天と言い、下には人と言い、上には時と言い、下には政と言うは、文に於て協えりとするのみ。


窺聖人之用心(胡本無心字。欽夫云、著心字亦大害事。請深思之。)。愚謂孟子云、堯・舜之治天下、豈無所用其心哉。言用心、莫亦無害於理否。(竝同上。)
【読み】
聖人の用心を窺う(胡本に心の字無し。欽夫云く、心の字を著くれば亦大いに事を害す。請う深く之を思え、と。)。愚謂えらく、孟子云く、堯・舜の天下を治むる、豈其の心を用うる所無からんや、と。用心と言う、亦理を害すること無きこと莫きや否や。(竝上に同じ。)


稱姪固未(徐本未作夫。)安、稱猶子亦不典。按禮有從祖從父之名、則亦當有從子從孫之目矣。以此爲稱、似稍穩當。慮偶及此。因以求敎。非敢復議改先生之文也。
【読み】
姪と稱すること固に未だ(徐本未を夫に作る。)安からず、猶子と稱するも亦典ならず。按ずるに禮に從祖從父の名有るときは、則ち亦當に從子從孫の目有るべし。此を以て稱と爲すは、稍穩當なるに似れり。慮偶々此に及ぶ。因りて以て敎を求む。敢えて復議して先生の文を改めんとには非ず。

與富公及謝帥書、全篇反復、無非義理。卒章之言、止是直言義理之效、感應之常、如易六十四卦、無非言吉凶禍福、書四十八篇、無非言災祥成敗、詩之雅・頌、極陳福祿壽考之盛、以歆動其君而告戒之者、尤不爲少(卷阿尤著。)。孟子最不言利。然對梁王亦曰、未有仁義而遺後其君親者。答宋牼亦曰、然而不王者、未之有也。此豈以利害動之哉。但人自以私心計之、便以爲利。故不肖者則起貪欲之心、賢者則有嫌避之意。所趣雖殊、然其處心之私則一也。若夫聖賢以大公至正之心、出大公至正之言、原始要終、莫非至理。又何嫌疑之可避哉。若使先生全篇主意專用此說、則誠害理矣(向所見敎同行異情之說、於此亦可見矣。)
【読み】
富公及び謝帥に與うる書、全篇反復するに、義理に非ざること無し。卒わりの章の言は、止是れ直言義理の效、感應の常、易の六十四卦、吉凶禍福を言うに非ずということ無く、書の四十八篇、災祥成敗を言うに非ずということ無く、詩の雅・頌、極めて福祿壽考の盛んなるを陳べて、以て其の君を歆動[きんどう]して之に告げ戒むる者、尤も少なしとせざるが如し(卷阿尤も著らかなり。)。孟子最も利を言わず。然れども梁王に對えて亦曰く、未だ仁義ありて其の君親を遺[わす]れ後にする者は有らず、と。宋牼[そうこう]に答えて亦曰く、然して王たらざる者は、未だ之れ有らざるなり、と。此れ豈利害を以て之を動かさんや。但人自ら私心を以て之を計って、便ち以て利とす。故に不肖者は則ち貪欲の心を起こし、賢者は則ち嫌避の意有り。趣く所殊なりと雖も、然れども其の心に處するの私は則ち一なり。夫の聖賢大公至正の心を以て、大公至正の言を出すが若き、始めを原ね終わりを要するに、至理に非ずということ莫し。又何の嫌疑か避く可けんや。若し先生をして全篇の主意專ら此の說を用いしめば、則ち誠に理に害あり(向に敎えらるる所の同行異情の說、此に於て亦見る可し。)

春秋序兩處、觀其語脈文勢、似熹所據之本爲是。先天二字、卷中論之已詳。莫無害於理否。理旣無害、文意又協。何爲而不可從也。聖人之用、下著心字語意方足、尤見親切主宰處。下文所謂得其意者是也。不能窺其用心、則其用豈易言哉。故得其意、然後能法其用、語序然也。其精微曲折、蓋有不苟然者矣。若謂用心非所以言聖人、則孟子・易傳中言聖人之用心者多矣。蓋人之用處、無不是心。自聖人至於下愚一也。但所以用之者、有精粗邪正之不同。故有聖賢下愚之別。不可謂聖人全不用心、又不可謂聖人無心可用。但其用也、妙異乎常人之用耳。然又須知卽心卽用。非有是心而又有用之者也。(別紙。)
【読み】
春秋の序に兩處、其の語脈文勢を觀るに、熹據る所の本を是とするに似れり。先天の二字、卷中に之を論ずること已に詳らかなり。理に害あること無きこと莫きや否や。理旣に害無ければ、文意又協う。何の爲にしてか從う可からざらん。聖人の用、下に心の字を著くれば語意方に足りて、尤も親切主宰の處を見る。下の文に所謂其の意を得る者是れなり。其の用心を窺うこと能わずんば、則ち其の用豈言い易からんや。故に其の意を得て、然して後に能く其の用に法ること、語の序然り。其の精微曲折、蓋し苟然ならざる者有り。若し用心は聖人を言う所以に非ずと謂わば、則ち孟子・易の傳の中に聖人の用心と言う者多し。蓋し人の用處、是の心にあらずということ無し。聖人自り下愚に至るまで一なり。但之を用うる所以の者、精粗邪正の不同有り。故に聖賢下愚の別有り。聖人全く心を用いずと謂う可からず、又聖人心の用う可き無しと謂う可からず。但其の用うること、妙にして常人の用うるに異なるのみ。然れども又須く卽心卽用なることを知るべし。是の心有って又之を用うる者有るに非ず。(別紙。)


伏蒙垂論、向論程集之誤、定性書・辭官表兩處、已蒙收錄、其他亦多見納用。此見高明擇善而從、初無適莫。而小人向者妄發之過也。然所謂不必改、不當改者、反復求之、又似未能不惑於心。輒復條陳、以丐指喩。
【読み】
伏して垂論を蒙り、向に程集の誤りを論じ、定性書・辭官表兩處、已に收錄を蒙り、其の他亦多くは納用せらる。此れ高明善を擇んで從って、初めより適莫無きことを見る。而して小人向に妄りに發すること過ぎたり。然れども所謂必ずしも改めず、當に改むべからざる者、反復して之を求むるに、又未だ不心に惑わざること能わざるに似れり。輒ち復條陳して、以て指喩を丐[こ]う。

夫所謂不必改者、豈以爲文句之閒小小同異、無所繫於義理之得失、而不必改邪。熹所論出於己意、則用此說可也。今此乃是集諸本而證之、按其舊文、然後刊正。雖或不能一一盡同、亦是類會數說、而求其文勢語脈所趨之便、除所謂疑當作某一例之外、未嘗敢妄以意更定一點畫也。此其合於先生當日本文無疑。今若有尊敬重正而不敢忽易之心、則當一循其舊。不容復有毫髪苟且遷就於其閒。乃爲盡善、惟其不爾。故字義迂晦者、必承誤彊說而後通(如遵誤作尊。今便彊說爲尊其所聞之類是也。)。語句刓闕者、須以意屬讀然後備(如嘗食絮羮叱止之。無皆字則不成文之類是也。)。此等、不惟於文字有害、反求諸心、則隱微之閒、得無未免於自欺邪。
【読み】
夫れ所謂必ずしも改めずという者は、豈以て文句の閒小小の同異、義理の得失に繫かる所無しとして、必ずしも改めざらんや。熹が論ずる所己が意より出るは、則ち此の說を用いて可なり。今此れ乃ち是れ諸本を集めて之を證して、其の舊文を按じて、然して後に刊正す。一一盡く同じきこと能わざること或りと雖も、亦是れ數說を類會して、其の文勢語脈趨く所の便を求め、除[ただ]所謂疑うらくは當に某に作るべしという一例の外、未だ嘗て敢えて妄りに意を以て更に一點畫を定めず。此れ其れ先生當日の本文に於て疑い無かる合し。今若し尊敬重正して敢えて忽易にせざるの心有らば、則ち當に一に其の舊に循うべし。復毫髪苟且も其の閒に遷し就くこと有る容からず。乃ち盡く善なりとすとも、惟其れ爾らず。故に字義迂晦なる者は、必ず誤りを承けて彊いて說いて而して後に通ずとし(遵誤って尊と作すが如し。今便ち彊いて說いて其の聞く所を尊ぶとするの類是れなり。)。語句刓闕[がんけつ]する者は、須く意を以て屬讀して然して後に備わるべしとす(嘗て絮羮を食すれば叱して之を止むるが如し。皆の字無きときは則ち文を成さざるの類是れなり。)。此れ等は、惟文字に於て害有るのみならず、反って心に求むるに、則ち隱微の閒、未だ自ら欺くことを免れざること無きことを得んや。

且如吾輩秉筆書事、唯務明白。其肯故舍所宜用之字、而更用他字、使人彊說而後通邪。其肯故爲刓闕之句、使人屬讀而後備邪。人情不大相遠、有以知其必不然矣。改之、不過印本字數稀密不匀。不爲觀美、而他無所害。然則胡爲而不改也。卷子内如此處、已悉用朱圏其上、復以上呈。然所未圏者、似亦不無可取。方執筆時、不能不小有嫌避之私。故不能盡此心。今人又來督、書不容再閱矣。更乞詳之可也。
【読み】
且つ吾が輩筆を秉って事を書するが如き、唯明白ならんことを務む。其れ肯えて故[ことさら]に宜しく用うべき所の字を舍てて、更に他の字を用いて、人をして彊いて說いて而して後に通ぜしめんや。其れ肯えて故に刓闕を爲すの句、人をして屬讀して而して後に備わらしめんや。人情大いに相遠からず、以て其の必ず然らざることを知ること有らん。之を改むるは、印本の字數稀密匀しからざるに過ぎず。觀ることの美なるが爲ならざれども、而れども他に害する所無し。然らば則ち胡の爲にしてか改めざらん。卷子の内此の如き處、已に悉く朱を用いて其の上に圏して、復以て上呈す。然れども未だ圏せざる所の者は、亦取る可きこと無くんばあらざるに似れり。方に筆を執る時、小しく嫌避の私有らざること能わず。故に此の心を盡くすこと能わず。今の人又來り督して、書再び閱す容からずとす。更に乞う、之を詳らかにして可なり。

所謂不當改者、豈謂富謝書・春秋序之屬。而書中所喩沿泝猶子二說、又不當改之尤者邪。以熹觀之、所謂尤不當改者、乃所以爲尤當改也。大抵熹之愚意、止是不欲專輒改易前賢文字、稍存謙退敬讓之心耳。若聖賢成書、稍有不愜己意處、便率情奮筆、恣行塗改、恐此氣象、亦自不佳。蓋雖所改盡善、猶啓末流輕肆自大之弊。況未必盡善乎。伊川先生嘗語學者、病其於己之言有所不合、則置不復思。所以終不能同也(楊迪及門二書見集。)。今熹觀此等改字處、竊恐先生之意、尙有不可不思者、而改者未之思也。蓋非特己不之思、又使後人不復得見先生手筆之本文。雖欲思之以逹於先生之意、亦不可得。此其爲害、豈不甚哉。
【読み】
所謂當に改むべからずという者は、豈富謝の書・春秋の序の屬のみを謂わんや。而も書中に喩す所の沿泝猶子の二說、又當に改むべからざるの尤[はなは]だしき者か。熹を以て之を觀るに、所謂尤も當に改むべからずとする者は、乃ち尤も當に改むべしとする所以なり。大抵熹が愚意、止是れ專ら輒[たやす]く前賢の文字を改め易うることを欲せず、稍謙退敬讓の心を存するのみ。若し聖賢の成書、稍己が意に愜[かな]わざる處有れば、便ち情に率い筆を奮って、恣に塗り改むることを行わば、恐らくは此れ氣象、亦自づから佳ならざらん。蓋し改むる所盡く善なりと雖も、猶末流輕々しく肆にし自ら大なりとするの弊を啓かん。況んや未だ必ずしも盡く善ならざるをや。伊川先生嘗て學者に語れり、其の己が言に於て合わざる所有れば、則ち置いて復思わざることを病う。所以に終に同じきこと能わざるなり、と(楊迪及門二書集に見る。)。今熹此れ等の字を改むる處を觀るに、竊かに恐れらくは先生の意、尙思わずんばある可からざる者有れども、而れども改むる者は未だ之を思わざるなり。蓋し特に己之を思わざるのみに非ず、又後人をして復先生手筆の本文を見ることを得ざらしむ。之を思って以て先生の意に逹せんと欲すと雖も、亦得可からず。此れ其の害を爲すこと、豈甚だしからざらんや。

夫以言乎己、則失其恭敬退讓之心、以言乎人、則啓其輕肆妄作之弊、以言乎先生之意、則恐猶有未盡者、而絕人之思。姑無問其所改之得失、而以是三者論之、其不可已曉然矣。
【読み】
夫れ以て己を言うときは、則ち其の恭敬退讓の心を失し、以て人を言うときは、則ち其の輕肆妄作の弊を啓き、以て先生の意を言うときは、則ち恐らくは猶未だ盡くさざる者有って、人の思いを絕つ。姑く其の改むる所の得失を問うこと無くして、是の三つの者を以て之を論ずるに、其れ已に曉然たる可からず。

老兄試思、前聖入太廟、每事問、存餼羊、謹闕文、述而不作、信而好古、深戒不知而作、敎人多聞闕疑之心爲如何。而視今日紛更專輒之意象、又爲如何。審此、則於此宜亦無待乎熹之言。而決且知熹之所以再三冒瀆、貢其所不樂聞者。豈好己之說勝、得已而不已者哉。
【読み】
老兄試みに思え、前聖太廟に入って、事每に問い、餼羊を存し、闕文を謹み、述べて作らず、信じて古を好んで、深く知らずして作ることを戒めて、人に多く聞いて疑わしきを闕くの心を敎うること如何とかする。而して今日紛更專輒の意象に視るに、又如何とかする。此を審らかにせば、則ち此に於て宜しく亦熹が言を待つこと無かるべけんや。而して決して且つ熹が再三冒し瀆して、其の聞くことを樂しまざる所の者を貢[すす]むる所以を知らん。豈己が說勝つことを好んで、已むことを得て已まざる者ならんや。

熹請復論沿泝猶子之說、以實前議。夫改沿爲泝之說、熹亦竊聞之矣。如此曉破、不爲無力。然所以不可改者、蓋先生之言垂世已久、此字又無大害義理。若不以文辭害其指意、則只爲沿字、而以因字尋字循字之屬訓之、於文似無所害、而意亦頗寬舒。必欲改爲泝字、雖不無一至之得、然其氣象却殊迫急、似有彊探力取之弊。疑先生所以不用此字之意、或出於此。不然、夫豈不知沿泝之別而有此謬哉。蓋古書沿字、亦不皆爲順流而下之字也(荀子云、反鉛察之。注云、鉛與沿同。循也。)。惜乎當時莫或疑而扣之、以袪後人之惑、後之疑者、又不能闕而遽改之。是以先生之意終已不明、而舉世之人亦莫之思也。
【読み】
熹請う、復沿泝猶子の說を論じて、以て前議を實にせん。夫れ沿を改めて泝とするの說、熹亦竊かに之を聞く。此の如く曉破すること、力無しとせず。然れども改む可からざる所以の者は、蓋し先生の言世を垂るること已に久しく、此の字も又大いに義理を害すること無ければなり。若し文辭を以て其の指意を害せずんば、則ち只沿の字と爲して、因の字尋の字循の字の屬を以て之を訓ずとも、文に於て害する所無きに似て、意亦頗る寬舒す。必ず改めて泝の字とせんと欲するは、一至の得無くんばあらずと雖も、然れども其の氣象は却って殊に迫急にして、彊い探り力め取るの弊有るに似れり。疑うらくは先生此の字を用いざる所以の意、或は此に出ん。然らずんば、夫れ豈沿泝の別を知らずして此の謬り有らんや。蓋し古書に沿の字、亦皆は流れに順って下るの字とせず(荀子に云く、反鉛して之を察す、と。注に云く、鉛は沿と同じ。循るなり、と。)。惜しいかな當時疑って之を扣くこと或ること莫くして、以て後人の惑いを袪[ひら]き、後の疑う者、又闕くこと能わずして遽に之を改むることを。是を以て先生の意終に已に明らかならずして、舉世の人も亦之を思うこと莫し。

大抵古書有未安處、隨事論著、使人知之可矣。若遽改之以沒其實、則安知其果無未盡之意邪。漢儒釋經、有欲改易處、但云某當作某、後世猶或非之。況遽改乎。且非特漢儒而已。孔子刪書、血流漂杵之文、因而不改。孟子繼之亦曰、吾於武成取二三策而已。終不刊去此文、以從己意之便也。然熹又竊料、改此字者、當時之意、亦但欲使人知有此意、未必不若孟子之於武成。但後人崇信太過、便憑此語、塗改舊文、自爲失耳。
【読み】
大抵古書に未だ安からざる處有れば、事に隨って論著して、人をして之を知らしめて可なり。若し遽に之を改めて以て其の實を沒せば、則ち安んぞ其の果たして未だ盡くさざるの意無きことを知らんや。漢儒經を釋するに、改易せんと欲する處有れば、但某は當に某と作すべしと云うすら、後世猶或は之を非る。況んや遽に改むるをや。且つ特り漢儒のみに非ず。孔子書を刪るに、血流れて杵を漂わすの文、因りて改めず。孟子之に繼いで亦曰く、吾れ武成に於て二三策を取るのみ、と。終に此の文を刊り去って、以て己が意の便なるに從わず。然れども熹又竊かに料るに、此の字を改むる者は、當時の意、亦但人をして此の意有ることを知らしめんと欲して、未だ必ずしも孟子の武成に於るが若くならずんばあらず。但後人崇信太だ過ぎて、便ち此の語に憑って、舊文を塗り改め、自ら失することをするのみ。

愚竊以爲此字決當從舊、尤所當改。若老兄必欲存之、以見泝字之有力、則請正文只作沿字、而注其下云(某人云、沿當作泝。)、不則云(胡本沿作泝。)、不則但云或人可也。如此兩存、使讀者知用力之方、改者無專輒之咎、而先生之微音餘韻、後世尙有默而識之者。豈不兩全其道而無所傷乎。
【読み】
愚竊かに以爲えらく、此の字決して當に舊に從うべく、尤も當に改むべき所なり。若し老兄必ず之を存して、以て泝の字の力有ることを見んと欲せば、則ち請う、正文には只沿の字と作して、其の下に注して云い(某人云く、沿は當に泝に作るべし、と。)、不[しか]らずんば則ち云い(胡本に沿は泝に作る、と。)、不らずんば則ち但或る人と云いて可なり。此の如く兩ながら存せば、讀者力を用うるの方を知り、改むる者專輒の咎無からしめて、先生の微音餘韻、後世尙默して之を識す者有らん。豈兩ながら其の道を全くして傷る所無きにあらずや。

猶子之稱、謂不當改、亦所未喩。蓋來敎但云姪止是相沿稱之、而未見其害義、不可稱之意。云稱猶子尙庶幾焉、亦未見其所以庶幾之說。是以愚瞢未能卒曉然。以書傳考之、則亦有所自來。蓋爾雅云、女子謂兄弟之子爲姪。注引左氏姪其從姑以釋之。而反復考尋、終不言男子謂兄弟之子爲何也。以漢書考之、二疏乃今世所謂叔姪、而傳以父子稱之、則是古人直謂之子、雖漢人猶然也。蓋古人淳質、不以爲嫌。故如是稱之、自以爲安。降及後世、則心有以爲不可不辨者。於是假其所以自名於姑者而稱焉。雖非古制、然亦得別嫌明微之意。而伯父叔父與夫所謂姑者、又皆吾父之同氣也。亦何害於親親之義哉。今若欲從古、則直稱子而已。若且從俗、則伊川・橫渠二先生者皆嘗(徐本嘗作當。)稱之。伊川嘗言、禮從宜、使從俗。有大害義理處、則須改之。夫以其言如此、而猶稱姪云者、是必以爲無大害於義理故也。故其遺文出於其家、而其子序之以行於世、舉無所謂猶子云者。而胡本特然稱之。是必出於家庭之所筆削無疑也(若曰何故他處不改、蓋有不可改者。如祭文則有對偶之類是也。)。若以稱姪爲非、而改之爲是、亦當存(徐本存作從。)其舊文、而附以新意。況本無害理而可遽改之乎。今所改者出於檀弓之文。而彼文止爲喪服兄弟之子與己子同、故曰兄弟之子猶子也、與下文嫂叔之無服也、姑姊妹之薄也之文同耳。豈以爲親屬之定名哉。猶卽如也。其義繫於上文、不可殊絕明矣。若單稱之、卽與世俗歇後之語無異。若平居假借稱之、猶之可也。豈可指爲親屬之定名乎。若必以爲是、則自我作古別爲一家之俗。夫亦孰能止之。似不必强挽前逹、使之同己、以起後世之惑也。故愚於此、亦以爲尤所當改、以從其舊者。若必欲改之、則請亦用前例、正文作姪注云(胡本作猶子。)則亦可矣。
【読み】
猶子の稱、當に改むべからずと謂うこと、亦未だ喩らざる所なり。蓋し來敎に但姪は止是れ相沿って之を稱すと云えども、而れども未だ其の義を害して、稱す可からざるの意を見ず。猶子と稱すは尙庶幾すと云えども、亦未だ其の庶幾する所以の說を見ず、と。是を以て愚瞢[ぐぼう]未だ卒に曉然たること能わず。書傳を以て之を考うれば、則ち亦自って來る所有り。蓋し爾雅に云く、女子兄弟の子を謂いて姪とす、と。注に左氏姪其れ姑に從うというを引いて以て之を釋す。而して反復考尋すれども、終に男子兄弟の子を謂いて何とするということを言わず。漢書を以て之を考うるに、二疏は乃ち今世の所謂叔姪にして、傳に父子を以て之を稱するときは、則ち是れ古人直に之を子と謂い、漢人と雖も猶然り。蓋し古人は淳質にして、以て嫌うことをせず。故に是の如く之を稱して、自ら以て安しとす。降って後世に及んでは、則ち心以て辨ぜずんばある可からずとする者有り。是に於て其の自ら姑に名のる所以の者を假りて稱す。古制に非ずと雖も、然れども亦嫌を別ち微を明かすの意を得。而して伯父叔父と夫の所謂姑とは、又皆吾が父の同氣なり。亦何ぞ親を親とするの義に害あらんや。今若し古に從わんと欲せば、則ち直に子と稱せんのみ。若し且俗に從うときは、則ち伊川・橫渠の二先生は皆嘗て(徐本嘗を當に作る。)之を稱せり。伊川嘗て言えり、禮は宜しきに從い、俗に從わしむ。大いに義理を害する處有らば、則ち須く之を改むべし、と。夫れ其の言此の如きを以てして、猶姪と稱すと云う者は、是れ必ず大いに義理に害あること無しとすることを以ての故なり。故に其の遺文其の家に出て、其の子之に序して以て世に行うに、舉[ことごと]く所謂猶子云う者無し。而るに胡本に特に然も之を稱す。是れ必ず家庭の筆削する所に出ること疑い無し(若し何が故に他處は改めざると曰わば、蓋し改む可からざる者有ればなり。祭文の如き則ち對偶有るの類是れなり。)。若し姪と稱するを以て非と爲して、之を改むることを是と爲さば、亦當に其の舊文を存(徐本存を從に作る。)して、附するに新意を以てすべし。況んや本理を害すること無くして遽に之を改む可けんや。今改むる所の者は檀弓の文に出づ。而れども彼の文は止喪服兄弟の子と己が子と同じきが爲に、故に兄弟の子は猶子のごとくすと曰い、下の文嫂叔の服無き、姑姊妹の薄きというの文と同じきのみ。豈以て親屬の定名とせんや。猶は卽ち如しなり。其の義上の文に繫かって、殊に絕つ可からざること明らかなり。若し單に之を稱せば、卽ち世俗歇後の語と異なること無し。若し平居假借して之を稱せば、猶可なり。豈指して親屬の定名とす可けんや。若し必ず以て是とせば、則ち自づから我れ古別に一家を爲すの俗と作さん。夫れ亦孰か能く之を止めん。必ずしも强いて前逹を挽かざるに似れども、之をして己に同じからしめんとして、以て後世の惑いを起こす。故に愚此に於て、亦以て尤も當に改むべき所にして、以て其の舊に從うとする者なり。若し必ず之を改めんと欲せば、則ち請う、亦前例を用いて、正文に姪に作るを注に云わば(胡本に猶子に作る、と。)則ち亦可ならん。

春秋序・富謝書、其說略具(徐本具作其。)卷中。不知是否。更欲細論以求可否、此人行速、屢來督書、不暇及矣。若猶以爲疑、則亦且注其下云(元本有某某若干字。)、庶幾讀者旣見當時言意之實、又不揜後賢刪削之功。其他亦多類此。幸賜詳觀、卽見區區、非有偏主必勝之私。但欲此集早成完書、不悞後學耳。計老兄之意、豈異於此。但恐見理太明。故於文意瑣細之閒、不無闊略之處。用心太剛。故於一時意見所安、必欲主張到底。所以紛紛未能卒定。如熹則淺暗遲鈍、一生在文義上做窼窟。苟所見未明、實不敢妄爲主宰、農馬智專、所以於此等處不敢便承誨論、而不自知其僭易也。伏惟少賜寬假、使得盡愚。將來改定新本、便中幸白共父寄兩本來。容更參定箋注求敎(所以欲兩本者、蓋欲留得一本作底、以備後復有所稽考(徐本稽考作得。)也。)。儻蒙矜恕、不錄其過而留聽焉、不勝幸甚。(同上。)
【読み】
春秋の序・富謝の書は、其の說略卷中に具わる(徐本具を其に作る。)。知らず、是なるや否なるやを。更に細かに論じて以て可否を求めんと欲せども、此の人行速やかにして、屢々來て書を督して、及ぶに暇あらず。若し猶以て疑うことをせば、則ち亦且其の下に注して云わば(元本に某某の若干の字有り、と。)、庶幾わくは讀者旣に當時言意の實を見、又後賢刪削の功を揜わざらんことを。其の他も亦多くは此に類す。幸いに詳らかに觀ることを賜わば、卽ち區區として、偏に必ず勝つことを主とするの私有るに非ざることを見ん。但此の集早く完書と成って、後學を悞[あやま]らざらんことを欲するのみ。計るに老兄の意、豈此に異ならんや。但恐らくは理を見ること太だ明らかなり。故に文意瑣細の閒に於て、闊略の處無くんばあらず。心を用うること太だ剛なり。故に一時意見の安んずる所に於て、必ず到底に主張せんことを欲せん。所以に紛紛として未だ卒に定むること能わじ。熹が如きは則ち淺暗遲鈍、一生文義上に在って窼窟を做す。苟も見る所未だ明らかならざれば、實に敢えて妄りに主宰と爲らず、農馬智專、所以に此れ等の處に於て敢えて便ち誨論を承けずして、自ら其の僭易を知らざるなり。伏して惟みるに少しく寬假を賜って、愚を盡くすことを得せしめよ。將來改め定むるの新本、便中に幸いに共父に白して兩本を寄せ來れ。更に箋注に參定して敎を求む容し(兩本を欲する所以の者は、蓋し一本の作底を留め得て、以て後復稽え考うる(徐本稽考を得に作る。)所有るに備えんと欲せばなり。)。儻[も]しくは矜恕を蒙って、其の過りを錄せずして留め聽せば、幸甚に勝えず。(上に同じ。)


右明道先生遺文九篇。長沙學官旣刻二先生文集、後三年、新安朱熹復以此寄栻云、得之玉山汪應辰、敬以授敎授何蘊、俾嗣刻之。乾道己丑四月朔、廣漢張栻謹書。(南軒書明道先生遺文後。)
【読み】
右明道先生の遺文九篇。長沙の學官旣に二先生の文集を刻み、後三年、新安の朱熹復此を以て栻に寄せて云く、之を玉山の汪應辰に得、敬んで以て敎授何蘊に授けて、嗣いで之を刻ましむ、と。乾道己丑四月朔、廣漢の張栻謹んで書す。(南軒明道先生の遺文の後に書す。)


河南二程先生文集、憲使楊公已鋟板三山學官。遺書・外書則庾司舊有之、乙未之火、與他書倶燬不存。諸書雖未能復、是書胡可緩。師耕承乏此來、亟將故本易以大字、與文集爲一體、刻之後圃明敎堂。賴吾同志相與校訂、視舊加密。二先生之書於是乎全。時淳祐丙午、古汴趙師耕書。(麻沙本後序。)
【読み】
河南の二程先生の文集、憲使楊公已に板に三山の學官に鋟[きざ]む。遺書・外書は則ち庾司舊之れ有り、乙未の火に、他書と倶に燬[や]けて存せず。諸書未だ復すること能わずと雖も、是の書胡ぞ緩くす可けん。師耕乏しきを承けて此に來て、亟[しばしば]故本を將って易うるに大字を以てして、文集と一體と爲して、之を後圃の明敎堂に刻む。吾が同志に賴って相與に校訂するに、舊に視ぶれば加々密なり。二先生の書是に於て全し。時に淳祐丙午、古汴の趙師耕書す。(麻沙本の後序。)


程氏遺書、長沙本最善。而字頗小、閱歲之久、板已漫漶。敎授王君湜出示五羊本。參校旣精、大字亦便觀覽。然無外書。襲之乃模鋟于春陵郡庫、又取長沙所刊外書附刻焉。願與同志者共學。淳祐六年立秋日、東川李襲之謹題。(春陵本後序。)
【読み】
程氏の遺書、長沙の本最も善し。而れども字頗る小にして、歲を閱ること久しくして、板已に漫漶す。敎授王君湜五羊本を出し示す。參校旣に精しく、大字にして亦觀覽に便りす。然れども外書無し。襲之乃ち春陵の郡庫に模鋟して、又長沙に刊する所の外書を取って附刻す。願わくは同志の者と共に學ばんことを。淳祐六年立秋の日、東川の李襲之謹んで題す。(春陵本の後序。)


右程氏先生經說、合遺書・外書・文集、總若干卷。(玘。)竊惟聖人之道、自孔孟旣沒浸失其傳。至我宋、而二程先生出、五三載籍幾墜之文、千四百年不傳之學、始大昌明於世。格言大訓見於河南門人之所紀錄、考亭先儒之所簒輯者、有是書存。譬之菽粟布帛、不容以一日無也。然稽之諸郡、或缺略而無有。或閒雖鋟梓、而未全均、有孤學者之望。(玘。)領敎玆邦積廩稍之餘、益以己俸、補官書之未備者。唯是四書猶缺。余心恧焉。迺求善本、俾二三同志重加考訂、刻諸學宮。庶幾學者家傳、而人誦之、由二先生之書、以繹二先生之心、由二先生之心、以印孔孟之心云。淳祐戊申四月戊寅、天台張玘謹書。
【読み】
右程氏先生の經說、遺書・外書・文集を合して、總べて若干卷。(玘。)竊かに惟みるに聖人の道、孔孟旣に沒して自り浸[ようや]く其の傳を失す。我が宋に至って、二程先生出て、五三の載籍幾ど墜ちんとするの文、千四百年傳わらざるの學、始めて大いに世に昌明なり。格言大訓河南門人の紀錄する所、考亭先儒の簒輯する所に見る者、是の書の存せる有り。之を菽粟布帛に譬うるに、以て一日も無くんばある容からず。然して之を諸郡に稽うるに、或は缺略して有ること無し。或は閒梓に鋟むと雖も、而れども未だ全く均しからずして、學者の望みに孤[そむ]くこと有り。(玘。)敎を玆の邦に領して廩稍の餘を積み、益すに己が俸を以てして、官書の未だ備わらざる者を補う。唯是の四書猶缺く。余が心恧[は]づ。迺ち善本を求めて、二三の同志をして重ねて考訂を加えしめて、諸を學宮に刻む。庶幾わくは學者家々に傳えて、人々之を誦して、二先生の書に由って、以て二先生の心を繹ね、二先生の心に由って、以て孔孟の心を印せんと云う。淳祐戊申四月戊寅、天台の張玘謹んで書す。


右河南程氏遺書・外書倶出程門弟子手記、考亭朱夫子家藏。類訪旁捜、先後次第爲此世所刊本、無不同者。獨二先生文集出胡文定公家。頗有改削、如定性書及明道行述、上富公與謝帥書中刪却數十字、辭官表之顚倒次第、易傳序之改沿爲泝、祭文之改姪爲猶子。劉・張二公以是本刻之長沙。考亭定其所當改者數紙、與共父劉帥書、及與南軒張子屢書、凛然承舛習訛。末流波蕩之爲懼、而卒亦莫之從也。今所傳文集、大率潭本、是固不能無餘論矣。臨川潭善心元之早(徐本早作蚤。)讀二書、慮其傳本浸少、悉爲刻棗。而於文集復加詳審、與蜀郡虞槃叔常往復討論、以復乎考亭所改之舊、且注劉・張本異同於其下。其餘遺文、凡集所未錄者、各以類附焉。至若伊川經說、其目見近思錄、其書見時氏本、特易傳止繫辭上篇、春秋傳止魯桓九年、書解止舜格于文祖、詩解止四方以無拂、論語解止吾從下。恨多誤字、不敢臆決。惟易繫取呂氏精義所編、春秋傳取尹氏簒集所補、以舊板本審校先刊。而他書則俟求善本、讐校續(徐本續作緒。)刻。此其爲意、固將以集程氏書文之全、明程・朱授受之正。稽之往哲而不悖、傳之來裔而亡窮。觀此書者、如挹座春而立門雪、倶非苟然爲之也。嗚呼、元之之用心、亦可謂勤也。已装褫成帙、家學人誦。謹緝大意、書于左方。至治二年壬戌之秋、七月旣望、臨川後學鄒次陳謹識。
【読み】
右河南程氏の遺書・外書倶に程門の弟子の手記、考亭朱夫子の家藏に出づ。類訪旁捜するに、先後次第此の世の刊する所の本、同じからざる者無しとす。獨り二先生の文集胡文定公の家に出づ。頗る改削有ること、定性書及び明道の行述、富公に上り謝帥に與うる書の中數十字を刪却し、官を辭する表の次第を顚倒し、易傳の序の沿を改めて泝と爲し、祭文の姪を改めて猶子と爲すが如し。劉・張の二公是の本を以て之を長沙に刻む。考亭其の當に改むべき所の者數紙を定めて、共父劉帥に與うる書、及び南軒の張子に與うる屢書、凛然として舛を承け訛りに習う。末流波蕩を懼るることをすれども、卒に亦之に從うこと莫し。今傳うる所の文集、大率潭本、是れ固に餘論無きこと能わず。臨川の潭善心元之早(徐本早を蚤に作る。)に二書を讀んで、其の傳本浸少することを慮って、悉く棗に刻むことをす。而して文集に於て復詳審を加えて、蜀郡の虞槃叔と常に往復討論して、以て考亭改むる所の舊に復し、且劉・張の本の異同を其の下に注す。其の餘の遺文、凡そ集の未だ錄せざる所の者、各々類を以て附す。至若[しかのみならず]伊川の經說、其の目近思錄に見え、其の書時氏の本に見え、特に易傳は繫辭の上篇に止まり、春秋傳は魯の桓九年に止まり、書の解は舜文祖に格るというに止まり、詩の解は四方以て拂[もと]ること無しというに止まり、論語の解は吾は下に從わんというに止まる。恨むらくは誤字多くして、敢えて臆決せず。惟易の繫は呂氏精義に編する所を取り、春秋傳は尹氏簒集に補う所を取り、舊板の本を以て審らかに先刊に校ぶ。而して他の書は則ち善本を求むるを俟って、讐校續(徐本續を緒に作る。)刻す。此れ其の意爲る、固に將に以て程氏書文の全きを集め、程・朱授受の正を明らかにせんとす。之を往哲に稽[くら]べて悖らず、之を來裔に傳えて窮まり亡し。此の書を觀る者は、座春を挹[ゆう]して門雪に立つが如し。倶に苟然として之を爲すに非ず。嗚呼、元之が心を用うる、亦勤めたりと謂う可し。已に装褫[そうち]して帙[ちつ]を成して、家々に學び人々に誦ず。謹んで大意を緝[あつ]めて、左方に書す。至治二年壬戌の秋、七月旣望、臨川の後學鄒次陳謹んで識す。


周・二程・張・邵書、余以晁昭德讀書志校之、周子通書一卷、明道中庸解一卷、程氏易十卷、書說一卷、詩說兩卷、論語說十卷、孟子解十四卷、伊川集二十卷、程氏雜說十卷、張子正蒙書十卷、魚樵對問一卷、信聞紀一卷、孟子解十四卷、易說十卷、春秋說一卷、橫渠崇文集十卷、邵子皇極經世十二卷、觀物篇六卷、擊壤集二十卷、凡十九部、一百五十四卷。所謂程氏雜說十卷者、疑卽朱子所謂諸公各自爲書、散出竝行之一者也。而遺書所錄、不見其目。朱子因其先人舊藏、益以類訪、爲遺書二十五卷、又爲外書十二卷、益多雜說數倍、而雜說固不傳。合晁氏所記、與今所傳讀、蓋可考矣。然今所傳本、皆家藏故書、數十年前所刻、就令刻板具在、意且漫漶棄不少矣。淸廟雅樂、姑(徐本姑作始。)以備數、而鄭・衛之聲、人爭愛之、則此日少而彼日多者、亦其勢然也。近年始有新刊邵子書、聞風而起者、或誚爲迂闊、且笑之。宜黃譚善心、同邑傅君友諒之門人也。奮然不顧、取二程遺書・文集刻之、且將考訂程氏經說、以次鋟木。槃託中表之好、乃得預聞其說、喜其事之有成、而學者得以傳讀先儒之遺文而不倦。其卓然之見、良有可取。故題其後、以勉同志之士云。蜀郡後學虞槃。
【読み】
周・二程・張・邵の書、余晁昭德の讀書志を以て之を校ぶるに、周子の通書一卷、明道の中庸の解一卷、程氏の易十卷、書の說一卷、詩の說兩卷、論語の說十卷、孟子の解十四卷、伊川の集二十卷、程氏の雜說十卷、張子の正蒙書十卷、魚樵對問一卷、信聞紀一卷、孟子の解十四卷、易の說十卷、春秋の說一卷、橫渠の崇文集十卷、邵子の皇極經世十二卷、觀物篇六卷、擊壤集二十卷、凡て十九部、一百五十四卷なり。所謂程氏の雜說十卷は、疑うらくは卽ち朱子の所謂諸公各々自ら書を爲って、散出竝行するの一なる者ならん。而れども遺書に錄する所、其の目を見ず。朱子其の先人の舊藏に因って、益々以て類訪して、遺書二十五卷とし、又外書十二卷とし、益々雜說より多きこと數倍にして、雜說固に傳わらず。晁氏が記する所と、今の傳え讀む所とを合わせて、蓋し考う可し。然れども今の傳うる所の本は、皆家藏の故書、數十年前に刻む所、就令[たと]い板に刻んで具に在るとも、意且漫漶棄少なからず。淸廟雅樂、姑く(徐本姑を始に作る。)以て數を備うれども、鄭・衛の聲、人々爭って之を愛するときは、則ち此れ日に少なくして彼日に多き者は、亦其の勢然り。近年始めて邵子の書を新たに刊すること有り、風を聞いて起こる者、或は誚[そし]って迂闊なりとし、且つ之を笑う。宜黃の譚善心は、同邑の傅君友諒の門人なり。奮然として顧みず、二程の遺書・文集を取って之を刻み、且將に程氏の經說を考訂して、次を以て木に鋟まんとす。槃中表の好に託して、乃ち其の說を預り聞くことを得て、其の事の成ること有って、學者得以て先儒の遺文を傳え讀んで倦まざることを喜ぶ。其の卓然の見、良に取る可き有り。故に其の後に題して、以て同志の士を勉つと云う。蜀郡の後學虞槃。


参考文献
『和刻本漢籍 二程全書』(中文出版社)
『二程集』(里仁書局)