秦鼎の「春秋左氏傳校本」を参考とした。

杜預略傳

杜預、字元凱、京兆杜陵人也。祖畿、魏尙書僕射。父恕、幽州刺史。預、博學多通、明於興廢之道。常言德不可以企及、立功立言、可庶幾也。初其父與宣帝不相能。遂以幽死。故預久不得調。文帝嗣立、預尙帝妹高陸公主。起家拜尙書郎、襲祖爵豐樂亭侯。在職四年、轉參相府軍事。鐘會伐蜀、以預爲鎭西長史。及會反、寮佐竝遇害。唯預以智獲免。增邑千一百三十戶。
【読み】
杜預、字は元凱、京兆杜陵の人なり。祖畿は、魏の尙書僕射。父恕は、幽州の刺史たり。預、博學多通、興廢の道に明らかなり。常に言う、德は以て企及す可からず、功を立て言を立つるは、庶幾す可し、と。初め其の父宣帝と相能からず。遂に以て幽死せり。故に預久しく調[えら]ばるることを得ず。文帝嗣立し、預帝の妹高陸公主を尙す。家より起こりて尙書郎に拜せられ、祖の爵豐樂亭侯を襲ぐ。職に在ること四年、參相府軍事に轉ず。鐘會蜀を伐つとき、預を以て鎭西長史とす。會が反するに及んで、寮佐竝に害に遇う。唯預のみ智を以て免るることを獲たり。增邑千一百三十戶。

與車騎將軍賈充等定律令。旣成預爲之注解。乃奏之曰、法者蓋繩墨之斷例、非窮理盡性之書也。故文約而例直、聽省而禁簡。例直易見、禁簡難犯。易見則人知所避、難犯則幾於刑厝。刑之本在於簡直。故必審名分。審名分者、必忍小理。古之刑書、銘之鐘鼎、鑄之金石、所以遠塞異端、使無淫功也。今所注、皆網羅法意、格之以名分、使用之者執名例以審趣舍、伸繩墨之直、去析薪之理也、詔班于天下。
【読み】
車騎將軍賈充等と律令を定む。旣に成りて預之が注解を爲す。乃ち之を奏して曰く、法は蓋し繩墨の斷例にして、窮理盡性の書に非ず。故に文約にして例直く、聽省いて禁簡なり。例直なれば見易く、禁簡なれば犯し難し。見易ければ則ち人避くる所を知り、犯し難ければ則ち刑厝[けいそ]に幾し。刑の本は簡直に在り。故に必ず名分を審らかにす。名分を審らかにする者は、必ず小理を忍ぶ。古の刑書は、之を鐘鼎に銘し、之を金石に鑄りたるは、異端を遠ざけ塞いで、淫功無からしむる所以なり。今の注する所は、皆法意を網羅し、之を格すに名分を以てして、之を用ゆる者をして名例を執りて以て趣舍を審らかにし、繩墨の直を伸べ、析薪の理を去らしむこと、詔して天下に班つなり。

泰始中、守河南尹。預以京師、王化之始、自近及遠。凡所施論、務崇大體。受詔爲黜陟之課。
【読み】
泰始中は、守河南尹たり。預以えらく、京師は、王化の始めにして、近きより遠きに及ぶ、と。凡そ施論する所、務めて大體を崇めり。詔を受けて黜陟の課を爲る。

司隷校尉石鑒、以宿憾奏預免職。時虜寇隴右。以預爲安西軍司、給兵三百人、騎百匹、到長安。更除秦州刺史領東羗校尉輕車將軍、假節。屬虜兵强盛。石鑒時爲安西將軍。使預出兵擊之。預以虜乘勝馬肥、而官軍懸乏。宜幷力大運、須春進討。陳五不可、四不須。鑒大怒、復奏預擅飾城門官舍、稽乏軍興。遣御史檻車徵詣廷尉。以預尙主在八議、以侯贖論。其後隴右之事、卒如預策。是時朝廷皆以預明於籌略。
【読み】
司隷校尉石鑒、宿憾を以て預を奏して職を免れしむ。時に虜隴右に寇す。預を以て安西軍司とし、兵三百人、騎百匹を給して、長安に到らしむ。更めて秦州の刺史領東羗校尉輕車將軍に除して、節を假す。屬々の虜兵强盛なり。石鑒時に安西將軍爲り。預をして兵を出だして之を擊たしめんとす。預以えらく、虜は勝ちに乘じ馬肥えて、官軍懸乏す。宜しく力を幷せて大運し、春を須ちて進討すべし、と。五つの不可、四つの不須を陳ぶる。鑒大いに怒り、復奏す、預擅に城門官舍を飾りて、軍興を稽乏せしむ、と。御史をして檻車にて徵して廷尉に詣らしむ。預が主を尙して八議に在るを以て、侯を以て贖論せらる。其の後隴右の事、卒に預が策の如くなりき。是の時朝廷皆預を以て籌略[ちゅうりゃく]に明らかなりとす。

會匈奴帥劉猛舉兵反、自幷州西及河東平陽。詔預以散侯定計省闥。俄拜度支尙書。預乃奏立籍田、建安邊論、處軍國之要、又作人排新器、興常平倉、定穀價、較鹽運、制課調、内以利國、外以救邊者、五十餘條。皆納焉。
【読み】
會々匈奴の帥劉猛兵を舉げて反し、幷州より西のかた河東平陽に及ぶ。預に詔して散侯を以て省闥に定計せしむ。俄に度支尙書に拜せらる。預乃ち籍田を立て、安邊論、軍國を處するの要を建て、又人排の新器を作り、常平倉を興し、穀價を定め、鹽運を較べ、課調を制し、内は以て國を利し、外は以て邊を救う者、五十餘條を奏す。皆納れらる。

元皇后梓宮將遷於峻陽陵。舊制、旣葬、帝及群臣卽吉。尙書奏、皇太子亦宜釋服。預議皇太子、宜復古典以諒闇終制。從之。
【読み】
元皇后の梓宮將に峻陽陵に遷らんとす。舊制に、旣に葬れば、帝と群臣と吉に卽く、と。尙書奏す、皇太子も亦宜しく服を釋くべし、と。預議す、皇太子は、宜しく古典に復して諒闇を以て制を終うるべし、と。之に從う。

預以時曆差舛、不應晷度。奏上二元乾度曆、行於世。
【読み】
預以えらく、時曆差舛[させん]して、晷度[きど]に應ぜず、と。二元乾度曆を奏上して、世に行う。

預又以孟津渡險、有覆沒之患、請建河橋于富平津。議者以爲殷周所都、歷聖賢而不作者、必不可立故也。預曰、造舟爲梁、則河橋之謂也。及橋成、帝從百僚臨會。舉觴屬預曰、非君此橋不立也。對曰、非陛下之明、臣亦不得施其微巧。
【読み】
預又孟津の渡險にして、覆沒の患え有るを以て、河橋を富平津に建てんことを請う。議者以爲えらく、殷周の都する所にして、聖賢を歷ても作らざる者は、必ず立つ可からざる故なり、と。預曰く、舟を造[なら]べて梁とすとは、則ち河橋を謂うなり、と。橋成るに及んで、帝百僚を從えて臨會す。觴を舉げて預に屬して曰く、君に非ずんば此の橋は立たず、と。對えて曰く、陛下の明に非ずんば、臣も亦其の微巧を施すこと得ず、と。

周廟欹器、至漢東京、猶在御坐。漢末喪亂不復存、形制遂絕。預創意造成、奏上之。帝甚嘉歎焉。
【読み】
周廟の欹器[きき]、漢の東京に至るまで、猶御坐に在り。漢末の喪亂に復存せずして、形制遂に絕えぬ。預創意して造成して、之を奏上す。帝甚だ嘉歎せり。

咸寧四年秋、大霖雨、蝗蟲起。預上疏、多陳農要。事在食貨志。
【読み】
咸寧四年秋、大霖雨し、蝗蟲起こる。預上疏して、多く農要を陳ぶ。事は食貨志に在り。

預在内七年、損益萬機、不可勝數。朝野稱美、號曰杜武庫。言其無所不有也。
【読み】
預内に在ること七年、萬機を損益すること、勝げて數う可からず。朝野稱美し、號して杜武庫と曰う。其の有らざる所無きを言うなり。

時帝密存滅吳之計、而朝議多違。唯預・羊祜・張華與帝意合。祜病。舉預自代。因以本官假節、行平東將軍領征南軍司。及祜卒、拜鎭南大將軍都督荆州諸軍事。給追鋒車第二駙馬。預旣至鎭、繕甲兵、耀威武、乃簡精銳、襲吳西陵督張政大破之。以功增封三百六十五戶。政、吳之名將也。據要害之地、恥以無備取敗、不以所喪之實告于孫皓。預欲閒吳邊將、乃表還其所獲之衆於皓。皓果召政、遣武昌監劉憲代之。故大軍臨至、使其將帥移易、以成傾蕩之勢。
【読み】
時帝密かに吳を滅ぼすの計を存すれども、朝議違うもの多し。唯預・羊祜[ようこ]・張華、帝の意と合う。祜病む。預を舉げて自ら代わる。因りて本官を以て節を假し、行平東將軍領征南軍司とす。祜が卒するに及んで、鎭南大將軍都督荆州諸軍事に拜せらる。追鋒車の第二駙馬を給す。預旣に鎭に至りて、甲兵を繕して、威武を耀かし、乃ち精銳を簡びて、吳の西陵の督張政を襲いて大いに之を破る。功を以て增封三百六十五戶なり。政は、吳の名將なり。要害の地に據りて、備え無きを以て敗れを取りしことを恥じ、喪う所の實を以て孫皓に告げず。預吳の邊將を閒せんことを欲し、乃ち表して其の獲る所の衆を皓に還す。皓果たして政を召して、武昌の監劉憲をして之に代わらしむ。故に大軍の至るに臨みて、其の將帥をして移易せしめて、以て傾蕩の勢を成せり。

預處分旣定。乃啓請伐吳之期。帝報待明年方欲大舉。預表陳至計曰、自閏月以來、賊但勑嚴、下無兵上。以理勢推之、賊之窮計、力不兩完、必先認上流、勒保夏口以東、以延視息、無緣多兵西上、空其國都。而陛下過聽、便用委棄大計、縱敵患生。此誠國之遠圖。使舉而有敗、勿舉可也。事爲之制、務從完牢。若或有成、則開太平之基。不成、不過費損日月之閒、何惜而不一試之。若當須後年、天時人事、不得如常。臣恐其更難也。陛下宿議、分命臣等、隨界分進、其所禁持、東西同符、萬安之舉、未有傾敗之慮。臣心實了。不敢以曖昧之見自取後累。惟陛下察之。
【読み】
預處分旣に定まる。乃ち啓して吳を伐つの期を請う。帝報ず、明年を待ちて方に大舉せんと欲す、と。預至計を表陳して曰く、閏月より以來、賊但勑嚴して、下に兵の上る無し。理勢を以て之を推すに、賊の窮計、力兩完せられざれば、必ず先ず上流を認めて、夏口以東を勒保して、以て視息を延べんとし、多兵西上して、其の國都を空しくするに緣[よし]無からん。而るを陛下過聽して、便ち用て大計を委棄して、敵を縱[ゆる]して患えを生せり。此れ誠に國の遠圖なり。舉げて敗れ有らしめば、舉ぐること勿くして可なり。事に之が制を爲して、務めて完牢に從わんのみ。若し或は成ること有らば、則ち太平の基を開かん。成らざれば、日月の閒を費損するに過ぎず、何を惜みて一たび之を試みざる。若し當に後年を須たば、天時人事、常の如くなることを得ざるべし。臣恐れらくは其れ更に難からんことを。陛下宿議して、臣等に分命して、界に隨いて分進せしめ、其の禁持する所、東西符を同じくせば、萬安の舉にして、未だ傾敗の慮り有らず。臣が心實に了[さと]れり。敢えて曖昧の見を以て自ら後累を取らず。惟れ陛下之を察せよ、と。

預旬月之中、又上表曰、羊祜與朝臣多不同、不先博畫、而密與陛下共施此計。故益令多異。凡事當以利害相較。今此舉、十有八九利、其一二止於無功耳。其言破敗之形、亦不可得、直是計不出已、功不在身、各恥其前言。故守之也。自頃朝廷、事無大小、異意鋒起。雖人心不同、亦由恃恩不慮後難。故輕相同異也。昔漢宣帝議趙充國所上、事效之後、詰責諸議者、皆叩頭而謝、以塞異端也。自秋已來、討賊之形頗露。若今中止、孫皓怖而生計。或徙都武昌、更完修江南諸城、遠其居人、城不可攻、野無所掠。積大船于夏口、則明年之計、或無所及。
【読み】
預旬月の中、又上表して曰く、羊祜と朝臣と多く同じからずして、先ず博く畫[はか]らずして、密かに陛下と共に此の計を施す。故に益々異多からしめり。凡そ事は當に利害を以て相較ぶべし。今此の舉、十に八九の利有り、其の一二は功無きに止まるのみ。其れ破敗の形を言わんとするも、亦得可からず、直に是れ計已より出でず、功身に在らずして、各々其の前言を恥ず。故に之を守れるなり。自頃朝廷、事大小と無く、異意鋒起す。人心は同じからずと雖も、亦恩を恃みて後難を慮らざるに由る。故に輕々しく相同異するなり。昔漢の宣帝趙充國が上げる所を議せしめ、事效あるの後、諸議者を詰責せば、皆叩頭して謝せしは、以て異端を塞がんとなり。秋より已來、賊を討ずるの形頗る露[あらわ]れぬ。若し今中ごろ止めば、孫皓怖れて計を生せん。或は都を武昌に徙して、更に江南の諸城を完修し、其の居人を遠ざけば、城攻む可からず、野に掠むる所無からん。大船を夏口に積まば、則ち明年の計、或は及ぶ所無けん、と。

時帝與中書令張華圍棊。而預表適至。華推枰斂手曰、陛下聖明神武、朝野淸晏、國富兵强、號令如一。吳主荒淫驕虐、誅殺賢能。當今討之、可不勞而定。帝乃許之。
【読み】
時に帝と中書令張華と棊を圍む。而るに預が表適々至れり。華枰を推し手を斂めて曰く、陛下聖明神武、朝野淸晏、國富み兵强く、號令一の如し。吳主は荒淫驕虐、賢能を誅殺す。當今之を討せば、勞せずして定まる可し、と。帝乃ち之を許す。

預以太康元年正月、陳兵于江陵、遣參軍樊顯・尹林・鄧圭、襄陽太守周奇等率衆、循江西上、授以節度、旬日之閒、累尅城邑。皆如預策焉。
【読み】
預太康元年正月を以て、兵を江陵に陳ねて、參軍樊顯・尹林・鄧圭、襄陽の太守周奇等をして衆を率いて、江に循いて西上せしめ、授くるに節度を以てして、旬日の閒、累[しき]りに城邑に尅つ。皆預が策の如し。

又遣牙門管定・周旨・伍巢等率奇兵八百、泛舟夜渡、以襲樂郷、多張旗幟、起火巴山、出於要害之地、以奪賊心。吳都督孫歆震恐、與伍延書曰、北來諸軍、乃飛渡江也。吳之男女降者萬餘口。
【読み】
又牙門管定・周旨・伍巢等をして奇兵八百を率いて、舟を泛べて夜渡りて、以て樂郷を襲わせ、多く旗幟を張り、火を巴山に起こし、要害の地に出でて、以て賊の心を奪わしむ。吳の都督孫歆震恐し、伍延に書を與えて曰く、北來の諸軍は、乃ち江を飛び渡れり、と。吳の男女降る者萬餘口なり。

旨・巢等伏兵樂郷城外。歆遣軍出拒王濬、大敗而還。旨等發伏兵、隨歆軍而入、歆不覺。直至帳下、虜歆而還。故軍中爲之謠曰、以計代戰一當萬。
【読み】
旨・巢等樂郷の城外に伏兵す。歆軍をして出でて王濬[おうしゅん]を拒ましめ、大いに敗れて還る。旨等伏兵を發し、歆が軍に隨いて入るに、歆覺らず。直ちに帳下に至り、歆を虜にして還れり。故に軍中之が謠を爲して曰く、計を以て戰に代え一萬に當たる、と。

於是進逼江陵。吳督將伍延僞請降而列兵登陴。預攻尅之。
【読み】
是に於て進みて江陵に逼る。吳の督將伍延僞りて降を請いて兵を列ね陴に登る。預攻めて之に尅つ。

旣平上流。於是沅湘以南、至於交廣、吳之州郡、皆望風歸命、奉送印綬。預仗節稱詔而綏撫之。
【読み】
旣に上流を平らぐ。是に於て沅湘より以南、交廣に至るまで、吳の州郡、皆風を望みて歸命し、印綬を奉送す。預節に仗[よ]り詔を稱して之を綏撫す。

凡所斬及生獲、吳都督監軍十四、牙門郡守百二十餘人。又因兵威徙將士屯戍之家、以實江北南郡故地、各樹之長吏。荆土肅然、吳人赴者如歸矣。
【読み】
凡そ斬り及び生獲する所、吳の都督監軍十四、牙門郡守百二十餘人なり。又兵威に因りて將士屯戍の家を徙して、以て江北の南郡の故地に實たして、各々之が長吏を樹つ。荆土肅然として、吳人の赴く者歸するが如し。

王濬先列上得孫歆頭。預後生送歆、洛中以爲大笑。時衆軍會議。或曰、百年之寇、未可盡尅。今向暑、水潦方降、疾疫將起。宜俟來冬、更爲大舉。預曰、昔樂毅藉濟西一戰、以幷强齊。今兵威已振、譬如破竹。數節之後、皆迎刃而解、無復著手處也。遂指授群帥、徑進秣陵。所過城邑,莫不束手。議者乃以書謝之。
【読み】
王濬先に孫歆の頭を得たりと列上す。預後に生きながら歆を送らば、洛中以て大笑を爲せり。時に衆軍會議す。或ひと曰く、百年の寇、未だ盡く尅つ可からず。今暑に向かい、水潦方に降り、疾疫將に起こらんとす。宜しく來冬を俟ちて、更に大舉を爲すべし、と。預曰く、昔樂毅濟西の一戰に藉りて、以て强齊を幷せり。今兵威已に振う、譬えば竹を破るが如し。數節の後、皆刃を迎えて解け、復手を著くる處無し、と。遂に群帥に指授して、徑[ただ]ちに秣陵に進む。過ぐる所の城邑,手を束ねざること莫し。議者乃ち書を以て之を謝せり。

孫皓旣平、振旅凱入。以功進爵當陽縣侯、增邑幷前九千六百戶。封子耽爲亭侯千戶、賜絹八千疋。
【読み】
孫皓旣に平らぎ、振旅して凱入す。功を以て當陽縣侯に進爵し、增邑前を幷せて九千六百戶。子耽を封じて亭侯千戶と爲し、絹八千疋を賜う。

預旣還鎭、累陳家世吏職、武非其功、請退。不許。
【読み】
預旣に鎭に還り、家世の吏職にして、武は其の功に非ざることを累陳して、退かんことを請う。許されず。

預以天下雖安、忘戰必危。勤于講武、修立泮宮。江漢懷德、化被萬里。攻破山夷、錯置屯營、分據要害之地、以固維持之勢。又修邵信臣遺跡、激用滍涓諸水、以浸原田萬餘頃、分疆刋石、使有定分、公私同利、衆庶賴之。號曰杜父。
【読み】
預以えらく、天下安しと雖も、戰を忘るれば必ず危うし、と。講武を勤め、泮宮を修立す。江漢德に懷き、化萬里を被らせり。山夷を攻め破りて、屯營を錯え置き、要害の地に分け據りて、以て維持の勢を固くす。又邵信臣が遺跡を修め、滍涓[ぎけん]の諸水を激し用いて、以て原田萬餘頃に浸し、疆を分けて石に刋り、定分有らしめて、公私利を同じくし、衆庶之に賴る。號して杜父と曰う。

舊水道、唯沔漢達江陵、千數百里北無通路。又巴丘湖沅湘之會、表裏山川、實爲險固、荆蠻之所恃也。預乃開楊口、起夏水、達巴陵千餘里、内瀉長江之險、外通零桂之漕。南土歌之曰、後世無叛由杜翁。孰識智名與勇功。
【読み】
舊水道は、唯沔漢のみ江陵に達して、千數百里北に通路無し。又巴丘湖沅湘の會は、山川を表裏して、實に險固と爲して、荆蠻の恃む所なり。預乃ち楊口を開き、夏水を起こして、巴陵に達すること千餘里、内は長江の險を瀉ぎ、外は零桂の漕を通ず。南土之を歌いて曰く、後世叛くこと無きは杜翁に由る。孰か識らん、智名と勇功とを、と。

預公家之事、知無不爲。凡所興造、必考度始終、鮮有敗事。或譏其意碎者。預曰、禹稷之功、期於濟世。所庶幾也。
【読み】
預公家の事、知れば爲さざること無し。凡そ興造する所、必ず始終を考度して、敗事有ること鮮し。或は其の意の碎なるを譏る者あり。預曰く、禹稷の功は、世を濟うに期す。庶幾する所なり、と。

預身不跨馬、射不穿札。而每任大事、輒居將率之列。結交接物、恭而有禮、問無所隱。誨人不倦、敏於事而愼於言。旣立功之後、從容無事。乃耽思經籍、爲春秋左氏經傳集解。又參攷衆家譜第、謂之釋例。又作盟會圖、春秋長曆、備成一家之學。比老乃成。又撰女記贊。當時論者謂預文義質直、世人未之重。唯秘書監摯虞賞之曰、左丘明本爲春秋作傳、而左傳遂自孤行。釋例本爲傳設、而所發明何但左傳。故亦孤行。時王濟解相馬、又甚愛之。而和嶠頗聚斂。預常稱濟有馬癖、嶠有錢癖。武帝聞之、謂預曰、卿有何癖。對曰、臣有左傳癖。
【読み】
預身ら馬に跨らず、射札を穿たず。而れども大事を任ずる每に、輒ち將率の列に居れり。交を結び物に接わり、恭にして禮有り、問わるれば隱す所無し。人に誨えて倦まず、事に敏にして言を愼めり。旣に功を立つるの後、從容無事なり。乃ち經籍を耽思して、春秋左氏經傳集解を爲る。又衆家の譜第を參攷して、之を釋例と謂う。又盟會圖、春秋長曆を作りて、一家の學を備成す。老いる比[ころ]に乃ち成れり。又女記贊を撰す。當時の論者預が文義質直なりと謂いて、世人未だ之を重んぜず。唯秘書監摯虞之を賞して曰く、左丘明本春秋の爲に傳を作りて、左傳遂に自ら孤行せり。釋例は本傳の爲に設くれども、而れども發明する所は何ぞ但に左傳ならん。故に亦孤行せん、と。時に王濟馬を相することを解し、又甚だ之を愛す。而して和嶠は頗る聚斂す。預常に稱す、濟は馬癖有り、嶠は錢癖有り、と。武帝之を聞いて、預に謂いて曰く、卿は何の癖か有る、と。對えて曰く、臣は左傳癖有り、と。

其後徵爲司隷校尉、加位特進。行次鄧縣而卒。時年六十三。帝甚嗟悼。追贈征南大將軍開府儀同三司。諡曰成。遺令薄葬。子錫嗣。
【読み】
其の後徵して司隷校尉と爲り、位特進を加う。行きて鄧縣に次[やど]りて卒す。時に年六十三。帝甚だ嗟悼す。征南大將軍開府儀同三司を追贈す。諡して成と曰う。遺令して薄葬せしむ。子錫嗣ぐ。